朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報
ログイン
メモ メール アンケート カレンダー ブックマーク マップ キーワード スペシャル プロジェクト
大谷風神祭シンポジウム基調講演
大谷風神祭の特異性 〜あの賑わいはどこからくるのか〜

菊地 和博氏(東北文教大学短期大学部総合文化学科長・教授)

■はじめに

 子供が小学五、六年生の頃、夏休みの社会科の自由研究で白山神社と永林寺にお邪魔したことがありました。そこで何を一緒に調べたかといいますと、私の住んでいる東根市の若宮八幡神社神主三浦蔵人(みうらくらんど)と大谷の白山神社宮司の白田外記(しらたげき)が、永林寺に一緒に眠っていることでした。幕末にこの二人は組んで、薩長、薩摩・長州の官軍に対抗しようとして兵を上げたのですが、途中の寒河江川臥龍(がりゅう)橋あたりの川原で首切られるんですよね。
 それから、私はシシ踊りを全国的に調査しており、大谷の獅子踊りのみなさんにも大変お世話になっております。シシ踊りは、静岡県の真ん中あたりの掛川市にわずか一団体あるだけで、だいたいは神奈川県以北の東日本にしかない民俗芸能なんです。
 こちらでは、十五日の送り盆の時に境内で踊られますが、今となっては珍しいことです。東北地方では、ほとんどそういう風習はなくなってしまいました。現在は神社のお祭りなどで踊られていますが、本来は東北地方のシシ踊りは亡くなった方に対するお盆の鎮魂供養の踊りなんです。
 さて、大谷の風神祭は十数年前にはじめて訪れて素晴らしいなと思ってから、二、三度友人たちと来ています。ここに『山形県の祭り・行事調査報告書』というものがありますが、私は村山地域を担当しました。調査執筆委員が、これは特に取り上げたほうがいい祭りだな、と思うものを掲載する方針だったのですが、その一つに大谷の風神祭を選ばせていただきました。
 このようなことで、私は大谷にずっと親しみを感じています。今日はこのようなかたちでお招きいただくとは夢にも思っていなかったので、とても嬉しいです。


■風神祭のはじまり

 大谷の風神祭の由来・伝承を改めて確認しますと、白山神社の行事と
して宝暦年間(一七五一〜一七六四)に始まっていることが一つ大きなポイントです。宝暦五年は「宝五(ほうご)の飢饉」と言って、特に東北地方に大飢饉が起こった年です。この風神祭は、豊作祈願を祈る切実な気持ちで始められたということが見えてきます。神社とその集落の人々の暮らしと一緒になって作られてきた祭りなのだというふうに思います。
 さて、打ち上げ花火が明治以降加わっているということですが、どういう理由で始まったのかをご存知の方はあとで教えていただきたいんです。
 実は、全国の先がけでもある隅田川の花火は、江戸時代に飢饉で食べ物が無くて死んだ餓死者と、さらに、餓死する前に栄養失調になって体が弱り、疫病が蔓延して死ぬ疫死者の供養として花火を打ち上げられているのです。新潟県の長岡の花火大会は、戦死者を供養するねらいで始まりました。二年前の東日本大震災の夏もやはり供養の花火という意味で沿岸沿いで打ち上げられました。「三陸海の盆」と称して、花火を打ち上げて、弔いの芸能のシシ踊りや鬼剣舞などを踊りました。
 風神祭で田楽ちょうちんを持ち歩いていることや、供養の踊りである大谷獅子踊りが加わっているということなどは、やはり宝暦の餓死者などの供養という意味で加わった可能性もあると思います。

