朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

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 ニ渡観音は応永2年(1395)に建てられた町内でも古い観音堂で。堂内の縁起書によれば「白田内記家の先祖が月山参りの途中、白髪の老人に逢い『私はニ渡りの神なり、郷里に帰りニ渡の社を建て信心すれば必ずや村を守るであろう』というお告げがあったので社を建て自ら別当となった。」とあります。徳川将軍より二石六斗のご朱印状を受け、格式ある神仏として崇拝されてきました。
『大谷郷』より抜粋
五百川三十三観音第16番札所(聖観世音)朝日町大谷1858
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※大谷往来館や峯壇公民館のそばです。
秋葉山エリア(大谷)

 創建不詳。最上家親が寒河江城主であった慶長9年(1604)、堀(保利)内匠に与えた安堵状などからみて、400年以上も前と推測されています。最上家改易後、引き続き徳川将軍より二石九斗六升のご朱印状を受けています。
 江戸時代には180坪の境内をもち、本社、拝殿ともに10.5坪、稲荷社、鳥居などもあったという記録があります。現在は保利家の庭園内に記念の小祠が建てられてあります。
※『大谷郷』より抜粋
※個人宅につき見学不可。
秋葉山エリア(大谷)


 江戸時代の頃は、境内は990坪もあり、笹屋敷とか阿弥陀屋敷といわれていました。広大な境内には、本社、拝殿、鐘楼堂、鳥居が建ち、八幡領二十一石六斗四升のご朱印地を徳川将軍より安堵され、古くから格式ある八幡様として崇敬されてきました。明治に入り、神仏分離令により、八幡神社は別当である大谷家の門前に、阿弥陀如来は庭園内にとそれぞれ分離建立され現在に至っています。
※『大谷郷』より抜粋 
※写真は八幡神社
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※阿弥陀堂は屋敷内にあります。無断で入らないで下さい。
秋葉山エリア(大谷)

 あらゆる悩みや苦しみを身代わりし、どんな願いも叶えてくれるといわれ、昔から庶民の心のよりどころとして親しまれてきました。大谷にも主な街道の入口に六つの地蔵堂があったといわれ、村人の幸せや安全を守ってきました。愛宕地蔵尊・延命地蔵尊・鍛冶地蔵尊・永林寺延命地蔵尊・安産地蔵尊・えんこ淵地蔵尊(増水で流失)があります。(写真は鍛冶地蔵尊の万年堂)
※『大谷郷』より抜粋

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秋葉山エリア(大谷)

 昭和初期、村の主産業だった生糸が大暴落しました。このため開田計画を立て、昭和13年、用水確保のために大谷川をせき止め溜池建設に着手したのです。当時は日中戦争や太平洋戦争のさなかで資材が不足するなど困難をきわめていました。昭和19年には国の命令で、未完成のダムに貯水し田植えを強行させられましたが豪雨に耐えきれず決壊。さらに終戦を迎え復旧工事は中断します。長い苦難の歳月を経て、昭和24年の春についに完成しました。
 平成22年3月農林水産省のため池百選「馬神ため池と大谷の郷」に選ばれました。
※『大谷郷』より抜粋

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秋葉山エリア(大谷)

五百川三十三観音第15番札所。
馬頭観世音菩薩は牛馬供養の仏で、牛馬が死んだ路傍に造立し安全と生育を祈りました。また、悪人をこらしめ疫病を払い、養蚕の守り神でもありました。大谷には馬頭観世音の石仏が八基もあり、村人から厚い信仰をうけてきたことがうかがえます。以前は、馬神ダムの湖底になった大谷川のほとりにありましたが、昭和13年から始まったダム建設のため、現在地に移転再建されました。

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※大変分かりづらい場所です。予めエコミュージアムルームでご確認下さい。
秋葉山エリア(大谷)

 意外なことに大谷地区は朝日連峰を近くに見る事ができる場所です。猿田越峠や日光山の麓にかけてがビューポイントとなっています。また、たくさんの白鳥が餌を探しに大谷の水田を訪れる場所でもあります。3月下旬まで見ることができます。

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秋葉山エリア(大谷)

