カルマックスと私
水溶性イオン化ミネラルを開発した八藤   
 眞理学博士の推薦するカルマックス


山形市鉄砲町の老舗のそば屋さん、新しいラーメンに挑戦です。
カルマックス入りのラーメン、そばは大好評です、是非食べて見て下さい。

【そば処 やぶ善】

  999−2492 山形市鉄砲町1の5の8
        TEL 023−622−9426
平成13年1月1日それは始まった。午後3時頃近所の家に行って、正月の神様を拝んでいた、ところが私の右半身が動かせなくなっていた。いくら動かそうとしても動かせない、そのうちにだんだん意識が無くなる、このままでは私は、死んでしまうのではないかと思った。でも私は変に死を意識しなかった、絶対帰ってくるのだからと思った。
 そして、私が気が付いたのは、約十日位たった頃です。ぼんやりと頭が回って、今私が何をしているのか分からない状態でした。私の妻や兄弟、父母本当に有り難う御座います。どんな気持ちで私を看病してくれたのか分かるような気がします。私がこうして生きて来れたのは、全部あなた方のお陰です。有り難う御座います。
 私は、その時は98kgでした、今考えるとゾッとします。何故そんなに太っていたんだろうか、医者からは70kgまで落とせと言われて、3ヵ月で落とした、その時の思いは言い表せない。はじめのほうは、お腹が空いていたのですが、後は随分となれました。でもなんで3ヵ月で30kg落とせたのだろう、やっぱり命がけだとなんでも出来るんだろうか。
 入院後二週間ぐらいたった頃からリハビリが、始まった。言葉、左手、右半身このように私のリハビリは続いていった。本当に大変だった、始めの頃は私にはまだまだ何をやっているのが理解が出来なかった。言葉を始めた頃は、はし、鉛筆、消しゴム、そして私の名前、これがメニューだった。先生方本当に有り難うございます。今こうしてなんぼでもはなせるようになると、リハビリの力が大きいと思います。
 風呂は、約2ヵ月半位から先生の許しをもらいながら、シャワーを浴びました。本当は怖かったのですが、自分のためになるように、また妻のためになるように、体を動かしました。でも病院のなかでだけです。
 3ヵ月半でそこの病院を、退院する事が出来ました。本当にこのままこの状態で退院しても何もできない、私は右半身おまけに車椅子が付いてくる。
 こうして私は今までの健康な体から、車椅子の必要な体になってしまいました。このホームページはそんな私の心を書きとめてみました。


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これはPersonal lavo(パーソナルラボ)のロゴです