■盛り砂

 神輿が通る道筋に、大きな道路から細い路地、そして家の前まで点々と二、三十cmぐらいの間隔で「盛り砂」がまかれています。これは神の通る通り道を示しているんだろうと思います。これほど丁寧にやっている所というのはなかなかないです。祭りのとても素敵な風景ですね。
 この盛り砂というのは、古い時代に儀式や貴人、尊い人を出迎えるとき、車寄せの左右に高く盛る砂のことを言います。また、御所車みたいな牛車に位の高い人が乗って到着した家、その前の左右にも三角型に砂を盛るんですね。場合によっては、盛り砂の一番上に神社にある御幣を立てます。それから、お祭りで御神輿が一泊する場所の御旅所(おたびしょ)にも、ここに神がいらっしゃるということを示すために盛り砂をします。
 ですから、大谷の盛り砂はそれぐらい神様を尊くお迎えする神祭りだということを示しているのだと思うのです。私は、今まで見たことがなかったものですから最初に見た時はびっくりしました。これはとてもいい習慣だと思いますのでぜひ続けてください。


■参加型の祭り

 さて、資料の「大谷風神祭の特異性」というタイトルに「あの賑わいはどこからくるのか」と、あえてサブタイトルに付けさせていただきました。小規模な集落なのに、あれぐらい多くの、しかも若い小・中・高生たちが集まるっていうのが、私にとっては疑問だったのです。そこに何かカラクリがあるんだろうかと思うほどでした。
 ひとつはっきり言えることは、地区民参加型ということ。地区民が主役である参加型の祭りって意外とないんですよ。どうしても集客力アップのために、よそから歌手や漫才師などの有名人や演技者を招いて主役として組み立てることが多くなっていますが、こちらはまさに地元の人を資源として大事にし、それを基本として企画立案されています。ここがなんといっても素晴らしいことであり、祭りが盛り上がる要因になっていると思います。


■屋台(山車)

 具体的に言いますと、一つに屋台の寸劇・出し物が見事です。舞台から解き放たれた、路上でパフォーマンスをやっておられます。区によって出し物がかち合わないように、またバラエティーに富むよう棲み分けをしておられる。
 ここに飾っていらっしゃる大きな絵は、今年の屋台で使った人気ドラマ「水戸黄門」のバックに使った図柄ですよね。「西遊記」もやっていました。以前はNHK大河ドラマの「利家とまつ」や昔話の「花咲か爺」や「桃太郎」をおやりになっていた記憶もあります。民話・昔話などの題材はとてもいいですよね。日本人の心みたいなものを、このお祭りの賑わいの中で、それとなく、あまり説教調でなく伝えている。芝居って非常にいいですよね。
 そうかと思えば、いきなりの現代もの「ぱみゅぱみゅ」とか、昨年はダンスチームもあって、今流行の踊りや芸能を取り入れてやっておられる。古いものだけでなく、新しいのも一緒にやることによって若者も参加しやすい。そういう意味で大変成功している例ですね。路上でやるっていうのが、見る者・演じる者が一体化しやすくいいですよね。


■田楽提灯(でんがくちょうちん)

 子供たちの参加ということで、各自が持って行列する田楽提灯。祭りの中に、参加の時間と空間がちゃんと保障されているのですよね。みんなで祭りを盛り上げるんだという思いを、子供の頃から体験させている。提灯も出来合いのものを買ってくるわけじゃなくて、手づくりということがまたいい。そして、近代的な灯りではないロウソクが中でボーっと灯って、まだ真っ暗ではない夜の帳(とばり)が降りる頃に、たくさんの提灯がスタートする。中々いい光景が見られます。
 この田楽提灯のパレードというのは、実は私の東根市でも「動く七夕提灯行列」ということで毎年八月十日の夜にやっています。戦前からあり、以前は子供の集団の先頭に音楽隊が付いていました。私も小さい時に参加したんです。音楽隊のうち小太鼓をさせていただいたり、それから田楽提灯に自分の好きな絵を描いて、友達と持って歩きました。
最初にこちらにお邪魔した時、同じものがあるということでびっくりしました。向こうが七夕提灯行列、こちらは風神祭の提灯行列なんですよね。
 これと同じのは秋田に割りと多いんですよ。秋田県上小阿仁村の「ネブ流し」。やっぱり七夕の提灯行列です。それと、岩城町の「刻(とき)参り」は、主に将棋の駒みたいな形ですね。でもこれらがどこで繋がっているのかどうか、その背景や理由を明らかにするのはちょっと難しいですね。
 近年、なかなか子供が少なくなり大変な側面があるかと思いますが、ぜひ続けていただければなと思います。


