東京電力女性社員殺害事件の闇 毎日新聞8.21

またもDNA鑑定が人生を大きく変えようとしている。

 97年に起きた東京電力女性社員殺害事件のことだ。被害女性(当時39歳)の体内から採取された精液のDNA型が、無期懲役が確定したネパール人、ゴビンダ・プラサド・マイナリ受刑者とは別人のものと判明した。

 さらに、遺体近くなどにあった体毛のDNA型も、この別人と一致した。

 被害女性は日常的に複数の男性と性関係を持っていたとされる。ポイントは、精液だけでなく体毛が現場に残されていた点だろう。殺害される前に現場で性交した可能性を示すからだ。

 現場の部屋の鍵を持っていたマイナリ受刑者は、被害者と性関係を持った後に殺害し現金を奪ったとして有罪になった。だが、新事実によって「被害者が他の第三者と現場にいたとは考えがたい」とした確定判決の認定は、大きく揺らいだ。

 マイナリ受刑者は再審請求中だ。「新証拠によって事実認定に合理的な疑いを生じさせれば足りる」というのが、再審開始の基準だ。もちろん、最終的な有罪・無罪は証拠の総合評価で決まるが、まずは再審の一歩を踏み出すべきだろう。

 仮に再審が開始され無罪になれば、DNA鑑定はマイナリ受刑者を救う「決め手」となったと評価できよう。

 だが、マイナリ受刑者を塀の中に突き落としたのもまたDNA鑑定だった。殺害現場の部屋のトイレで見つかったコンドーム内の精液のDNA型などが、マイナリ受刑者と一致したことが有罪の根拠となったからだ。

 冒頭で「またも」と書いたのは、足利事件の菅家利和さんを思い出したからである。

 90年に栃木県足利市で4歳女児が殺害された事件で、菅家さんは冤罪(えんざい)に追い込まれた。誘導による「自白」もあったが、女児の下着から検出されたDNA型が、菅家さんと一致したとされたことも大きな理由だった。

 だが、当時の鑑定技術ではその型の出現頻度は1000人に1・2人で、足利市内の成人男性だけで100人が該当した。

 結局、DNA鑑定技術の進歩を踏まえた再鑑定の結果、菅家さんの冤罪は証明された。菅家さんを絶望のふちに立たせたDNA鑑定は、雪冤の「決め手」にもなったのだ。

 米国でも近年、DNA鑑定の進歩により刑事事件で潔白が証明される人が相次いでいる。成城大の指宿信教授は、「無実を探せ!イノセンス・プロジェクト」(現代人文社刊)の中で、09年6月末時点で240人という数字を挙げている。うち17人が死刑囚というのも驚きだ。

 警察庁によると、最新の検査法によるDNA鑑定では、約4兆7000億人に1人の確率で個人識別が可能だという。まさに犯罪捜査の切り札、時に冤罪を晴らす手段として最新のDNA鑑定は「光」を放つ。

 だが、目をこらせば、その裏に暗い「影」がある。それは最先端の科学を扱う側の問題だ。

 東電女性社員殺害事件に話を戻す。警察はトイレのコンドームのDNA鑑定をする一方で、なぜ被害者体内に残った精液のDNA鑑定を当初しなかったのか。「微量で当時の技術ではできなかった」と説明される。だが、鑑定しようとしたのかさえ判然とせず、恣意(しい)的な判断があったのではとの疑問が残る。

 また、被害者のショルダーバッグの取っ手からマイナリ受刑者と同じ血液型B型の付着物が検出され、検察は有罪の根拠の一つとしている。ならばDNA鑑定で白黒をつけるべきだが、過去の鑑定で付着物を使い切ったためできないという。
事実ならば、ご都合主義的な鑑定の運用に危うさを感じる。
裁判官出身の森炎弁護士が「なぜ日本人は世界の中で死刑を是とするのか」(幻冬舎新書)で、さらに端的に指摘する。
 森弁護士は、DNA鑑定の画期的な発展を前提に、捜査機関による証拠の捏造(ねつぞう)も新たな局面に入ったとして、こう書く。

「全く無関係な者を犯人に仕立て上げることなど、いとも簡単にできるようになってしまいました。提出を受けた検体をほんの少し、被害者の持ち物に付着しさえすれば、それだけで鉄壁の証拠が作り出されてしまいます。(略)完全犯罪ならぬ完全冤罪がインスタントで作り出せるということです」

ミステリー小説のようだが、背筋が凍る仮説である。

 現在、DNA鑑定は指針策定を含め警察に運用が任されている。試料の管理に警察以外の第三者を介在させ、方法についても明確なルール作りが必要だ。

2011.09.05:yuchan:[いろいろ記事]