髙橋洋一の地政学入門
より良いより広い土地を巡る戦争の歴史が地政学
とにかく広い海が欲しい中国の地政学
昔も今も南へ向かいたいロシアの地政学
争いを経て作られた共同体ヨーロッパの地政学
かつての世界の警察官アメリカの地政学
日本の現在と今後を考える
引いたら押されるが常識の国際政治
地政学的リスクを考えれば明確な集団的自衛権の是非
日本にとって最大の脅威はやはり中国
日本を本当に守るには戦争を抑止できる妥当な防衛費とは
三正面作戦が迫られる日本の安全保障
勝ち組が消した開国の真実・鈴木荘一著の読書抄録を紹介する。
黒船来航から開国に至る過程を、教科書とは異なり分かりやすく解説した本である。
第1章 日米和親条約
老中阿部正弘は親露反米論を抑えて開国を決断した。
アメリカの西進、長崎海軍伝習所、幕府練習場海軍の創設
アメリカの黒船の意味、幕府の対応は合理的な方法だった。反面、吉田松陰はテロリストと言える。
第2章 日米通商条約
井伊直弼は朝廷から勅許を得られぬまま条約調印した。
徳川幕府の開国方針、朝廷の攘夷論
孝明天皇の攘夷論は分かるが、現実的には開をせざるを得ない幕府の判断は合理的だった。
第3章 公武合体の思想
幕府は親米外交を展開 イギリスも対日微笑外交していた。
第14代将軍家茂、皇女和宮の降嫁、咸臨丸の太平洋横断、南北戦争でアメリカが退潮、イギリスの接近が始まった。
孝明天皇の攘夷論を懐柔するために、公武合体を進めた。
第4章 京都守護職
松平容保と新撰組が京都の治安維持にあたる。
尊王攘夷で京都の治安崩壊、長州藩の攘夷断行、新撰組の池田屋事件、蛤御門の変
尊王攘夷の京都の治安は乱れ、治安維持のため嫌がる松平容保を京都守護職にし、新選組を組織した。
第5章 条約勅許
徳川慶喜が孝明天皇から勅許を獲得し、条約の批准が成立した。
生麦事件、南北戦争、薩摩藩の薩英戦争、薩摩藩の密貿易、長州藩の下関戦争、幕府が賠償金 300万ドル支払い、第1次長州征伐、イギリス公使パークス来日
アメリカが南北戦争で退場し、攘夷の長州は下関戦争を、薩摩は薩英戦争を起こした。幕府は日本国の行政権者として、賠償金を支払った。
第6章 兵庫開港
慶喜は兵庫開港を実現し、国際公約を果たす。
長州藩の武器密輸入、武器商人グラバーの暗躍(イギリスは日本国内の内戦を企画)、グラバーの三角貿易(イギリス・長州・薩摩)、密貿易の仲買人の坂本龍馬の薩長同盟、イギリスの対日政策、第2次長州征伐、将軍家茂の死と一橋慶喜の相続、幕府はフランス型幕府陸軍の創設
イギリスはグラバーを通じて薩長を支援。長州は南北戦争の中古ライフル銃を購入し代金は米で支払った。イギリスは米を薩摩に売って金銀で代金を回収した。その中間貿易業者が 坂本龍馬である。
第7章 大政奉還の思想
慶喜はイギリス型議会制度を想定して政権返上した。
徳川慶喜の大政奉還論、岩倉具視らによる倒幕の偽造密勅、小御所会議(西郷隆盛は軍事革命を主張)、江戸市中を擾乱するために薩摩御用盗、挑発に乗った幕府軍敗北決定。
孝明天皇は岩倉具視によって暗殺されたと思われる。明治天皇は南朝にすり替えられたと言われる。徳川慶喜はフランス式の陸軍を創設し再起を図った。幕府両軍は激突したが、イギリスとフランスの代理戦争の様相となり、徳川慶喜は大局的判断をし内戦を避けるため撤退・謹慎した。
補論 奥羽戊辰戦争
朝敵処分として官軍は北上、奥羽列藩同盟で抵抗、白河城攻防戦、白虎隊の死闘、会津落城
幕府から没収した軍事力を加えて、官軍の軍事力は強く、まさに狩猟のような戦いだった。松平容保の助命嘆願を無視して奥羽に進軍した。官軍の隊長・長州の世良は女郎屋で斬首された。
満州建国の大義~石原莞爾とその告白(鈴木荘一著)を紹介する。
昭和7年石原莞爾が作った満州国は、大東亜戦争が始まった後も建設が進められ地上の楽園だった。石原莞爾が描いた満州国の建設とは、近代化されたソ連軍の軍事膨張に対峙する防共国防国家の創設であるとともに、中世だった満州を近代化へ移行させる壮大な実験だった。
満州近代化計画の第1期として、国内の治安維持、国家機構の整備、通貨の安定、基礎エネルギー確保、輸送通信事業、都市建設などインフラ建設を推進した。第2期は 産業育成が柱となり、日産コンツェルンが本社を日本から満州に移転した。
第1章 日露戦争と少年石原莞爾の危機感