■角田流獅子踊り

 大谷獅子踊りが風神祭に加わっているというのも特徴の一つですね。
 ここの獅子踊りの伝来は宮城県の角田市から伝承されたとされますが、角田市には今現在獅子踊りはないんですよね。かつてあったことも、もちろん考えられるんですが、角田流っていう名前が、どこからそうなったのかがいま一つ分からないのです。
 今後の手がかりとしてシシの頭数があります。大谷の獅子踊りは三頭のシシ踊りですよね。あと、八ツ沼獅子踊りもそうです。でも、三頭というのは山形県では置賜だけなんです。村山・最上・庄内は、最低でも五頭です。それからあと七、八、というふうに多くなっていきます。東北のシシ踊りは頭数が多いです。関東のシシ踊りが三頭なんです。不思議なことに、この三と五と七とかっていうシシの頭数は、同じ市町村内や地区内でごちゃごちゃあるっていうことは絶対にないんですね。不思議なほど一定のエリアで棲み分けが出来ているんです。これは、東日本全域見てもそうなんです。この頭数からシシ踊りの根拠というか伝播されたかっていうことがある程度分かってくるんです。このことから、大谷獅子踊りは、村山地方南部でありながら置賜圏域に属するものだということがわかります。
 これを考えるのにもう一つヒントがあるのが暴れ獅子です。

■獅子神楽

 あばれ獅子は、村山地域と置賜地域との文化的融合性を感じさせるものです。あばれ獅子のあの姿ですが、何人か中と外に複数で幕を支えています。そして時折元気につっこみますね。そして地面を這うように頭(かしら)を動かす。なかなか見事で凄い芸だと思います。あの踊り方は、やはり置賜なんです。置賜は“黒獅子”とか“ムカデ獅子”というのですが、黒獅子と呼ぶのはカシラが黒いからなんです。 大谷のは赤いカシラですよね。これは見慣れた「唐獅子系」なんです。ところが置賜の黒は「蛇頭(じゃがしら)系」と言って、蛇とか龍とかを意味しカシラが平べったい。大谷のは少しカシラが立ってる。置賜はムカデ獅子であり幕の中に二十人くらい入るんです。南陽の熊野大社のシシ(「獅子冠」といいます)は、大谷みたいに脇からひっぱってますね。中にも入ってる人いますけど、さらに外にも出ている。
 以上、シシが三頭であることやムカデ系獅子舞ということから、大谷は村山地域と置賜地域の境界にあたっていることもあって、双方の文化的要素が溶け合ったということが考えられる。


■望まれる参加型の祭り

 私が住んでいる東根市の若宮八幡神社にも「風祭り」があるんです。今は八月最後の日曜日にやっているんですけど、私が小さいころは盛大な祭りだったんです。この祭りでは「若宮八幡神社太々神楽」という神楽が、毎年境内の舞台で演じられています。江戸時代から続く素晴らしい芸能です。そのほかに子供の相撲大会、これも少なくなったけれど今もやっています。それから剣道大会、柔道大会には、近隣から境内が溢れるほど大人や子供がやってきたんです。そして出店もこちらと同じくらい並びました。大谷が四十店近く出るというのは凄いことです。八幡神社では今ではもう少なくなって三つか四つくらい、まったく寂しくなりました。
 私はその神社の四軒下った場所にある家に育ったので、小さい頃の賑わいをはっきり覚えています。境内で相撲してみたり野球してみたり、神社とともに育ったみたいです。そのお祭りは楽しくて心待ちにしていました。学校は半分休みで、相撲大会に出るため授業は午後から終わり。昔の学校って地域と一体で、お祭りがあるとお休みだったんですけどね。今は、そういうのがないのは残念です。
 大谷ではずっと江戸期以来の賑わいを保ち、参加型が続けられていますが、これとは正反対に東根の若宮八幡神社の風祭りでは地元参加型がほんとに少ないんですよ。
 こちらの風神祭は子供や大人ともに七区あげて参加する。屋台、出し物それぞれ工夫を凝らしてやる。その練習も辛いだろうけども楽しい。参加するための練習を公民館で一生懸命やって、そこで人間関係が作られる。祭りの時の披露だけでなくて、子供も大人も準備の段階がとっても大事なわけですよ。私は、まざまざとその比較ができますので、こちらの賑わいが羨ましくてしょうがない。やっぱり若宮八幡神社の風祭りが賑わいを取り戻すためには、地域住民が参加してみずから楽しむ企画内容を工夫しなきゃ駄目だと思いますね。ただ来て下さいだけではなく、その祭りを見る人も一緒に楽しむという、そういう空間・場をつくらないといけないだろうと思います。


