ここ最近、ぽかぽかな陽気につつまれて伝国の杜の広場は、子どもたちが、かけまわりにぎやかです。米沢も、そろそろ桜が咲く季節になりました。桜が満開になる日までが待ち遠しいです!
4月25日(水)から常設展示室内の文華館展示が変わりました。
この度の展示は≪贈答と「春」≫
展示期間は、4月25日(水)~5月22日(火)まで。
そして、期間中に、国宝「上杉本洛中洛外図屏風」を展示しています。
こちらも、5月22日(火)まで。
5月5日(土)は、こどもの日ですので、中学生以下のお子さんは、入場無料です!
関連情報として、担当学芸員が展示解説を行います。
コレクショントークは、5月6日(日)14:00~(上杉文華館内、入館料 有)
上杉文華館では、いつも、国宝「上杉本洛中洛外図屏風」複製の資料を展示しておりますが、年に「2回」、春と秋に原本を展示しています。今が、ちょうどその季節です。米沢ゆかりの世界に誇れる文化財、国宝「上杉本 洛中洛外図屏風」。この機会を、お見逃しなく☆どうぞ、お越しください。m(_ _)m
[展示資料紹介]
●国宝「上杉本洛中洛外図屏風」●
6曲1双 紙本金地著色 狩野永徳筆
160.4×365.2㎝
永禄8(1565)年ヵ/国宝
米沢市上杉博物館蔵
室町幕府13代将軍足利義輝が上杉謙信に贈るために狩野永徳に発注して描かせるも,完成前に横死,後に入手した織田信長が,天正2(1574)年謙信に贈ったとされる屏風である。米沢藩上杉家に伝来し,平成元(1989)年米沢市に寄贈された。
画面は戦国時代の京都市中および郊外を対象に,権力者から庶民の屋敷,寺社をはじめとする名所,人々の生活や季節の行事などを約2,500人の人々ともに,四季を交えながら金雲を効果的に用いて巧みに配置している。また,現実の光景に回想などを加えた複合的な景観によって構成され,天文から永禄年間(1550年代~60年代初)ごろの景観が強く出ているといわれる。
主題は戦国時代の室町幕府の政治体制であり,義輝による将軍を中心とした政治構想の描写とする説が通説的位置にある。従前の洛中洛外図の季節の配置が崩され,秋となるべき公方邸を意図的に正月の光景に描いて寿いでいることがその理由の一つである。また,謙信に上洛して幕府再興への尽力を求める意図が込められており,内裏の詳細な書き込みでその関心を引き,公方邸脇の貴人の行列に謙信自身の姿を重ね合わせることでその実現を図ったと考えられている。
最後に、みなさん、お気づきでしょうか?上杉文華館の入口のパネルには、小さいですが、屏風の絵を載せています!いつも展示のテーマごとに屏風から、関係ある人物や場面を選んでいます。今回は、春にちなんで左隻の第三扇より「鶯合わせ」です。地味かもしれませんが、定期的にかわっていきますので注目してみて下さい(・∨・)ゞ
お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238-26-8001まで
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上杉文華館 [贈答と「春」] にて、国宝「上杉本洛中洛外図屏風」原本展示中!
