死 

こういった表題を記す事を
どう消化して良いのやら、自分自身分からない

分からない事を、自分以外の多くが見うるここに記すのは、
それが無責任な事であるのかもしれない。

しかし、多くの類似の悲しみに触れた方は多く、
その悲しみ、落胆は、私以上に深いものであるはずである。
まして、最愛の人を失う悲しみは筆舌に尽くしえないと知る。
歳を重ねれば、重ねる悲しみと不幸であり、自然である。



友を、失いそうである。
親友である。
歳は離れてはいるが、家族皆親しい付き合いである。


病の床に伏し、2月と10日が過ぎた。

死の宣告を受けたと、両親より聞く。

毎日欠かさず家に遊びに来ていた大将である。

ぶどうを出荷している1カ月は見舞いもせず過ぎた。

ぶどうの出荷が終わり、連日見舞う。

死を直近に待つ者への見舞い、言葉、    ああ どうあるべきか

どうあろうか


死がここにあり、彼を弔うでもない。
彼は生きている。

生きて帰ってきてほしい。

叶うならば、毎日見舞いにも行こう。
お百度参りもしよう。

君に、愛をささげよう。


どうか、叶うならば、年老いた父母を・・・


電気ネットが神に通ずるならば、
これは、天地発生以上の大事であるが、


願わくば、私にではなく、年老いた父母に穏やかなる安らぎを与えたまえ。
私にではなく、病床の君が快方に向かいたまえ。


生きて、ここに帰ってきたまえ。







こんな事情で、朝から殺気立つ。

ああ、どうか優しさにあふれる自分でいる器量を与えたまえ。
2010.09.04:kuma仙人:[ぼやき・つぶやき]

ご友人の具合はどうですか。いつか別れが来るとわかっていてもツラいですね(;_;)少しでも病状良くなりますように
2010.09.06:鈴本:[編集/削除]

鈴本さま

御心配頂きありがとうございます。
友はほぼ意識もありません。
日々弱りゆく姿には、涙が絶えない。


つらいですな。

しかし、その友からは身をもって、優しさと強さを与えられます。

2010.09.06:管理人 仙人志向:[編集/削除]

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