■神なき祭りと神々の祭り

 最後になりますが、現代の祭りは、あんまり祈り・願いなんて考えない「神なき祭り」が増えている。つまり、祈りを捧げる神様などはあまり意識しない「よさこいソーラン」なんてやっていらっしゃる場合が多い。それに対してこちらの祭りは、伝統の祭り、神々の祭りなんです。白山神社の神に対する、あるいは風の神に対する切実な祈りと願いですね。それらが中心として成り立っている祭りなのです。
 そういう意味で、私たちは自然に対する畏れや祈りを取り戻す必要があると思いますね。あの大震災を経験して自然の威力を感じ、やっぱり私たち人間のやれる範囲っていうのは限られていることが分かりました。科学技術も大事だけれども、やっぱり風の神、山の神、田の神、川の神、海の神とか、そういう自然の神々への祈り・願い、畏れ敬う気持ち、つまり信仰心を持ち続ける。傲慢な気持ちを排除して敬虔な気持ちになって、自然と折れ合いながらささやかな幸せを求めていかなければならないと思います。 
 風神祭というのは、風の神に対して五穀豊穣、悪疫退散、身体堅固、地域社会の平穏な生活の保証を切実に祈り、願いを託する。近代社会になって合理的な世の中になっても、こういう心を大事にすることによってそこに暮らす人々の絆が深まり、集落にまとまりが出来ていく。それが、小さくてもキラリと光る大谷をつくりあげているんだと思っています。ぜひ住民参加型を大事にしてこの祭りを続けていってください。


菊地 和博(きくち かずひろ)氏
昭和24年(1949)生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。文学博士(東北大学)。県立高校教員、県立博物館学芸員などを経て現職(東北文教大学短期大学部総合文化学科長・教授)。専門分野は民俗学・民俗芸能論。主な著書は『シシ踊り 鎮魂供養の民俗』(岩田書院)『庶民信仰と伝承芸能』(岩田書院) 『やまがた民俗文化伝承誌』(東北出版企画)『山形民俗文化論集1 やまがたと最上川文化』(東北出版企画)『手漉き和紙の里やまがた』(東方出版企画)など。」

大谷風神祭
小径第15集『大谷風神祭』

 朝日町には山形県指定無形文化財の角田流獅子踊りが、八ッ沼地区と大谷地区に伝承されています。今年は8月15日に両方の獅子踊りが披露されます。旧暦閏年の今年は八ッ沼春日神社大祭で大名行列が行われ獅子踊りも披露されます。また、大谷地区は毎年送り盆の15日に「供養獅子」として永林寺境内で披露されます。両方見られるのは4年に一度のチャンスです。ぜひご覧下さい。

■八ッ沼獅子踊り 午前8時半春日神社祭礼 9時10分に神社出発     
■大谷獅子踊り 午後5時半過ぎより永林寺本堂前
※時間は前後する場合があります。お早めにどうぞ。

※写真は大谷角田流獅子踊り
八ッ沼の大名行列と獅子踊り

 八ッ沼春日神社例大祭の大名行列が行われる8月15日、同地区内の旧三中分校舎(県指定文化財)を見学できます。エコミュージアム案内人が解説いたします。また、町内で伝承されている火縄銃実演(森重流砲術伝承会)も見学できます。一石三鳥です^^ぜひご覧下さい。
 ■ふるさと歴史探訪(無料)
 ・旧三中分校舎 10:00〜14:00
 ・火縄銃実演  10:30〜11:00

