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「日本国紀」の天皇論

「日本国紀」の天皇論(著者;百田尚樹、有本香)を読んだので、その抜粋を紹介する。

 平安時代の終わり以降、日本には権力と権威が分かれて存在する。天皇の権威と万世一系は、中国などの易姓革命とは異なる。そして、万世一系こそが守るべき原則だ。

 日本という国名は日が昇るところと言う意味で、神話と結びついた国名だ。歴史上、女系天皇はいない。男系男子である。性染色体(男xy、女xx)のy染色体は神武天皇と同じ染色体を受け継いでいる。古代の人は、本能的にこれを知っていた。

 「民のかまど」の逸話。仁徳天皇が民のかまどから煙が出ていないのを見て、民の苦労

を悟り、三年間の税を免除した。君臨すれども親裁せず。

 教育勅語は人として当たり前の内容である。十七条憲法の第1条は「和を以て貴しとなす」。五箇条の御誓文は、「広く会議を起こし、万機公論に決すべし」。このように、日本は常に話し合いで物事を決めてきた歴史がある。

2022.04.12:dai:コメント(0):[学習]

禁断の幕末維新史

 以前、「日本人が知っておくべき「この国根幹の重大な歴史」」(加治将一他著)を紹介したが、 今回、さらに深掘りしたく「禁断の幕末維新史」(加治将一著)を読んだので紹介する。自分自身、これはほぼ真実であるとの確信を得ている。

(坂本龍馬暗殺の真犯人は)

 尊王攘夷派とは、薩摩藩、長州藩など天皇を尊び、外敵を排斥するグループである。公武合体派は、幕府、孝明天皇など朝廷と幕府(諸藩)が協力して、幕藩体制の再強化を図ろうとするグループである。第3のグループとしての反孝明・南朝崇拝の秘密結社があり、岩倉具視、大久保利通、桂小五郎などにより、南朝天皇へのすり替えが計画された。

 武力革命派は、岩倉具視、大久保利通、薩摩藩、長州藩、土佐藩の一部、アーネスト・サトウ、中岡慎太郎、板垣退助であり、無血革命派 坂本龍馬、後藤象二郎、勝海舟、英国パークスである。龍馬暗殺の真相は土佐藩の内ゲバだった。田中光顕は、後日談で「中岡は、剣を持っては龍馬よりはるかに上であった。この目で見ての実感である。」と言っている。

(北朝から南朝へ明治天皇はすり替えられた)

 ひ弱な睦仁親王は、天皇になったとたんに武士を相撲で投げた。睦仁親王は右利きだったが、明治天皇は左利きだった。天皇の妻は皇后と呼ばれるが、明治天皇だけは皇太后。睦仁親王の践祚から即位まで1年7ヶ月と長過ぎる。南朝の血筋は幕末まで根強く残っており、根強い南朝崇拝思想が幕末に息を吹き返した。水戸光圀が作らせた「大日本史」は南朝正統論の決定版にあたる。

 戊午の密勅は、孝明天皇から水戸藩に下った大老井伊直弼の暗殺指令があり、安政の大獄、桜田門外の変と続く。南朝すり替えの原作者は吉田松陰であり、これと言った功績の乏しい吉田松陰の名前が残っている理由である。明治天皇の権威が増すとともに、明治時代の中後期にかけて長州閥がのし上がっていった。

 尊王攘夷から倒幕開国へ、第三の勢力「薩摩+長州+英国」が倒幕に動いた。倒幕の密勅のシナリオは、南朝天皇復活を目指す第三の勢力の元で練られた。倒幕+南朝秘密同盟は、攘夷だけの孝明天皇の排除、公武合体派の粛清のため義弟の徳川家茂を暗殺した。大政奉還で幕府側から権力を奪還するために、鳥羽伏見の戦いで騒乱状態を作り、一気に御所を囲んで南朝天皇にすり替えた。南朝武将を祀る神社の建立と再興、建武の中興15社の建立、南朝の忠臣・楠木正成の騎馬像を皇居に設置。江藤新平の佐賀の乱、西郷隆盛の西南戦争も秘密を知っている者の口封じと見える。

(皇女・和宮のすべては抹殺)

 孝明の妹・和宮は、相思相愛といわれた有栖川宮熾仁親王との婚約を破棄し、将軍・家茂との政略結婚に及んだ。和宮の殺害現場は、京都から東京へ向かう途中の箱根山中。明治7年、襲撃され自害。岩倉の企みを示唆している。死の噂をかき消す偽装工作として、南部家の娘が使われたが、偽装工作に関わった人は若死か消息不明になっている。

(出口王仁三郎は有栖川宮のご落胤ゆえに弾圧)

 孝明天皇亡き後、天皇になる気満々だった熾仁の子は、北朝の血脈ゆえ王仁三郎は追い込まれていく。

 NHK大河ドラマで渋沢栄一が描かれているが、徳川慶喜や岩倉具視の配役をみると、最近の歴史研究の成果が伺える。

2021.04.14:dai:コメント(0):[学習]