2012.04.25:denkoku:[博物館情報]
特別展 展示品紹介
まだまだ夜は冷え込みますがやっと春らしいあたたかさになってきましたね♪
花粉も飛びはじめて、”春がキター!”というかんじです
ハッ--ッ(*゚Д゜)(っ*`з´)っ・:∴クション
さて!4月14日(土)から『特別展 上杉鷹山の財政改革 ~国と民のしあわせ~』開催中です☆
今回展示中のものをいくつかご紹介いたします。
まずは、『上杉鷹山書状』(「なせばなる」)
思ったより長い・・・(;´゚Д゚)ゞ
著名な和歌「成せば成る・・・」が記された文書です。国宝「上杉家文書」に伝わったもので、一般的に知られているものと使われている文字に一部違いがあります。天明五年(1785)、上杉鷹山は35歳の若さで隠居し、世子(跡継ぎ)顕孝、側室お豊の方とともに、米沢城三の丸の屋敷に移りました。そこは餐霞館あるいは城の南にあたるので南亭と呼ばれました。餐霞館に移ると、鷹山は11代藩主になる予定の実子顕孝の教育係に指導方針として一篇の書を示しました。「壁書」と呼ばれるものです。本資料はその写と考えられます。孟子の故事を引き、若殿顕孝に接する時の基準にせよと、14カ条を挙げて説明しています。慎みを持つことや立派な武士、重臣の先祖、農民の苦労など聞かせてやってほしい話、7カ条、一方で聞かせない話として損得をめぐることや食べ物の味など7カ条を挙げています。その最後に、
成せば成る 成さねば成らぬ
何事も 成らぬは人の
成さぬ成けり
の和歌がありました。
自らの心得・教養、家臣や民衆の気持ちを理解することなどを重視し、一方で贅沢につながることや、根拠がよく分からないようなことに興味を持たせないように配慮した内容となっています。(展示解説より)
さてさて次は~♪
『遊具・弾弓(上杉鷹山拝領)』
天明5年(1785)、6代善富の死によって、養子の万之丞(7代三左衛門善映)が10歳で家督を継ぎました。翌6年10月7日、万之丞は上関分家の渡辺儀右衛門と米沢城に登城しました。その折、万之丞が幼少で退屈であろうと、鷹山が幼い時に使用した遊具「弾弓」を一揃贈りました。さすが大名家の遊具で、精巧なミニチュアです。鷹山の心遣いと金主渡辺家へ対する厚遇が窺えます。万之丞は相続した際養父善富と同じく、知行250石、5人扶持を米澤藩から支給されましたが、翌6年12月13日には、450石と禄高が倍増されました。それには『上杉家御年譜』が「重キ御内用御頼ニ付」と伝える理由が推測されます。重き御頼みとは、この年以前に藩が借金していた、金1万1360両を無利息、年賦償還にするということでしょうか。(展示解説より)
この他にもご紹介したい展示がたくさんございます!
また、今年のGW中、「国宝 上杉本 洛中洛外図屏風原本」の展示もしております☆
原本展示は4月21日(土)から5月22日(火)まで!ぜひ上杉博物館に足を運んでみてください。
『特別展 上杉鷹山の財政改革 ~国と民のしあわせ~』
< 期 間 >4月14日(土)~6月3日(日)
<休 館 日>5月23日(水) ※4月25日は開館予定
<開館時間>9:00~17:00(入館は16:30まで)
<入 館 料(企画・常設展示室一体型)>
一般600(480)円 高・大学生400(320)円 小・中学生250(200)円 ( )団体20名以上
お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238-26-8001まで
花粉も飛びはじめて、”春がキター!”というかんじです
ハッ--ッ(*゚Д゜)(っ*`з´)っ・:∴クション
さて!4月14日(土)から『特別展 上杉鷹山の財政改革 ~国と民のしあわせ~』開催中です☆
今回展示中のものをいくつかご紹介いたします。
まずは、『上杉鷹山書状』(「なせばなる」)
思ったより長い・・・(;´゚Д゚)ゞ