詳しくはこちら
ふるさと探訪
旧三中分校について
大名行列について
  
※写真/萩原尚季(コロン)
394.5KB - PDF ダウンロード

↑上記ダウンロードボタンよりpdfファイルを開くことができます。

今年は旧暦のうるう年なので、朝日町八ッ沼の春日神社例大祭で大名行列が行われます。
 ■8月15日午前8時半 神社奉納後に行列出発

詳細はこちら
八ッ沼の大名行列
お通り絵図(コース)もダウンロードできます。
694.6KB - PDF ダウンロード

(記事 / 町報あさひ 昭和36年(1961)8月5日号より抜粋)

堀敬太郎さんのお話

 昭和三十六年の町報あさひに、花火に関する詳細が出ています。
 大谷地区では江戸時代から花火を打ち上げておったといわれておりますが、本当かどうかの確証はありません。しかし、この記事には、江戸時代には火薬の取り扱いは医者が扱っており、白田内記家が白田医者を製造元として「旭連」という連を作ったと。そして白田外記家は、ちょうど今の鈴木床屋辺にあったといわれる浜田医者を製造元として「松本連」をつくって、お互い競い合って花火を打ち上げておったと書いてあるんです。それが明治になり、警察がほとんど火薬を取り扱うようになって、勝手に花火を作ることができなくなり、さあ困ったということで、東の白田藤三郎さん(昭和三十九年に亡くなって、ちょうど今年が五十回忌)を福島に花火師として養成するためにやったと。
 そこで勉強して大谷に戻り、松本連、旭連を解消しまして「旭連金玉屋煙火製造販売業」という会社を興して、大正14年まで製造販売もしたと。ちょうど愛宕様に火薬庫があったと昔の人から聞いておりますし、実際製造したことは間違いないと思います。私たち小さい頃はよく花火屋、玉屋って呼んでいました。今も屋号は花火屋ですね。白田八郎さんの小屋に行ってよく花火の殻なんかも見たことがあるので、製造したことは間違いないと思うのです。それが大正十四年まで続いたというふうに書いてあります。
 そして明治四十三年に東北の花火大会に白田藤三郎さんが出場して、第三位になったんだそうです。その時の賞品が柱時計なんだけど、残念ながらこれはないそうです。今は孫さんが打ち上げを現在も継続してやっています。
(大谷風神祭シンポジウム・パネルディスカッション 2013.9.25)
エコミュージアムの小径第15集『大谷風神祭』より抜粋

上記ダウンロードボタンで記事のPDFファイルが開きます

大谷の花火打ち上げ
大谷の風神祭
空から人形!?人形傘花火
小径第15集『大谷風神祭』

186KB - PDF ダウンロード

白田寿春さんのお話

〔祖父と父のこと〕
 うちは玉屋とか花火屋とか呼ばれている。じいさんの藤三郎が花火を作って打ち上げていたんだ。そして、親父の八郎がその後を継いだ。だけど、花火製造は、規制がだんだん厳しくなったのと、危険を伴う仕事だったのでしなかったんだ。
 じいさんの花火を作る木型とかあったけね。火薬を入れる丸い紙のお椀を作るもので、木の球になっている。そこに何枚も何枚も紙を重ね貼りして、最後に包丁を入れて二つに割るんだな。刃物の跡がついていたっけね。三寸玉とか五寸玉とかのお椀を、昔は、そうして全部手作業で作っていたんだな。
 子供の頃、白山神社のお祭りや学校の運動会の日に、昼間の花火を上げるんだけど、ちょうど学校の裏のほうの田圃で親父が打ち上げるから自慢だったね。その頃はパラシュート入れてあったから、それを拾いたくてみんなで田圃の中をこいで行ったりもした。じいさんもそういうのを作っていたようだ。殻玉も魔除けになるからみんな拾うもんだったね。
 親父にはよく追っかけていって打ち上げする所を見ていた。大船木の橋が完成した時や上郷のダム祭りの花火打ち上げにも行った。親父が打ち上げる姿はかっこ良かったね。

