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クマ仙人
麦チョコ様
麦様の言われるその通りなのです。<br /><br />ここに記すを、実際の人間と人間が顔を突き合わせる現実社会で遠慮なく表現すれば、喧嘩が絶えない。<br />それぞれの考えを主張し合い譲らなければ、生活が成り立たないほどぎくしゃくする。<br /><br />隣の老夫婦には、言葉をもって、「支えてほしい」と頼まれています。出来うる限りを協力すると、約束しました。<br />また、病床で、意識ある時に、なぜ俺だけが・・・と涙した友も「た・の・む」と私に語りかけました。<br /><br />目が不自由になりかけたお父様は夜間運転が出来ず、我が家に頼りきりです。好きな酒を控え、備えておる状況です。<br /><br /><br />決して、自分の行為を立派であるとか、こうあるべきと言うか、<br />独善の自己満足にしてはならない、冷静にその行動を粛々と行えればよい、と考えています。<br />私が、彼の家の為に何か行い、誰かがそれを行わないから悪い。と言う事ではないと理解しています。<br /><br />しかし、私はまだまだ弱く、自己意識や理想に、鉄の意志をもって堂々とそれを貫く強さがない。<br />甘えがあり、俺までもが「なんでおればかり」という、いや、そんなんじゃない、<br />むしろ「なんで奴ばかり何もしない・・・」、小人である俺の不器量なのです。<br /><br /><br /><br />この、病の友にかかわる事柄と別にして、議員などという社会的責任ある地位にかかわる御仁には、現実社会の中で、いや、隣組という小さな社会にあって、互いに助け合う小さな世界の中で、独りよがりではうまくないだろうと・・・・。<br />正直、お前は部落の関係を破壊するのか。と正面切って文句を言いたいところであった。<br /><br />怒りを、たとえば部落にAED導入をしたいと、今、その活動の下準備へと、エネルギーの流れを変えたところです。<br /><br /><br />出来た人間ではありません。<br />人間との関係を最小限に、趣味で山ばかりほっつき歩いていれば、面倒もなにもない、「仙人」になれるだろう。<br />自己責任のみに、自然を生き抜く「仙人」ならば、山道で倒れ、死にゆく人を見ても、それを、自然のなすがまま眺められよう。<br /><br />でも、俺は「仙人」にはなれない。「仙人」になりたいけれど、<br />なれない。人間臭い人間のままである。<br />苦しむ人をみて、見ぬふりでなんていられない。<br /><br />同じ時を生き、親しい友死をまじかにして、<br />来るなって言われたって、見舞いたくなる。<br />それも人情ではないだろうか。<br />来るなって言われれば行かないまでの事。<br />そんな当人や家族の我儘なんて、我儘とも思わず、誰だってその苦しみを察します。いや、想像できる。<br />そんなの、当たり前だ。<br /><br />以前、山岳救助隊で、亡くなった方を命からがら、雪山から背負い、家族のもとへ運んだ事がある。<br />その時は、家族から胸倉をつかまれ、「家の息子を返せ」と言われた。誰も俺は恨まなかったし、家族の気持ちは察するに余りある。<br /><br /><br />聖なる人間にはなれない。<br />仙人にもなれない。<br />いつまでも、我儘な子供のように、それでも前向きに生きようとしながらしか生きられない。<br /><br /><br />どうか、こんな俺でも、<br />いつまでも、アドバイス下さいますようお願いします。
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