京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘

 「京都ウラ天皇と薩長新政府の暗闘」(落合莞爾著)と言う本を読んだので、その内容を紹介する。これまで、「薩長史観の正体」では、薩長は倒幕の密勅を偽造したが、徳川慶喜は大政奉還により平和的に権力移譲され、戊辰戦争は無意味な戦いだったことを示した。「明治維新の正体~徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ」では、イギリスが薩長を支援し内戦を誘導したが、徳川慶喜は自ら手を引いて諸外国の誘いに乗らなかったことを示した。「日本人が知っておくべき「この国根幹の重大な歴史」では、坂本龍馬は内ゲバで倒され、攘夷論者の孝明天皇を暗殺し、睦仁親王をも殺害し、南朝天皇の子孫の大室寅之祐を明治天皇にすり替えたことを示した。今回は、その考え方をベースにしながらも、堀川政略と言う戦略の下に実行したとする説を紹介する。

 現在の公認史実の根底に「大ウソ」がある。その根幹は明治維新に際し皇太子睦仁親王の入れ替えであり、これは体系的に学説や皇室の権威をもって周到に固められている。

(大政復古の知られざる内幕)

 奇兵隊の天皇と三公卿の果たした役割がある。国民の歴史常識に潜む二大偽史とは、明治天皇と睦仁皇太子の入れ替えと孝明天皇の偽装崩御がある。皇室偽史の淵源は南北朝に由来する。護良親王→崇光天皇→栄仁天皇→伏見宮貞成親王→後花園天皇(第1皇子を朝廷天皇)永世親王伏見殿(第2皇子をウラ天皇)としてウラ天皇を作り出した。護良親王の長男興良親王を周防国田布施郷に入れ、同地の佐藤甚兵衛家が興良末裔の大室家を代々保護し、大室家の血を引く地家作蔵と南朝門徒の興正寺スエとの間に生まれた大室寅之祐が、皇太子睦仁親王と入れ替わり明治天皇になった。

 中山忠能は皇太子睦仁親王の祖父であるが、その日記には奇兵隊の天皇と表記している。中山忠能は討幕密勅を発し、維新後も高官として新政府に参加した態度・行動から義理の息子・孝明天皇の毒殺と孫・睦仁暗殺は偽装したと考えるしかない。

 堀川政略は、孝明天皇の偽装崩御と睦仁と寅之祐の入れ替えが根底にある。奇兵隊の天皇とは中山ら三公卿仲間の隠語であり、中山忠能日記はそのまま明治天皇に献上され宮内省文庫に収められている。孝明朝廷を仕切っていたのは、孝明の義兄で魔王こと弾正尹中川宮朝彦親王と、禁裏御守衛総督一橋(徳川)慶喜が力を合わせた一尹政権だった。慶喜が15代将軍に就いた直後に孝明が偽装崩御され、堀川政略に沿って維新工程に入った。一方、実父でウラ天皇の伏見殿邦家親王の補佐役の魔王は慶喜と組んで公武合体派の首領役を演じてたが、維新工程に入ったことで役割を終えた。

 1867年1月に皇位を継いだ奇兵隊の天皇は、御所の生活に慣れておらず、実質的に朝廷を仕切ったのは、中山忠能・正親町三条実愛・中御門経之の三公卿連合である。三公卿連合の朝廷支配は1867年12月の小御所クーデタまで続く。堀川殿とは、堀川御所に隠棲された孝明先帝ではなくウラ天皇になられた睦仁親王である。水戸斉昭は堀川御所を本圀寺に建てた。この本物の御所を隠蔽するために京都御所内に小さな建物を設け堀川御所と公称した。

 小御所会議は維新政府の設立総会(1867年12月9日)と言うべきものだった。新官制議定書は大政奉還後の王政復古の在り方を示している。孝明不在の朝廷を取り仕切っていた三公卿は、大政奉還から王政復古まで全てを取り計らっていた。小御所会議は慶喜排除の無血クーデターだった。三公卿は予想していた。慶喜に辞官と納地を命ずるしん断を引き出せたので、倒幕親政派の目的は達成された。慶喜の辞官と納地が意味することは、自党専制の政府を立てることであり、岩倉・島津連合と三条・毛利連合と三公卿が結託したとのことである。公武合体派を排斥し倒幕親政派が政府権力を独占しようとするもので、だからこそ慶喜を排斥した。

 旧幕臣の渋沢栄一は、明治体制の誕生にまつわる不公正を批判するために編纂したのが「徳川慶喜公伝」である。堀川政略の明治工程は、慶喜の新政参加を予定していなかった。大政奉還から王政復古にかけての最大の功労者は、三条・岩倉・長州・薩摩ではなく、中山ら三公卿である。徳川から薩長藩閥の専制政体に変わり、1889年に明治憲法で開設された民選議院により、堀川政略の明治工程が予定していた明治公議体制になった。

(明治の通貨政策)