〔松田花火屋(中山町長崎)とのつながり〕
 その頃は、長崎の松田花火屋が作った花火を買って打ち上げていた。松田さんの話では、花火の作り方を、私の曾じいさん(藤三郎の父)から、松田さんの曾じいさんが教わったのが親しくしている始まりだと聞いている。
 親父に「お前もしてみろ」みたいなことをよく言われていたから、自然とするようになったんだ。手伝い経験3年以上で講習を受けると「煙火打ち上げ従事者」という資格をもらえるので23歳の時にとった。松田花火屋所属を表す自分の番号がもらえる。
 俺がするようになってから、山形や左沢の花火大会にも松田花火屋の手伝いとして行ったことがある。宮城県で花火を製造している仲間も呼んでやるんだっけ。今は、県外から入って来るようになって呼ばれなくなったね。

〔風神祭の花火打ち上げ〕
 風神祭(8月31日)の花火打ち上げは、あの頃は連合区とは関係なかったから、親父も一人でバイクに乗って寄付集めしているんだっけ。寒河江や山形までも行くっけね。
 昭和46年頃に、うちでだけするのは大変だということで、連合区さお願いするようになったんだ。ちょうど東区でやっていたお神楽(大獅子)も各区で回すようになった時だった。
 俺は静岡で働いていたので、毎年風神祭の時には帰って来て打ち上げを手伝うんだっけ。親父は俺が33歳の時、62歳で亡くなった。その年は、お袋にもだんどってもらって、松田花火と一緒にあげたんだ。
 打ち上げするのに最低5人いるから、今でも風祭りの時に松田花火に来てもらっている。筒を立てるための杭立ての準備は、朝からしないと間に合わなくなる。3号と4号を10本ずつ、あとは5本ずつ立てる。
 打ち上げは、線香花火みたいに散る小さな火種があって、それに火を点けて筒の中に上から入れる。すると筒底に敷いておいた黒煙火薬が爆発して玉は上がっていく。その時に、同時にへそ(導火線)にも火がついて、上まで行って中の色付きの火薬に引火して玉が開くんだ。ちょうどいい高さで開くように火薬の量を調整する。
 万一、筒に火薬入れるのを忘れると、上がらないで筒割れして吹っ飛んでくるから危ないなだ。「騒がずゆっくりでいいから火薬はきちんと入れるべ」と呼びかけながら作業している。
 火種を筒に入れると、一瞬のうちに花火は飛び出すけど、火花も筒から飛び出すから、その火花を被らないように風向きを考えて入れるようにする。背中に入ったりしたら大変だからね。火種を持つ指先なんかは、いつもピリピリ火傷している。好きでないとできない仕事だね。
 打ち上げは、行列している人達も見て楽しめるように、見えやすい保育園の所を通過している時とか休憩している時とかに集中して上げるようにしている。
 俺は、行列に混ざったのは小学生の時にちょうちんをたがったのが最後だったね。風祭りの行列は近くで見たことないな(笑)

〔やりがい〕
 嬉しいのは玉が上がっていって無事開いた時だね。一発、一発嬉しくなる。そして、すべて無事に終わった時は、やっぱり安堵感はあるね。特に去年は途中から土砂降りだったから、濡らさないようにするのが大変だった。事故がなくてほっとした。あんなことは初めてだったけ。部落の年寄りからは「大変だったな」と声かけてもらえるね。
 大谷の花火の歴史は古いし、大切な役割だと思っている。うちも代々花火屋しているから無くさないで続けていけたらと思っている。なにより、大谷の皆さんの協力でできているので、これからも喜ばれる花火を上げていきたいね。

取材/平成26年3月

■白田寿春(しらた・としはる)さん
昭和31年1月11日生まれ 昭和55年に煙火打上従事者資格取得。平成2年より父八郎氏に代わり大谷風神祭の花火打ち上げ従事者となる。

