薩長土肥を中心とした明治維新史観には長年うさん臭さを感じていたが、スタンフォード大学教授の西鋭夫の本を読んだので紹介します。
けしの花、アヘンは、イギリス植民地のインドで栽培され、ユダヤ人が1箱72㎏で商売していた。第1次アヘン戦争1838~1840年にあり、その後、南京条約が結ばれ、ライフル、鉄砲、軍艦と言った武器が欧米列強から入ってきた。香港上海と名付けられたHSBC銀行はロスチャイルド家が創業し、英領インドのガンジス川南北300㎞全てアヘン畑で大量のアヘンを栽培して持込み、清国の絹織物・陶磁器などと交換して大儲けをしていた。清国はこれを阻止しようと第2次アヘン戦争が1860年に起きたが、圧倒的な欧米列強の軍事力には全く歯が立たなかった。そのころ、1853年ペリー黒船が来航、アメリカ東インド艦隊に徳川幕府は完全にビビってしまった。
NHK大河ドラマなどでの明治維新のイメージは、御用学者による捏造である。坂本龍馬は、イギリスのエージェントである。アヘン戦争で多大な犠牲を払ったイギリスは、犠牲を少なくして日本を侵略するために謀略を施した。グラバー(マティソン商会 長崎支店長)は歌劇「蝶々夫人」など有名だが、隠し部屋は僅か15年前に発見されている。歴史の解釈には、follow the money(金の動いた道を追いかけろ)と言う格言があるが、武器、弾薬、軍艦などの金は誰が出したか?答えはイギリスがグラバーを介して出していた。マティソン商会はHSBC横浜支店を明治維新の前に開設していた。そのころ、アヘンはイギリス予算の50%を占めており、欧米列強は人種差別意識から中国人を家畜と見なしていた。長州の高杉晋作は広州・広東を視察し、清国がボロボロにされているのを見てきた。明治維新は全てイギリスのアジア戦略の一環であった。1840年、1856年のアヘン戦争、1857年のセポイ(東インド会社の傭兵)の反乱で疲弊したイギリスは、日本の現地テロリストに内戦を仕掛けてきたのである。テロリストは薩長土肥であり、徳川幕府は当時の世界観を持っており、無駄に内戦を長引かせなかった。筋書き通り戊辰戦争は官軍が勝ち、会津・函館の皆殺し、ライフル、大砲を持っている圧倒的な軍事力に歯が立たなかった。両者とも、内戦を戦うより欧米列強の侵略に日本として如何に結束するか、本当の敵は誰なのかを薄々知っていたのかもしれない。
日本は1894年日清戦争で勝利し下関条約を結び、欧米列強と同じ立場に立ち中国は弱いと知った。その後1906から1945年、誰のために戦争をしてきたか?明治政府は、文明開化・脱亜入欧・富国強兵を、欧米列強から侵略されないために必死に行ってきた。士農工商はイギリスの爵位に変更され、巧妙にイギリス式に変えられて行った。
所感として、大東亜戦争に至る道も、根っ子はこの辺りに行きつくと思われる。新しい事実も続々と発見されている。正しい歴史認識を持つことは、将来の方向性を誤らないための大切な教養であると思う。
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