朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

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 ご本尊は弘法大師が作ったといわれる延命地蔵尊で、真濟上人がここに一寺を建立し延命山地福寺遮那院としたと伝わります。真濟上人は弘法大師空海の高弟で、空海が真言宗を開いた京都高雄の神護寺の二世であり、真言宗ではじめて僧正という高い位についた人です。
 正徳元年(1711)春、井戸を掘った時に、土中から古仏の地蔵菩薩が現れたので本堂に安置し本尊物として祭りました。その際に遮那院を福寿院に改めたといわれています。
五百川三十三観音31番札所(聖観音) 朝日町中沢585-1
五百川三十三観音縁起
五百川三十三観音霊場一覧
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 よだれ地蔵様は、よだれや疳を治してくれる子育て地蔵です。今でも遠くから参拝に来る人が大勢います。祈願の時は小豆餅を供え、地蔵様の口元にあんこを塗り、小豆餅断ちを約束し、治った時は地蔵様に帽子やよだれかけ、鐘の緒とともにお菓子を供えてお礼参りをします。
 江戸時代の中頃、楯岡から運ばれていた地蔵様の荷車が突然動かなくなり、地蔵様が「私はこの美しい地にとどまり、民衆を救いたい」と言いました。村人達は大喜びし、お堂を建てて祭ったのだそうです。
※『大谷郷』より抜粋

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「八ッ沼の七不思議」の一つ。 湖底に雌雄の竜神が住むと伝わるこの池の水は常に澄んでいますが、村に何か禍いが起こる時や、世の中に異変が起きる時に水の色が赤くなると云われています。湖面に木の葉一枚浮いていないのは、沼のお姫様が毎朝掃除するからとも伝わり、渇水すると見える夫婦岩は「八ッ沼七名勝」の一つとなっています。周囲は遊歩道が整備され、自然と歴史を楽しめる散歩コースとなっています。週末にはヘラブナやコイ釣りで賑わっています。

小松寿一さんのお話
八ッ沼の伝説・名勝
八ッ沼部落の名称

-伝説 - 八ツ沼七不思議紀行(PC)

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 永正元年(1504)八ッ沼城主三代原美濃守慶秀が、信仰していた春日明神を勧請しました。明治期には西五百川村の総鎮守として村社に列挌。祭神天児屋根命、武みか槌命、外四柱。例祭日は8月15日。旧暦のうるう年には神輿渡御、八ッ沼獅子踊り、奴振りなどの大名行列が盛大に行われます。「八ッ沼七名勝」の一つ。

八ッ沼の大名行列
八ッ沼の獅子踊り
八ッ沼の奴振り
八ッ沼エリア
関連書籍『八ッ沼物語』
2009年春日神社大祭の様子(PC)
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※椹平の棚田へ向かう道路の最後の民家より左へ入ります。参道は狭いのでお気をつけ下さい。神社裏の農面道路からも入れます。



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 春日神社例大祭(8月15日)の旧暦うるう年に伝統の大名行列が行われています。
 この大名行列の起こりは、寛政年間(1789〜1800年)と云われています。その当時、左沢百目鬼川原の領地をめぐって争いがおこり、なかなか解決しませんでした。そんな時、旧夏草村の佐竹文右ェ門という人が証人として発言をし、無事に解決をすることができました。左沢領主であった酒井候が褒美をとらせると言ったところ、佐竹文右ェ門は「このたびの問題解決は春日神社のご加護のおかげです。大名行列の許可を賜わりたい」と願い出て、許されたものと伝えられています。
 大名行列では、伝統芸能の「八ッ沼獅子踊り」や「奴振り」も披露されます。
(『八ッ沼物語』より抜粋)
※上記ダウンロードボタンより大名行列のお通り絵図(コース)を取り出せます。

大名行列の様子(2009年)
八ッ沼 春日神社
八ッ沼の獅子踊り/田川順一さんのお話
八ッ沼の奴振り
八ッ沼エリア
関連書籍『八ッ沼物語』

 旧うるう年の8月15日に行われる春日神社例大祭の折りに、伝統の大名行列が行われ、その一部として「奴振り」が披露されます。
 先頭から、先箱二人、大鳥毛一人、立ち笠二人、草履取二人、後箱二人、花歌三人の計12人で構成されています。