上記ダウンロードボタンで印刷用PDFファイルが開きます。

大谷の花火の歴史
大谷の風神祭
空から人形、人形傘花火
小径第15集『大谷風神祭』

榊寿太さんのお話

 夜の花火も良かったけど、昼間の花火も楽しみだった。人形傘が落ちてくるんだっけ。空のうえで爆発すると、鉛の重りに引っぱられて降りる。すると中に空気が入って人形の形にふくらんで、ぶーら、ぶーらと等身大くらいの人形が降りてくるんだ。大黒様とか恵比寿様 福助様とか姉様の人形で、色の付いたものだった。
 集団での競争心理というのか、それを競い合って拾うのが楽しかったんだね。これが祭りだもんね。それは子供ではなく、青年団が拾うものだった。火災予防のお守りとして玄関に飾るから、大人も一生懸命探したんだな。拾った優越感もあったんだべな。おらだは拾えなかった。とても子供達が拾えるようなものではなかった。
 燃えて降りてくることもあったから、火災予防上危なくて無くなったんだな。
(2014年3月取材)

大谷の花火の歴史
大谷の花火打ち上げ/白田寿春さんのお話
大谷の風神祭
小径第15集『大谷風神祭』


 高田のホタルが見頃になったと情報をいただきました。「見頃は、毎年6月20日から7月10日頃の夜8時〜9時頃。ピークは6月末頃。夜でも気温が高く、湿った空気の時にたくさん見られる」とのこと。どうぞ出かけてみて下さい。
※詳しい場所はエコルームまでお問い合わせ下さい。
メダカの高田分校とホタルの里
高田メダカとホタルの里マップ
「ため池百選」(農水省)に選ばれた大谷のため池群の一つ、「谷地山三連ため池」(渡邉勝美さん所有)の睡蓮が、今年は例年より早く開花し見頃を迎えています。湖面を埋め尽くす優しいピンクの美しさに心癒される風景となっています。安全とマナーに気をつけて見せていただきましょう。

アクセスマップはこちら
大谷の睡蓮ため池
渡邉勝美さんのお話
フォトギャラリー


890.1KB - PDF ダウンロード

「私たちの先祖は、日本には八百萬の神の社が様々あるのに、私たち生き物にとって一分一秒その恩恵をいただかなければ死滅してしまう「ありがたい空気」を祀る事を忘れていた」故白川千代雄氏

空気に感謝! 空気を産み出す自然に感謝!
今年も空気神社の祭礼がアースデイに開かれます。祭礼では、年に一度の「御開帳」や鏡上での「みこの舞い」奉納、「浮島雅楽」の演奏が行われます。また、朝日町の特産品の販売や、手打ちそば、ツリーイング(ロープで木登り)、釣り大会、など楽しめるコーナーも充実しています。

日時 6月5日(木・空気の日)7(土)・8日(日)
会場 空気神社・Asahi自然観
主催 空気まつり実行委員会
問い 朝日町役場総合産業課 ☎0237-67-2113

詳しくは↑上記ダウンロードボタンよりPDFチラシをお開き下さい。

空気神社の誕生
空気神社エリア概要
朝日町観光協会ホームページ

 樹齢100年以上といわれる紅玉の木は見事に美しい花を咲かせ、たくさんのミツバチ達が花粉交配に働いていました。
 園主の菅井敏一さんによると「山形に果樹試験場ができた時に植えられた5本のうちの1本を残しておいたもの。100年こえているりんごの木は青森でも少ないのでは」とおっしゃっていました。
 また、収穫されたりんごは生きていることを教わりました。「りんごを磨くと気孔を閉ざすことになるので息が吸えなくなって死んでしまう。磨いたらすぐに食べて欲しい。凍ったりんごも、水が凍る時に針状になるから細胞が壊されて死んでしまう。」
 さらに和合平のりんごについて「ここは白鷹山の火山灰が混じった深層強酸性の土。重たくて固くて酸が強いから長持ちする。フジの場合は、普通は収穫した時が一番おいしくなる。ここのは、一週間から10日位で気にならない酸味になり、収穫時よりもはるかに美味しくなる。そして一か月そのおいしさが続く」と。とても興味深い話を伺うことができました。
 秋にまたお邪魔します。菅井さんありがとうございました。