著名な和歌「成せば成る・・・」が記された文書です。国宝「上杉家文書」に伝わったもので、一般的に知られているものと使われている文字に一部違いがあります。天明五年(1785)、上杉鷹山は35歳の若さで隠居し、世子(跡継ぎ)顕孝、側室お豊の方とともに、米沢城三の丸の屋敷に移りました。そこは餐霞館あるいは城の南にあたるので南亭と呼ばれました。餐霞館に移ると、鷹山は11代藩主になる予定の実子顕孝の教育係に指導方針として一篇の書を示しました。「壁書」と呼ばれるものです。本資料はその写と考えられます。孟子の故事を引き、若殿顕孝に接する時の基準にせよと、14カ条を挙げて説明しています。慎みを持つことや立派な武士、重臣の先祖、農民の苦労など聞かせてやってほしい話、7カ条、一方で聞かせない話として損得をめぐることや食べ物の味など7カ条を挙げています。その最後に、
成せば成る 成さねば成らぬ
何事も 成らぬは人の
成さぬ成けり
の和歌がありました。
自らの心得・教養、家臣や民衆の気持ちを理解することなどを重視し、一方で贅沢につながることや、根拠がよく分からないようなことに興味を持たせないように配慮した内容となっています。(展示解説より)
さてさて次は~♪
『遊具・弾弓(上杉鷹山拝領)』
天明5年(1785)、6代善富の死によって、養子の万之丞(7代三左衛門善映)が10歳で家督を継ぎました。翌6年10月7日、万之丞は上関分家の渡辺儀右衛門と米沢城に登城しました。その折、万之丞が幼少で退屈であろうと、鷹山が幼い時に使用した遊具「弾弓」を一揃贈りました。さすが大名家の遊具で、精巧なミニチュアです。鷹山の心遣いと金主渡辺家へ対する厚遇が窺えます。万之丞は相続した際養父善富と同じく、知行250石、5人扶持を米澤藩から支給されましたが、翌6年12月13日には、450石と禄高が倍増されました。それには『上杉家御年譜』が「重キ御内用御頼ニ付」と伝える理由が推測されます。重き御頼みとは、この年以前に藩が借金していた、金1万1360両を無利息、年賦償還にするということでしょうか。(展示解説より)
この他にもご紹介したい展示がたくさんございます!
また、今年のGW中、「国宝 上杉本 洛中洛外図屏風原本」の展示もしております☆
原本展示は4月21日(土)から5月22日(火)まで!ぜひ上杉博物館に足を運んでみてください。
『特別展 上杉鷹山の財政改革 ~国と民のしあわせ~』
< 期 間 >4月14日(土)~6月3日(日)
<休 館 日>5月23日(水) ※4月25日は開館予定
<開館時間>9:00~17:00(入館は16:30まで)
<入 館 料(企画・常設展示室一体型)>
一般600(480)円 高・大学生400(320)円 小・中学生250(200)円 ( )団体20名以上
お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238-26-8001まで
2012.04.19:denkoku:[博物館情報]
特別展 上杉鷹山の財政改革
追悼 特別展示「米沢が生んだ日本画の巨星 遠藤桑珠と福王寺法林」は、4月8日(日)に終了いたしました。ご来館くださいました皆さま、ありがとうございます。
次回は4月14日(土)から『特別展 上杉鷹山の財政改革 ~国と民のしあわせ~』が始まります!
財政難に苦しむ米澤藩の改革を成功に導いた九代藩主上杉鷹山について、博物館の常設展示室でも多くのスペースとさまざまな手法を用い概要紹介をしています。このたびの展覧会では概括的な展示から、テーマを掘り下げてその実像に迫れるよう、財政改革に焦点をあててご紹介いたします。誰のための改革かを念頭におき、危機への備えと対応、産業の創出と流通、豪農・商人の力、養老と養育の時代等の内容で、鷹山の取り組みを検証していきます。
『特別展 上杉鷹山の財政改革 ~国と民のしあわせ~』
< 期 間 >4月14日(土)~6月3日(日)
<休 館 日>5月23日(水) ※4月25日は開館予定
<開館時間>9:00~17:00(入館は16:30まで)
<入 館 料(企画・常設展示室一体型)>
一般600(480)円 高・大学生400(320)円 小・中学生250(200)円 ()は20名以上の団体料金
そして、なんと!!
4月21日(土)から5月22日(火)までの期間
国宝上杉本洛中洛外図屏風の原本を展示いたします!!!
”国宝”が展示される貴重な機会をお見逃しなく!!
