朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

 歴史の深い八ツ沼地区には、まつわる七不思議伝説があります。古道を歩きながら、それぞれの伝説の場所をめぐります。

コース/八ツ沼公民館〜小関檀〜首なし地蔵〜春日沼〜大石の化け石〜ちょうちん石〜五本樋〜八ツ沼公民館
案内/宮本建一
 八ツ沼地区は、中世には「五百川城趾」(永禄8年(1565)原美濃守が城主の時、最上義光に攻められ落城)があり、深い歴史と伝説の数多く残る地区です。原家が建立した春日沼ほとりの春日神社、空堀・大堀の残る五百川城趾、弘法大師が開いたとされる若宮寺、明治15年(1882)竣工の丸窓和洋風三階建ての木造校舎三中分校と、どっぷり八ツ沼地区の歴史をふれられます。

コース/八ツ沼公民館〜春日神社〜五百川城趾〜若宮寺〜旧三中分校〜(佐竹家住宅)
案内人/宮本建一
 八ツ沼は康平の頃(1058−1064)は、 沼が多かったので、多沼村と言っていた(13沼)が、その後沼の数が八つに定着したことで、八ツ沼になったとされています。その沼は、1.本社の大沼(春日沼)2.滑田の諏訪沼 3.果沼の薬師沼 4.山屋の菖蒲沼 5.大沼道の芦毛沼 6.荒谷の荒沼 7.明端の葦沼 8.大田代の雨沼であるが、今では本社の大沼(春日沼)だけが残っています。
お話 : 小松寿一さん
(平成10年 旧三中分校シンポジウムにて)
 文明元年(1469)越前敦賀より原越後守が一族郎党を引き連れ築城しました。永禄8年(1565)四代原甲斐守の息子・兼道と鳥屋ヶ森城主岸氏の娘・弥生姫の婚約成立をもって、山形城主最上義光との五百川合戦につながり両城ともに落城します。(天正9年・12年落城説あり)慶長5年(1600)の出羽合戦では上杉勢により攻略されます。矢引き場、人見穴、堀切、曲輪、旗柱跡などが残っています。
小松寿一さんのお話
八ツ沼城の落城

歴史見学会 「朝日町の天地人」(PC)
アクセスマップはこちら
※対岸の農面道路からご覧下さい。
※城跡内部の見学はエコミュージアム案内人の会にお申込み下さい。
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 春日神社例大祭(8月15日)の旧暦うるう年に伝統の大名行列が行われています。
 この大名行列の起こりは、寛政年間(1789〜1800年)と云われています。その当時、左沢百目鬼川原の領地をめぐって争いがおこり、なかなか解決しませんでした。そんな時、旧夏草村の佐竹文右ェ門という人が証人として発言をし、無事に解決をすることができました。左沢領主であった酒井候が褒美をとらせると言ったところ、佐竹文右ェ門は「このたびの問題解決は春日神社のご加護のおかげです。大名行列の許可を賜わりたい」と願い出て、許されたものと伝えられています。
 大名行列では、伝統芸能の「八ッ沼獅子踊り」や「奴振り」も披露されます。
(『八ッ沼物語』より抜粋)
※上記ダウンロードボタンより大名行列のお通り絵図(コース)を取り出せます。

大名行列の様子(2009年)
八ッ沼 春日神社
八ッ沼の獅子踊り/田川順一さんのお話
八ッ沼の奴振り
八ッ沼エリア
関連書籍『八ッ沼物語』
 寛治4年(1090)、若狭守蔵人が、源義家に従って清原の残党・平田次郎・五郎を討ち取った功績が認められ、八ッ沼の地を賜り移り住み、砦を築いたのがはじまりとされています。建久年間(1190〜98)には、子孫の重経が藤原泰衡の家臣・谷川右京を討伐し簡単な塞を築城しました。八ッ沼城は、正平年間(1346〜69)に長崎城主と戦って討死するまで代々若狭守が治めました。

小松寿一さんのお話
八ツ沼城の築城
アクセスマップはこちら
※館山の西側です。私有地につき対岸の道路から遠景でご覧下さい。
 旧うるう年の8月15日に行われる春日神社例大祭の折りに、伝統の大名行列が行われ、その一部として「奴振り」が披露されます。
 先頭から、先箱二人、大鳥毛一人、立ち笠二人、草履取二人、後箱二人、花歌三人の計12人で構成されています。

