朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

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 寛文10年(1670)創建とされます。享和3年(1803)に奉納された「前句付け」の俳額は、朝日町で一番古く、西村山郡内でもニ番目に古いものです。阿吽の竜の絵馬もあります。例祭日は4月第2日曜日。昭和55年頃に台風により社が壊れた雷神も合祀。例祭日は4月20日。祀られている12基の石仏は村に散在していたものをここにまとめたもので、「右ハおおや、左ハくりのき沢」と刻まれた追分石や明神断崖頂上と同じ弁財天の大きな石塔もあります。
※『大谷郷』より抜粋

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 真中昌城院を開山した心鏡上人は文禄3年(1594)にこの地から昇天しましたが、同じ真言宗の八ッ沼若宮寺13世法印盛永が徳を慕ってこの石碑を造立しました。
 心鏡上人は法力のみならず学識高く近隣村人の崇敬を集め、その逸話は数々の伝説として残り、今なおその徳をたたえ毎年4月29日には盛大なお祭りが開かれています。
※『大谷郷』より抜粋

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 平成10年(1998)に発掘調査が行われ、大きなものでは直径40センチの木の柱が24本発掘されました。約3000年前の縄文時代晩期と考えられ、縄文遺跡において柱根の発見は県内ではじめてとなりました。現在は埋め戻されてあります。
 ※写真は用橋と記念碑

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 昭和53年、用の当時小学6年生だった斉藤正弘君と渡辺政紀君が発見。ヤマガタダイカイギュウは800万年前の海にすんでいたほ乳類で、ステラーカイギュウ(18世紀に絶滅)の祖先にあたるものではないかと考えられています。 海牛類の進化を知る上で世界的に貴重なもので県指定文化財となっています。
※大江町ホームページより抜粋
→詳細は大江町ホームページ(PC)

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 大永ニ年(1522)中山町長崎円同寺第6世領山呑察の開創。ご本尊は「如意輪観世音菩薩」。曹洞宗。

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 「日当りの良い日の午前10時半過ぎになると、はげ(明神断崖)の岩壁に、舟形光背の観音様の影が現れる」(真中・堀庄一さん談)ことで話題となっています。よく見ると、徳昌寺(用)のご本尊でもある右手を頬によせ首をかしげる如意輪観音の立ち姿に見えます。真中の稲荷神社や昌城院からよく見ることができます。

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 明神断崖頂上に鎮座している厳島神社は、大永2年(1522)に、徳昌寺の領山和尚が弁財天を祀り再建した旧弁財堂です。天保14年(1843)稲荷明神を合祀しました。明治の神仏分離令時に市杵嶋姫命を祀る厳島神社となりました。対岸の舟渡山ノ神社のものと同じ年享和3年(1803)に奉納された大江町で一番古い前句付けの俳額や、朝日町中沢の掘次郎右ェ門(周玉)作の騎馬武者絵馬と俳額があります。

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 厳島神社には三枚の竜の絵馬が奉納されています。社伝には「当社右に竜神ありと言い伝う。懸崖に穴あり故に穴山と云う。里人祈願の時穴の辺りに新餞を供えて祭る。按ずるに龍神はおかみ神を云う。」とあります。
 用地区の斉藤高治さんによると「戦後頃までは竜の穴に生卵を供えて祀っていた」と。似ている竜の絵馬は対岸の舟渡山ノ神社にも1枚あります。
※参考文献『海牛の里』(用公民館・編著/斉藤高治)



 明神断崖のあたりには、朝方に最上川から上がる細長い雲(霞)がよく見られますが、この写真は絵馬と同じ口を開けた竜の顔に見えたもので、竜神信仰の里に現れたとして話題となりました。(2008.10月)
参考写真(PC)

 明神断崖(用のはげ)頂上の厳島神社裏から朝日連峰大朝日岳を正面に、美しい朝日町の風景を眺望することができます。足許に注意。

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明神断崖と周辺風景(PC)


 この追分石は、大沼浮島経由で出羽三山にお参りする人達のための道標でした。上部には大日如来(湯殿山権現)を表す梵字が記され、右側に文政5年壬午年(1822)大や村、中央に「右大ぬま山、左よねさハ」と刻んである。
 もとは山の上の旧道に建っていたものが何回かの道路改修で現在地に移動したといわれています。
※『大谷郷』より抜粋

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 粧坂の墓地に高さ50センチメートルの五輪塔二基が建てられています。この塔はその形式から室町時代(1393〜1573)のものと推定され、小野清七・惣兵衛両家で建てたという記録が残っています。
 当時このような五輪塔を建てるには相当な格式と財力が必要だったとされますが、両家ともかなりの繁栄を誇っていたと伝えられています。
『大谷郷』より抜粋

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※国道287号線より粧坂地区へ向かい集落にはいる手前の墓地内にあります。

 月山権現領として天正12年(1584)一石六斗の土地を大江氏からいただいたものです。別当の小野家は代々「おつきやま」という屋号で呼ばれています。
※『大谷郷』より抜粋

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※個人所有地にに立ち入らないようお願いします。

 祭神は建雷命で区民からは「雷神様」と呼ばれ親しまれています。電力会社の人が雷が落ちないようにとお参りに来ることもあるそうです。毎年4月20日の祭りの日には多くの参拝者で賑わいます。
※『大谷郷』より抜粋

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 朝日町で唯一のめずらしい神社です。祭神は腰族の神といわれる腰王で、特に耳と腰の病の人が信心するとご利益があるといわれ、奉納するならわしの河原で拾った「穴あけ石」が、お堂の前に数十個供えられています。大江町所部の腰王神社から分霊されたといわれており、村人は「おこしゅうさま」と親しみをこめて呼んでいます。

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※国道287号線から中沢に向かい、粧坂へ入る道の次の細い農道を登ります。