お問い合わせは米沢市上杉博物館 0238-26-8001まで
次回は4月14日(土)から『特別展 上杉鷹山の財政改革 ~国と民のしあわせ~』が始まります!
財政難に苦しむ米澤藩の改革を成功に導いた九代藩主上杉鷹山について、博物館の常設展示室でも多くのスペースとさまざまな手法を用い概要紹介をしています。このたびの展覧会では概括的な展示から、テーマを掘り下げてその実像に迫れるよう、財政改革に焦点をあててご紹介いたします。誰のための改革かを念頭におき、危機への備えと対応、産業の創出と流通、豪農・商人の力、養老と養育の時代等の内容で、鷹山の取り組みを検証していきます。
『特別展 上杉鷹山の財政改革 ~国と民のしあわせ~』
< 期 間 >4月14日(土)~6月3日(日)
<休 館 日>5月23日(水) ※4月25日は開館予定
<開館時間>9:00~17:00(入館は16:30まで)
<入 館 料(企画・常設展示室一体型)>
一般600(480)円 高・大学生400(320)円 小・中学生250(200)円 ()は20名以上の団体料金
そして、なんと!!
4月21日(土)から5月22日(火)までの期間
国宝上杉本洛中洛外図屏風の原本を展示いたします!!!
”国宝”が展示される貴重な機会をお見逃しなく!!
お問い合わせは米沢市上杉博物館 0238-26-8001まで
2012.04.12:denkoku:[博物館情報]
上杉文華館「贈り物が必要なとき」
3月27日(火)からの展示テーマ は 『贈り物が必要なとき』です。
戦国時代や近世の贈り物はどのような機会になされたのでしょうか・・(?_?)
今回ご紹介させていただきますのは、「国宝 上杉家文書 山内重俊書状」!
越後の武士山内重俊が訴訟を春日山に仲介した長尾房景に送った書状。訴訟の結果、重俊は二ヶ所の所領を獲得しました。房景は上条兵部と長尾為景にこの件を託しました。この二人が取次として春日山での所領給付の決定に大きな役割を担ったことは間違いありません。訴えの実現は取次の働きに大きく左右されたからです。このような二人に対して、重俊は御礼を申し入れると房景に述べています。おそらく物品も贈られたと思われます。訴訟に際して、その関係者に物品を贈ることは、判決(決定)以前であっても、中世社会においてはよくみられます。現代では賄賂として禁止されていますが、中世では権利として認められていたのです。それだけ日本人は贈り物をごく自然な行為とみなしていたと思われます。(展示解説より)
他にも具体的な機会とそこに見られる贈答の時代的特徴や機能について、国宝「上杉家文書」から紹介しております。
コレクショントーク は 3月31日(土)です♪
コレクショントークをお聞きになる際は常設展示室のチケットが必要となります。
[常設展] 一般400(320)円・高大生200(140)円・小中生100(60)円
当館学芸員による解説をぜひぜひ聞きにいらしてください☆
お待ちしております( '-' )( ,_, )( '-' )( ,_, )
お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238-26-8001
戦国時代や近世の贈り物はどのような機会になされたのでしょうか・・(?_?)
今回ご紹介させていただきますのは、「国宝 上杉家文書 山内重俊書状」!