祭神は天照大神、熊野大権現、二渡大明神の三柱を合祀し、御神体は馬頭観世音の立像です。代々の祭主海野家所蔵の棟札によると、創建は万治3年(1660)とあり、弘化4年(1778)には再建されたことが分かります。海野家は、武田信玄の孫にあたる海野信治が寒河江庄大江高基に仕え、後能中に居を構えて開墾し野住村と称したとされます。鳥居の扁額「二渡宮」の字は若宮寺住職第20世盛恬和尚の揮毫とされます。例祭は4月19日。五百川三十三観音第28番札所。
※『ふるさと朝日町散歩』より抜粋
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 朝日連峰の朝日川流域には蜜源樹の“トチノキ”が多く自生し、養蜂業が盛んに営まれています。
 昭和63年(1988)日本ではじめての蜜ろうそく工房「ハチ蜜の森キャンドル」が朝日町に誕生しました。蜜ろうそくは養蜂で収穫される不用なミツバチの巣だけで作られます。
 工房では購入はもちろん、製作体験(予約制)もできます。また、季節事のワークショップも人気です。工房では蜜ろうや養蜂についての展示も見学することができ、6〜9月は観察巣箱も設置されます。予約すればスライド映写による説明もして下さいます。営業日/土・日・祭日 お問い合わせ/電話0237-67-3260
※見学は営業日のみ。
ホームページ(PC)

安藤竜二さん、菅井弘吉さん、遠藤 理さん、 多田光義さんのお話
蜜ろうの利用について
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※白倉橋手前の広場に駐車できます。


 三万年ほど前の最上川は、栗木沢から大谷地区を大きく迂回し、粧坂へと流れていたそうです。やがて明神断崖付近を直線的に流れるようになり、大谷地区は沼地や芦のしげる湿地となりました。秋葉山は川の浸食をうけず小山として残ったと考えられています。
※『大谷郷』より抜粋
秋葉山エリア(大谷)

 たび重なる災害で一切を失い由緒沿革については明らかではありませんが、中世時代の創建ではないかといわれています。真言宗智山派
※『大谷郷』より抜粋

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 町内でただ一社の八坂神社です。二間四面の社で優雅な彫刻は名工の作といわれています。記録などは火災で焼失しましたが、別当の志藤家によれば元禄14年(1701)に九州対馬の国より八坂神社の分霊をいただき川通にまつったと伝えられています。
 通称「きゅうり天王」といわれ、初なりきゅうりは必ずお供えし、最上川に流す風習が残っています。別当家には「荒神スサノオウが火の雨を降らせたたため、下界一帯は火の海となったが、きゅうり畑に逃げた人だけ助かった」という言い伝えが残ります。お供えするのはそのお礼、川に流すのは対馬の国に流れつくための祈りだといわれています。例祭は6月15日。
※『大谷郷』より抜粋

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※分かりづらいので不明な際は地元の方にお尋ね下さい。

 文化12年(1815)に作られた『川通往来』には、稲荷神社と難所だった旧道について次のように記されています。

 嶮岨にして山高きことはかり難し、上は峨々たる岩山にして、松の古木、藤、蔦咲き、誠に言い難き景山なり。
 急な崖の中央の切道を人馬往来する、下は大川にて逆巻く流れは矢のごとく、その音、山に響き難所なること日本一ともいうべき所なり。
 しかしながら、昔より一度も危うきことなく、これもひとえに大明神稲荷のご加護なり。

 有り難いご利益により長く崇拝されてきました。春の祭りは4月19日,秋の収穫祭は12月19日に盛大に行われています。
※『大谷郷』より抜粋

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※県道9号線に駐車して参道を登ります。
 

 五百川峡谷ビューポイントにも推薦された川通地区の最上川河岸にフットパスが整備されました。五百川峡谷ならではの切り立った川岸や、舟道、稲荷神社の御池とされた雪花渕と桜並木の風景などを眺めながら歩けるコースとなっています。また、村内には三瀧山観音寺をはじめ、古い絵馬のある観音堂、見事な彫刻のなされた町内唯一の八坂神社、町内で最も古いと推測される石仏などがあります。

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