石原莞爾は山形県鶴岡市に生まれ、庄内中学から仙台陸軍幼年学校・東京陸軍中央幼年学校、さらに陸軍士官学校から陸軍大学へと進んだ。
第2章 それまでの 満州
広大な過疎地満州。ロシア軍の満州占領。
第3章 日露戦争後の満州
ポーツマス条約で南満州鉄道を得る。アメリカの鉄道王ハリマンを満州に引き込んで、満州問題を米英に認識させようとしたが、これを潰したのが小村寿太郎外相である。
南満州鉄道は、半官半民の特殊会社として運営された。南満州鉄道を保全するため、関東軍が配備された。日本がポーツマス条約で、旅順・大連など関東州の租借権、南満州鉄道の経営権、鉄道警備のための軍隊の駐留権を得た。
馬賊張作霖の登場。1911年辛亥革命が勃発し、孫文が中華民国を建国した。1924年国民党と共産党による第1次国共合作ができた。張作霖の爆殺。張学良が関東軍を裏切る。
第4章 石原莞爾 漢口からベルリンへ
日中提携論とベルリン留学
第5章 満州事変
東アジアの地政学は、日露戦争から大東亜戦争を経て朝鮮戦争に至るまで、ソ連の軍事膨張 軍事的南下の対応を軸に動いてる。
満州事変は、陸軍統制派の軍事課長永田鉄山が中央で支援体制を確立し、満州組と呼ばれる石原莞爾作戦参謀とを通じて二人三脚で計画したものである。
石原はシナリオ通り、わずか1万の軍勢で23万の中国軍を破り、在満日本人の生命を守った。さらに、満州をアジア民族が協和する王道楽土にするという大きな夢と理想があり、 満州建国という形で実を結んだ。
柳条湖爆破事件は自作自演であった。関東軍1万は、奉天に続き吉林、遼陽などを攻略し、ソ連と国境を接するチチハルを占領した。昭和7年 満州国の建国を宣言。5族(日満漢蒙韓)の協和を象徴する五色旗を採用した。
満州開発の基本計画は、エコノミスト宮崎正義が中心となって 日本的経営システムを創案して策定した。満州モデルは、第1期が昭和8年からインフラ整備、第2期が昭和12年から都市の建設、第3期は昭和17年から産業育成を進めた。満州移民100万戸計画を立てた。
第6章 国際連盟脱退
リットン報告書の真実。
第7章 石原莞爾の失脚
昭和12年コミンテルンの戦略による中共による盧溝橋事件が勃発。石原莞爾は中国とは戦うべきでないと不拡大を指示した。上海事変が勃発し、拡大派の武藤作戦課長は陸軍派兵を進めた。石原莞爾は日米戦争に参戦することなく敗戦を迎えた。
終章 酒田臨時法廷
満州国の理論的指導者は石原莞爾であり、実質的な責任者だったが、GHQは彼をA 級戦犯から外した。
アメリカはいかにして日本をおいつめたか「米国陸軍戦略研究所レポート」から読み解く日米開戦(ジェフリー・レコード著)を紹介する。
私たちはそろそろ自虐史観の呪縛から抜け出さなければならない。
1章 真珠湾攻撃とは何だったのか
戦略的愚行。
非合理的決断の解釈、1941年に日本がアメリカとの戦いを決意した動機は、一つは日本の誇りの問題であり もう一つはアメリカによってもたらされた経済の破綻であった。
2章 日本の侵略とアメリカの反応 1937~1941年
独ソ戦と日米関係、戦争が隷属か二者択一の強要。
3章 日本の判断の基礎となった仮定
ご都合主義的な対米戦争終結構想、人種的優秀性の過信。
4章 日本の決断
対米開戦決意の合理性、対ソ戦は後回し、真珠湾攻撃は日本の戦略的愚行。
5章 失敗したルーズベルトの日本牽制
真意不明の軍備増強と経済制裁、英蘭植民地を限定した攻撃の恐怖。理解しがたいルーズベルトの中国偏重。
6章 経済的な締め付けの代償
破滅的な中国からの撤退要求、強引な経済制裁と自殺的戦争
終章 くみ取るべき7つの教訓
・恐怖心とプライドは、国益という要素と同程度に国家の意思決定に影響を及ぼす。
・潜在的国の歴史や文化を深く理解することの重要性である
・他国に対する牽制が上手くいくか否かは、牽制される側の心理にかかっている。
・しっかりとした戦略を持ち、軍事作戦はそれに沿ったものでなくてはならない。
・経済制裁は戦争行為に等しい。
・倫理的にそして精神的に、他国より優れているという思い込みは危険である。
・戦争が不可避だと考えた段階で、それが現実のものになってしまう。
異様なルーズベルト外交と米国世論を理解できなかった日本外交、 米国陸軍 戦略研究所レポート解読のヒントを解説。