大名行列の様子(2009年)
八ッ沼 春日神社
八ッ沼の大名行列
八ッ沼の獅子踊り
八ッ沼エリア
関連書籍『八ッ沼物語』
 八ツ沼には、七不思議を始め、七名所、六森等があります。
「七不思議」は、1.鈴ヶ森の鶏の声 2.沼中の変水 3.沼尻の阿吽の清水 4.大石の化け石 5.大石の提灯石6.小関壇の異変 7.自在坊の活地蔵 
「七名勝」は、1.本社(春日神社)の境内 2.沼中(春日沼)の夫婦岩 3.鴻の森の熊野神社 4.若草山の眺望 5.果沼の薬師堂 6.旧城跡(八ツ沼城)の七つ井戸 7.八ツ沼の鐘楼堂
「七名物」は、1.春日沼の源五郎鮒 2.芦毛沼の左巻田螺 3.油子沢の岩まめ 4.滑田の芹 5.長根の小百合 6.大刈屋の赤泥鰌 7.家向の痩せ蕨
「六森」は、1.糖塚森 2.前森 3.田中森 4.若草森 5.鈴ヶ森 6.弁天森
「三石」は、1.大石の臼石 2.若見谷の碁盤岩 3.糖塚の神楽岩

お話 : 小松寿一さん(八ッ沼)
※平成10年 旧三中分校シンポジウムにて
田川順一さんのお話

〈獅子踊りは、子供がする〉
 八つ沼の獅子踊りの獅子は子供がするものだ。獅子は三人牡獅子(オジシ)、雌獅子(メジシ)、供獅子(トモジシ)だ。それに、笛が三人「天」「地」「人」そして、太鼓が「太陽」「月」「雷」の三人で構成されている。
 子供の獅子踊りは珍しいものだ。東北の大会に行ったことがあるが、他はすべて、大人の人が獅子になっていたようだな。大谷の獅子踊りも大人だな。
 ここの、獅子踊りは、小学校三年生くらいになったら始めるのだ。そのころになったら、踊れる体力ができるということだ。
 なぜ子供が、それは、かわいいからだな。ここの獅子踊りは、春日神社のお祭りに合わせているので、昔から、旧暦の閏年にする。だから4年に1回だ。うまくその年にあわないと獅子踊りの仲間に入れないのだ。三年生か四年生で旧暦の閏年になると入れるのだな。

〈昔は道路で練習をした〉
 昔は、三人だけしか練習しなかったので、ケガとか病気ができなかったのだ。春日神社の祭りは、必ず八月十五日と決まっているので、練習は七月の中頃から毎晩一ヶ月も続くのだから、それは大変だ。昔は公民館もなかったので、八ツ沼の道路に裸電球を家から出してしたものだ。だから、雨の日は休みだった。今は公民館があるので雨の日も練習する。演目は全部で二十いくつかある。
 「通し」ですると、五十分もかかるのだから、それは覚えるのも大変なものだ。昔は、他に楽しみなんか無かったので、練習だというと、子供や大人がたくさん集まったものだ。だから、見ていて覚える子供も多かった。選ばれた子供はうれしかっただろう、親達も誇りに思っていただろう。

〈親子3代で出た〉
 今は、一日だけだけど、昔は、祭りの日の本番と、氏子総代とか、役員衆の家回りとか、協力部落の西船渡なんかも回ったので、三日はかかった。大変だったなあ。
 本番当日は春日神社で半分踊って、行列作って関所、関所で踊った。関所て、この辺では『宿』て言うけど、下宿、中宿、上宿て言うんだけど、そこでも踊った。そして、若宮寺では全部「通し」で踊った。そして、納めということで、春日神社で残りの半分を踊るのだ。今は一日で終わるので、西船渡にもその日に回っている。体力はいるのだ。
 獅子は三年生くらいの子供がいい、見るからにかわいいから。牡獅子は、踊りのリーダーだから、六年生位かな。雌獅子も、高学年だな、初めて入った子供が、供獅子になるのだ。当たる人は、三年生から初めて、何回も踊ることになる。昔の閏年は4年に1回ではなく、一年おきとか、二年おいてとかあったからな。俺は、踊りでは二回くらいかな、その後は、笛で高校生から何回も参加した。それに、田川家は笛とか、佐竹家は太鼓とか家によって代々決まった役があったような気がする。俺の家では、親父が、頭取、俺が笛、息子が獅子踊り、なんて、親子三代で出たこともある。親子二代なんていくらでもあるな。

〈大名行列、昔は320人〉
 獅子踊りは、踊り三人、笛三人、太鼓三人だが、道化役の「三八(さんぱち)」てのがあって、ヒョットコの面をかぶっておどけるのだが、この人が、すべてを把握していてだれかが間違えると、さっと行っては直させるのだな。獅子踊りは大名行列の中にいるのだ。道中お殿様が疲れたときに慰めるのだ。行列は、本当はすばらしい人数がいるものだ。本なんかによると、三百二十人ちかくなっている。今はそんなに人がいないから。先払い、御神輿、奴、天狗、武具、槍や鉄砲だな、大獅子、氏子総代、獅子踊りの順だな。
 獅子踊りをしたときの楽しみ、子供のころは、氏子とか、役員衆の家を回ると、必ずごちそうが出るから、それが楽しみだった。お盆のごちそうだから、スイカとか貰えたからな。今みたいに、練習のときに、ジュースが出たりとか無かったな。サイダーが出たかな、いや、そんなこと無かった気がする。それに楽しみは、『花』だな。あれが貰えるのを楽しみにしているな。