越後の武士山内重俊が訴訟を春日山に仲介した長尾房景に送った書状。訴訟の結果、重俊は二ヶ所の所領を獲得しました。房景は上条兵部と長尾為景にこの件を託しました。この二人が取次として春日山での所領給付の決定に大きな役割を担ったことは間違いありません。訴えの実現は取次の働きに大きく左右されたからです。このような二人に対して、重俊は御礼を申し入れると房景に述べています。おそらく物品も贈られたと思われます。訴訟に際して、その関係者に物品を贈ることは、判決(決定)以前であっても、中世社会においてはよくみられます。現代では賄賂として禁止されていますが、中世では権利として認められていたのです。それだけ日本人は贈り物をごく自然な行為とみなしていたと思われます。(展示解説より)
他にも具体的な機会とそこに見られる贈答の時代的特徴や機能について、国宝「上杉家文書」から紹介しております。
コレクショントーク は 3月31日(土)です♪
コレクショントークをお聞きになる際は常設展示室のチケットが必要となります。
[常設展] 一般400(320)円・高大生200(140)円・小中生100(60)円
当館学芸員による解説をぜひぜひ聞きにいらしてください☆
お待ちしております( '-' )( ,_, )( '-' )( ,_, )
お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238-26-8001
2012.03.28:denkoku:[博物館情報]
「追悼 特別展示」展示品紹介
追悼展を3月10日より開催しております。
こちらは追悼展が始まるまでの準備風景です。
二枚を合わせて・・・
ガッシーン!Σヽ(゚Д゚○)ノ
一枚の「ヒマラヤの朝」に!
法林はこの作品を描く3年前の1974年に初めてヒマラヤへの取材旅行を行いました。それ以降毎年ヒマラヤをテーマにした作品を発表しています。この作品はヒマラヤの険しい岩肌と雪の白のくっきりとした対比が特徴的で、ヘリコプターからのスケッチによってとらえられたヒマラヤの骨格がよく表されており初期のヒマラヤを代表する作品です。(展示解説より)
。.。:+£ ゜ ゜゜ £+:。.。:+£ ゜ ゜゜ £+:。.。.:+£ ゜ ゜゜ £+:。.。:
続きまして(_´゚∀゚`)シ
「谷地小路風景」
終戦後、米沢に戻っていた桑珠は、昭和25年東京板橋にアトリエを求め移り住みました。この年本作が日展の特選となりその後の長い日展での活躍の足掛かりとなります。当時の米沢工業高校の講堂を描いた作品で、当時の作品評では「落ち着いた中間色を用い、洋画的な主題を巧みにこなしている。」と評されています。30代前半の作者の西洋的主題への憧れも見て取れます。(展示解説より)
追悼 特別展示「米沢が生んだ日本画の巨星 遠藤桑珠と福王寺法林」は、4月8日(日)まで開催いたします。(3月は毎週月曜日休館、4月は無休)
入場無料です。
ぜひ、両氏の作品をご覧に博物館に足をお運びください。
お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238-26-8001
こちらは追悼展が始まるまでの準備風景です。
二枚を合わせて・・・
ガッシーン!Σヽ(゚Д゚○)ノ
一枚の「ヒマラヤの朝」に!
法林はこの作品を描く3年前の1974年に初めてヒマラヤへの取材旅行を行いました。それ以降毎年ヒマラヤをテーマにした作品を発表しています。この作品はヒマラヤの険しい岩肌と雪の白のくっきりとした対比が特徴的で、ヘリコプターからのスケッチによってとらえられたヒマラヤの骨格がよく表されており初期のヒマラヤを代表する作品です。(展示解説より)
。.。:+£ ゜ ゜゜ £+:。.。:+£ ゜ ゜゜ £+:。.。.:+£ ゜ ゜゜ £+:。.。:
続きまして(_´゚∀゚`)シ
「谷地小路風景」
終戦後、米沢に戻っていた桑珠は、昭和25年東京板橋にアトリエを求め移り住みました。この年本作が日展の特選となりその後の長い日展での活躍の足掛かりとなります。当時の米沢工業高校の講堂を描いた作品で、当時の作品評では「落ち着いた中間色を用い、洋画的な主題を巧みにこなしている。」と評されています。30代前半の作者の西洋的主題への憧れも見て取れます。(展示解説より)
追悼 特別展示「米沢が生んだ日本画の巨星 遠藤桑珠と福王寺法林」は、4月8日(日)まで開催いたします。(3月は毎週月曜日休館、4月は無休)
入場無料です。
ぜひ、両氏の作品をご覧に博物館に足をお運びください。
お問い合わせ 米沢市上杉博物館 0238-26-8001
2012.03.13:denkoku:[博物館情報]