朝日町最古のりんごの木
朝日町のりんご栽培の歴史
見学会「朝日町りんごのはじまり物語 」(H15)
見学会「あっぷるニュー豚とりんご誕生物語」(H26)
                   


 朝日町のりんご栽培のはじまり頃の木とされる、紅玉の古木がまもなく開花を迎えます。写真は昨年秋の実りの様子。母なる樹に抱かれるような不思議な気持ちになりました。
 園主の菅井敏一さんいわく「咲き始めの赤い色がまだ残っている位がきれい」と。菅井さんに許可をいただきましたので6日に見に行こうと思っています。
 せっかくなので一緒にどうですか! 行ける方はご連絡下さい。

■5月6日(火)午前10時
朝日町エコミュージアムコアセンター「創遊館」エコルーム前集合 

朝日町最古のりんごの木
見学会「朝日町りんごのはじまり物語 」(H15)
見学会「あっぷるニュー豚とりんご誕生物語」(H26)
 朝日町エコミュージアム協会では、2年にわたり250年の歴史を誇る大谷地区の風祭を活動テーマとし、多くの皆さんにその魅力を教わりましたが、この程、その集大成がついに完成しました。
 住民ひとり一人は学芸員のエコミュージアムのコンセプトのもと、大谷の皆さんのお話で構成されており、昨年開催したパネルディスカッションや田楽提灯作りワークショップの様子なども収録。歴史、神輿、お神楽、獅子踊り、屋台、露天、花火など60ページにわたり大谷風神祭の特異性がせ分かる内容となっています。
 制作にあたりましては多くの皆様にご協力いただきました。心から厚く御礼申し上げます。

※実費で頒布いたしております。

■朝日町エコミュージアムの小径第15集『大谷風神祭』
発行/NPO法人朝日町エコミュージアム協会・大谷風神祭シンポジウム実行委員会
(A5版60頁)

目 次
1、大谷風神祭シンポジウム報告 
〔1〕基調講演
 「大谷風神祭の特異性 〜あの賑わいはどこからくるのか〜」
  講師 菊地和博氏(東北文教大学総合文化学科長)
〔2〕バネルディスカッション
 パネラー
 白井淑浩さん(大谷風まつり実行委員会委員長)
 堀敬太郎さん(風和会会長)
 白田敏男さん(大谷獅子踊り保存会副会長)
 菊地和博さん(東北文教大学短期大学部総合文化学科長)
 コーディネーター 
 長岡信悦 (NPO法人朝日町エコミュージアム協会)
〔3〕展示 
 立体画像で甦る「大谷の江戸時代の町並み」
 古い写真や広報記事・白山神社で見つかった雅楽器「鳳笙」
2、歴史について        堀敬太郎さん
3、神事と神輿渡御について   豊嶋宏行さん(宮司)
  コラム お供え物について  志藤富男さん
4、お神楽(獅子神楽)について 志藤富男さん
5、義父の提灯絵付けについて  菅井かちさん
6、田楽提灯作りワークショップ報告・作り方・お話
             講師 柏倉儀一さん・畑 俊美さん
7、大谷角田流獅子踊りについて 大谷獅子踊り保存会の皆さん
8、屋台の思い出        白田辰雄さん 榊寿太さん 堀敬太郎さん 
9、各区の屋台のこだわりと見どころ 各区長 
10、大谷の花火打ち上げ    白田寿春さん
  コラム 人形傘花火    榊寿太さん
11、露店について       白田都一郎さん
12、消防団の役割       榊寿太さん
13、白山神社の鳳笙      豊嶋宏行さん(宮司)

資料「大谷の風神祭」堀敬太郎氏 
あとがき 長岡信悦(NPO法人朝日町エコミュージアム協会)  
添付資料 大谷風神祭行列巡行マップ&見どころ
イラスト 平成風神祭絵巻他/安藤ゆふみさん

伊豆大権現神社の種まき桜(樹齢700年以上・エドヒガン)が満開です。ライトアップも最高に美しいです。ぜひお訪ね下さい。
※写真は22日撮影

種まき桜
伊豆大権現神社(朝日町宮宿)