ハモコミ通信2018年6月号

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今月も、「まちネタ」(街で見つけたコラムに潜むコミュニケーションのネタ)をお楽しみください。


 

◎パン派とごはん派

 今朝は朝食に何を食べましたか。通常、パン派とごはん派の二通りに分かれるのではないでしょうか。

 Aさんは、ごはん派ですが、妻はパン派です。結婚して一緒に暮らすようになり、《 朝食には、お米のごはんを食べたい 》と強く思うAさんにとって、パンが食卓に上がるたびに、ちょっとした不満を抱いていました。

 ある日、妻の実家に行くと、朝食はいつもパンを中心とした洋食であることに気がつきました。昔から、朝食はパンの日が多かったそうです。

 逆にAさんの実家は、米作りをする農家だったため、1年中ごはんが当たり前でした。

 朝食の好みが、生まれ育った家庭環境を背景としていたことは、妻も自分も一緒であったことがわかりました。

 人と人とが席を同じくすれば、価値観の違いは必ずあるものです。同時に、その価値観の背景も、またそれぞれにあるものでしょう。

 互いの背景を思いやることで、家庭も、職場も、より和やかになるでしょう。

 

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<コメント>

 夫婦の価値観の違いはひとまず脇に置いておき、社内でのそれについて考えてみましょう。

 それぞれの「当たり前」が違うわけです。「当たり前」の方向が真逆の人もいれば、その基準に対する厳しさが非常に強い人と非常に緩やかな人がいます。

 「これだけは譲れないというポイント」も人それぞれですし、「大切にしていることの順番」もそうですね。

 「互いの違いを認め合おう」と誰もが普段はそう思っていることでしょう。しかし、余裕がなくなってくると…。

 一人ひとりが持っている価値観について、それが形成されるに至った背景に思いを馳せる!チーム内で一度でもそういう機会があると値千金ではないでしょうか。

 会社は目的的集団ですから、価値観がどうのこうの言ってないで、それぞれの役割を果たせ、というのが原則ではありますが、やっぱり人と人ですからね。

 企業理念、行動指針、基本目標などを軸に、自分の我はなるべく抑え、他人のそれは認めてあげる。。。

 


 

◎学ぶ主体

 「自己啓発」という熟語に使われる「啓発」は、中国の古典にある『論語』の「憤せずんば啓せず、?せずんば発せず」に由来するといわれています。

 「憤す」とは、知ることができずに煩悶(はんもん)すること、「啓す」は説明してわかるようにしてやること。

 また「?す」は、心でわかっていても口で表現できないこと、「発す」は、十分に言い表わすことができるように教えてやることです。

 つまり「啓発」とは、物事を深く理解しようともだえ苦しみ、どう表現すればよいか散々苦しんだ者でなければ教えることはできない、という意味になります。

 充実した気力と情熱がなければ、何事も進歩はなく、苦しみ悩んだ後でなければ上達はしないものです。

 自分を高めようという心意気もなく、努力を放棄してしまっては、向上するのは難しいでしょう。

 ともすると私たちは、上達しない責任を「教え方が悪い」と、指導する者に転嫁しがちです。しかし、あくまでも、「学びの主体は学ぶ側にある」というのが、「啓発」という言葉の本当の意味なのです。

 

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<コメント>

 自分を高めようと、もだえ苦しんでいる人に励みとなるコラムですね。途中で投げ出さず、やり続けさえすれば上達は必至ともいえるわけですから。

 私自身もこれまで何度ももだえ苦しみました(笑)。今もいろいろな意味で継続中ですが、指導者に責任転嫁しない心グセはついたと思っています。

 今は情報としての解決法などは、探せばいくらでも見つかります。問題は、自分の心が欲する深い部分を満足させられるか、という点だと思います。

 やはり、これだと思ったことは繰り返し繰り返し実践するに限ります。そこでの失敗は肥やしにし、成功は励みにして、一歩ずつ進んでいくしかないのでしょう。

2018.06.01:壱岐産業:[事務局ノート]