日中友好侵略史

 日中問題を語る上で必読書と言える「日中友好侵略史」(門田隆将著)を読んだので、読書抄録にまとめる。

 1949年、中国の対日工作を廖承志(りょうしょうし)が全面的に担当することになった。左翼以外の自民党のターゲットは松村謙三、趣味のランの花で工作を開始した。同時に、公明・創価学会へも工作、有吉佐和子が仲介し、池田大作が日中国交正常化を提言した。

 角福戦争の中で 、日中国交正常化がテーマになった。その頃、キッシンジャー大統領補佐官が極秘訪中して、ニクソンショックで世界の流れが変わった。国連への中国加盟と台湾追放がテーマになった。当時、中共はソ連と敵対して、西欧に友好国を求めていた。山形県選出の衆議院議員・木村武雄は、石原莞爾の「世界最終戦争論」から洞察して日中国交回復を実現するべく田中角栄の政権を目指した。大平もこの動きを察知していた。日中国交正常化を掲げ、総裁選で田中角栄が福田赳夫を破った。

 周恩来首相は、竹入公明党委員長との会談で戦時賠償問題を無くすことを示した。その後の膨大なODAによる中国援助があり、賠償より遥かに大きなものになった。椎名特使は台湾との交渉で日華断交とは言わず、今後も従来通りに継続すると述べた。

 1972年、田中訪中団は全ての情報を把握され、戦争中の表現に難癖をつけられ攻勢を強められてきた。日本は戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことの責任を痛感し深く反省する、と言う文言で共同声明が発表された。周恩来は田中角栄に「言必信、行必果」の言葉を手渡した。「言ったことは必ず行い、行うことは必ず果たす」の意味で、今の政治に関わるものは小器のもので論じるに足らないとの意味。そこに田中角栄の小物ぶりに深い皮肉と軽侮が表れている。

 鄧小平がやって来て日中友好絶対主義をもたらした。1989年、天安門事件が勃発し、人権弾圧が世界を驚愕させた。世界が中国への制裁を取ろうとした時に日本が反対し、天皇訪中で制裁を解いた。

 1998年、江沢民は日本軍国主義が侵略行為を行い中国人民に大きな災難をもたらしたと発言し、反日教育を始めた。中国の共産主義は既に破産しており、民族・愛国主義に変わっていた。橋本龍太郎総理は、中国女性工作員のハニートラップに掛かり、機密情報を漏洩した。その後も自衛官の情報漏洩などハニートラップは後を絶たない。百年国恥とは日本への恨みを指す。千人計画に日本人研究者が好待遇で呼び寄せられ、学術会議は喜んで中国に協力している。

 安倍晋三はトランプを抱き込み、アメリカはようやく中国の狙いに気付いた。対中非難決議さえ出来ない、二階俊博や自民党・公明党の親中・媚中の政治家たちが、日本の行く末を誤らせている。
2024.05.20:dai:[学習]

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