〈今は子供全員が参加〉
 今は全員の子供たちが参加するようになった。子供の数も減ったから。昔は一杯いたのだが、今は全員でも九人くらいだ。だから、今は此の部落に生まれた子供は男の子なら全員する。そして交替交替で踊ることになっている。だから部落全体の行事になるのだろう。女の子は参加しない。このお祭りは、女は参加しないのだ。ただ、子供会は別で、女の子も大獅子の幕をひっぱったりしている。獅子踊りの「かぶりもの」は張り子で作られているので、雨が降ると傷む、そのときは、修理しながら使っている。
 「かぶりもの」は山鳥の尾羽根と鶏やチャボの毛でできている。獅子は鹿のことだから、牡獅子は山鳥の羽根の角が大きく立ち上がり、雌は鶏の羽根で巻いている。供獅子は子供だから角が短い。壊れたら修理をしながら使うのだ。
 今の練習はテープで行い、本番の何日か前から生笛で行うのだ。テープだと毎日同じだが、生笛だと踊りや太鼓を見ながらするので、それに合わすこともできるのだな。1ヶ月も練習すると、だれがうまくて牡獅子になり、自分は何の役目かわかってくるようになる。昔は牡獅子は1人だけだったが、今は何回も交替ですることになっている。

〈田川家は代々笛〉
 俺は長いこと笛をしてきた。この田川家は代々笛を吹いてきたので、百年も続く笛が残っている。昔俺の家は「飴屋」をしていたのだが、左沢まで材料を買いに行った帰りなど、四ノ沢の坂から吹くと、ここまで聞こえたと言う。この笛の音は今ある部落の笛よりは高いので、一緒には吹けないが、俺の家の前で踊ってくれるときだけは、この笛を吹くことにしている。一度、羽黒山とか、空気神社とか荘厳な場所で一人で吹いてみたい。
 この祭りが今まで絶える事なく続いてきたのは、おそらく、部落の人の神事や芸能に対する意識だろう。それに、多くの人が子供のころからこのお祭りに関わってきたOBだからだろう。今でもこのお祭りに合わせてお盆に帰ってきて、一緒に楽しんでいる人が多い。部落の人数は少なくなったし費用もかかるが、頑張って残して行きたい。

お話 : 田川 順一さん(八ッ沼)
取材 : 平成10年

大名行列の様子(2009年)
八ッ沼 春日神社
八ッ沼の大名行列
八ッ沼の奴振り
八ッ沼エリア
関連書籍『八ッ沼物語』
{PDF} ダウンロード 490KB_Adobe PDF

旧暦うるう年の今年は「大名行列」が盛大に開催されます。神社祭礼で獅子踊りを奉納したあとに出発します。行列は、先払い、御神輿、奴、天狗、武具(槍、鉄砲)に大獅子、氏子総代、獅子踊りと続きます。特に、子供達が獅子をつとめる「八ッ沼角田流獅子踊り」は、天文年間(1532〜1554)に始まったとされ、県指定無形民俗文化財にも指定されています。450年も受け継がれてきた貴重な伝統芸能です。ぜひご覧下さい。

日 時 8月15日 午前8時より神社祭礼、9時10分より大名行列出発
駐車場 春日沼両側の駐車場
※↑上記ダウロードボタンよりコース絵図をご覧いただけます。
(お問い合わせ)
春日神社宮司 宮本建一さん 電話 0237-67-2401

春日神社について
獅子踊りについて(談:田川順一さん)
2009年の様子
 朝日川十景の一つ。源流を鳥原山とする白滝は、その水量や高さから朝日川随一の名滝といわれています。山岳信仰が盛んだった持統10年(756年)には弁財天を建立してた歴史があります。
※白滝橋たもとの太いブナの樹の所から滝の正面へ登る山道があります。
アクセスマップはこちら
終了しました

 白倉集落からAsahi自然観に至る途中のカタクリ群生地「かたくり園」が、今年も一般に公開されています。可憐に咲く一面のカタクリの美しさに圧倒されます。
※所有者のご好意で開放されています。採取禁止です。

詳細情報は
Asahi自然観サイト(携帯)
Asahi自然観サイト(PC)
お問い合わせ Tel 0237-83-7111
※写真/Asahi自然観
 白倉集落からAsahi自然観に至る途中のカタクリ群生地が、今年も一般に公開されました。可憐に咲く一面のカタクリの美しさに圧倒されます。
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詳細情報は
Asahi自然観サイト(携帯)
Asahi自然観サイト(PC)
お問い合わせ Tel 0237-83-7111
※写真撮影/成原哲也さん(Asahi自然観支配人)