大名行列の様子(2009年)
八ッ沼 春日神社
八ッ沼の大名行列
八ッ沼の獅子踊り
八ッ沼エリア
関連書籍『八ッ沼物語』

 寛治4年(1090)、若狭守蔵人が、源義家に従って清原の残党・平田次郎・五郎を討ち取った功績が認められ、八ッ沼の地を賜り移り住み、砦を築いたのがはじまりとされています。建久年間(1190〜98)には、子孫の重経が藤原泰衡の家臣・谷川右京を討伐し簡単な塞を築城しました。八ッ沼城は、正平年間(1346〜69)に長崎城主と戦って討死するまで代々若狭守が治めました。

小松寿一さんのお話
八ツ沼城の築城
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※館山の西側です。私有地につき対岸の道路から遠景でご覧下さい。

白倉や立木の集落を眼下に、道円山(左)と風切山や暖日山(右)の間に山寺・面白山方面の山々を眺めることができます。どうぞ一休みしていって下さい。
写真
アクセスマップ

 文明元年(1469)越前敦賀より原越後守が一族郎党を引き連れ築城しました。永禄8年(1565)四代原甲斐守の息子・兼道と鳥屋ヶ森城主岸氏の娘・弥生姫の婚約成立をもって、山形城主最上義光との五百川合戦につながり両城ともに落城します。(天正9年・12年落城説あり)慶長5年(1600)の出羽合戦では上杉勢により攻略されます。矢引き場、人見穴、堀切、曲輪、旗柱跡などが残っています。
小松寿一さんのお話
八ツ沼城の落城

歴史見学会 「朝日町の天地人」(PC)
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※対岸の農面道路からご覧下さい。
※城跡内部の見学はエコミュージアム案内人の会にお申込み下さい。

 五百川合戦の悲劇のヒロイン弥生姫の像が、地元有志により春日沼の中に立てられてあります。
 八ッ沼城は、永禄8年(1565)8月に五千騎の軍馬を引き連れた最上義光の攻撃により落城しますが、(天正9年、12年落城説もあり)第四代城主原甲斐守の一子兼通は婚約していた最愛の弥生姫(館山 鳥屋ヶ森城の姫)と春日沼に身を沈めたと伝わります。(果沼入水説もあり)

小松寿一さんのお話
五百川合戦の悲話 弥生姫
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 八ッ沼城跡には空堀や曲輪の跡が残ります。春日沼より若宮寺に至る空堀跡は遊歩道に整備され歩くことができます。

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※詳しい見学はエコミュージアム案内人の会へお申込み下さい。

 鴻の森に囲まれた沼べりにひっそりと立つお社は、小松家により建立された熊野神社です。「八ッ沼七名勝」の一つ。
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※駐車場から遊歩道を歩きます。

 正月、春日神社の裏山“鈴ヶ森”で、朝暗いうちから鶏の声が聞こえ、沼の上を金の鶏が八ツ沼城に飛ぶと云われています。その姿を見て、声を聞いた者は、その年を幸せに暮らすせたうえに、お金持ちになれるというので、正月三ヵ日には鶏の声を聞こうと、春日神社は暗いうちから参拝する人達でにぎわったそうです。
※春日神社は写真右奥

〔八ッ沼の七不思議〕
1.鈴ヶ森の金鶏の声
2.沼中の変水
3.阿吽の清水
4.大石の化け石
5.大石の提灯石
6.小関壇の異変
7.自在坊の生き地蔵

-伝説 - 八ツ沼七不思議紀行(PC)

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 八ツ沼城繁盛の頃、夜中に提灯をさげた牛の化け物が城の奥方様を驚かしました。殿様は弓の名人に退治することを命じ、名人は夜中に待ち伏せし矢を放ちました。翌朝、流した血をたどって山の中まで行くと、化け物は石になっていました。穴は矢が当たった所と伝わります。
※大石は地名です

-伝説 - 八ツ沼七不思議紀行(PC)

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※分かりづらい場所です。事前にエコミュージアムルームでご確認下さい。