 万延幣制が堀川政略の維新工程の一環とすれば、その立役者は小栗忠順である。金貨二本立てにより、通貨資産を保有する民間人に、万延二分判よりも古金と万延金を選好させて退蔵させるために行った。

(神道国教化)

 表面は仏像でも最も大事なのは先祖の位牌である。戦国武将は火薬入手のためイエズス会のカトリック布教を許した。信長誅殺を光秀に命じたのは、天海と見るべきである。江戸幕府は、仏教の国教化を進めるために寺請制度を設け、戸籍行政と身分証明制度を寺院に担わせたので、国民すべてが仏寺の檀家になることを義務付けた。

 神道国教化と廃仏毀釈を、尊王攘夷の延長線上で捉え、幕末から勃興した国学と復古神道に関わる勢力が、倒幕の功績で新政府の要職を得たため、彼らの神道国教化政策を採らざるを得なかったと通説があるが、祭政一致は神仏分離のため、神仏分離は廃仏毀釈のため、廃仏毀釈は覇道一神教(キリスト教)の侵入に備えたガス抜きとして行われた。

 明治天皇のすり替えは真実のようである。この歴史改ざんは国民にはにわかに受け入れ難いが、ゆっくりと国民の間に浸透して行くだろう。薩長新政府の東北地方で行った蛮行も、徐々に暴かれてきている。象徴天皇としての男系男子の議論にも影響あるだろう。

2021.04.09:dai:コメント(0):[学習]

コロナ禍3 ~新型コロナとPCR検査~

 新型コロナとPCR検査について、ネット記事を見つけて、自分自身が納得する部分が多かったので紹介します。

 PCR検査とは、遺伝子(変異の多いRNAウィルス)の断片を検知している。インフルエンザと異なるのは、無症状感染者がいることだが、彼らはウィルスを撒き散らしているかは検証されていない。無症状感染者はPCR検査で作り出されている。PCR発明者(ノーベル賞を受賞したDrキャリー・マリス)は、「PCRは感染症の診断に使ってはならない。」と明言している。

 PCR陽性=新型コロナ感染とされるが、因果関係は確認されていない。PCR検査は、RNAウィルス変異体が検出できない。特異性を上げると、変異したものが検出できない。特異性を下げると、違う遺伝子を検出する。

 新型コロナウィルスは存在するか?現状は、PCRによって引き起こされたパンデミックとしか言えない。

 山形県内で感染者は累計1千人、人口比率で0.1%の発生率、そのほとんどが無症状感染者?で、マスコミでは第4波と言われるが、誤差の範囲内で発生率がバラツいていると思われる。

2021.04.02:dai:コメント(0):[学習]

封印された世界を救うテクノロジー

 封印された世界を救う技術(ベンジャミン・フルフォード著)と言う本を読んだので紹介する。多様な未来技術について記述してあるが、特に自分が興味を持った技術についてのみ抄録している。

 最近は地震が頻発しているが、地球の定常波と波長が違う電磁波を地面に放射することで地球の振動を大きくする地震兵器をテスラが発見した。これは、電磁波の縦波であるスカラー波を電離層に向ければ気象兵器にもなる。

 海水から燃料を取り出す技術として、14MHzの電磁波を照射して水素ガスを取り出す。低コスト実現できれば無限エネルギーになりうる。常温核融合は基本的に水の電気分解であり、放射性物質の電子を放出して別の物質に変える。放射能の半減期を400年から400日にでき、福島原発事故の事故処理を革新的に短縮できる。

 石油資源の枯渇を教えられてきたが、未だその気配はない。石油については、バクテリア説にせよ無機起因説にせよ無尽蔵に石油はある。

 宇宙技術について、ハヤブサ2のイオンエンジンとは、磁界と電流が直交すると垂直方向にローレンツ力が働き、その力をロケット推進力にしている。ソーラーセイルとは、物体を押す力がある光(太陽光)を受けて推進する宇宙船である。

 まもなく、AIが人間の知能を超えるシンギュラリティが2045年には起こる。セックス・ロボットは精巧に出来ており、これは人類を滅亡に導くだろう。

 寿命については、サーチェイン遺伝子を活性化しサーチェインを増やせば寿命が延びる。空腹、低酸素、温熱、運動がサーチェイン遺伝子をより多く発動できる。

 中共の国家資本主義については、経済の実際は民間に任せれば良く、国家は経済の行方を示すビジョンを示せればよい。1991年のソビエト連邦の崩壊で実証済みである。

 これまでテクノロジー技術が歴史を作ってきた。鉄砲伝来(1543年)により日本の戦国時代は終結し、蒸気船の黒船来航(1853年)で鎖国が終わり、原爆投下(1945年)で第2次世界大戦が終結した。コンピュータが私たちの働き方を変え、インターネットは情報空間を狭めている。ウィルスワクチン開発や原子力発電事故処理など課題解決に新しいテクノロジーが活用されることを期待し、私自身もその後押しをしたい。

2021.03.29:dai:コメント(0):[学習]