“天童広重”の修復を行いました

  • “天童広重”の修復を行いました
幕末、初代歌川広重は天童織田藩の依頼を受けて
大量の肉筆画(掛軸)を描きました。
現在その作品群は“天童広重”と呼ばれていて、
天童市に広重美術館がある由縁でもあります。

当館蔵の「吉野之桜 龍田川之紅葉」も“天童広重”の一つで、
制作されてから160年あまり経っており、
表具のすれ、折れ、裏打ち紙のはがれなどが
見られるようになっていました。

そこで、
東北芸術工科大学 文化財保存修復研究センターに依頼し、
約1年間をかけて解体修理を行いました。

ただいま開催中の10月展(~26日まで)では
修復後、初めての展示を行っています。
修理工程の解説とともに展示してありますので、
興味のある方はぜひ見にきてください。
2009.10.12:hiroshige:[コンテンツ]

この記事へのコメントはこちら

※このコメントを編集・削除するためのパスワードです。
※半角英数字4文字で入力して下さい。記号は使用できません。