朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

 祭神は建雷命で区民からは「雷神様」と呼ばれ親しまれています。電力会社の人が雷が落ちないようにとお参りに来ることもあるそうです。毎年4月20日の祭りの日には多くの参拝者で賑わいます。
※『大谷郷』より抜粋

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 朝日自然観とその奥地に広がる豊かな自然を五感で楽しむコース。頂上からは朝日連峰を一望できます。おにぎり持ってでかけましょう。
 案内人/松田勝美
 ご本尊は弘法大師が作ったといわれる延命地蔵尊で、真濟上人がここに一寺を建立し延命山地福寺遮那院としたと伝わります。真濟上人は弘法大師空海の高弟で、空海が真言宗を開いた京都高雄の神護寺の二世であり、真言宗ではじめて僧正という高い位についた人です。
 正徳元年(1711)春、井戸を掘った時に、土中から古仏の地蔵菩薩が現れたので本堂に安置し本尊物として祭りました。その際に遮那院を福寿院に改めたといわれています。
五百川三十三観音31番札所(聖観音) 朝日町中沢585-1
五百川三十三観音縁起
五百川三十三観音霊場一覧
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 左陣は身長2.5m阿形(開口の形)の密迹金剛、右陣は2.4mの那羅延金剛です。文久3年(1863)に西の天満宮焼失で焼け残った仁王尊を明治3年(1870)に仮安置していた永林寺山門に再建しました。
 昭和21年には、台風で仁王門が倒れ体内から祈願札が発見され、元禄5年(1692)に京都の仏師井関宗意、同念性の二人の手によって作られたものであることが分かりました。(写真は那羅延金剛)
『大谷郷』より抜粋

永林寺
秋葉山エリア(大谷)
 元禄12年(1699)大谷大堰をつくった一人である白田内記則安の三男安豊(内匠)が病身のため、健康を祈願して独力で寄進したものでした。この梵鐘は京都の藤原国次という人が作ったもので名鐘といわれていました。しかし、昭和17年(1942)10月、戦争が激しくなり金属不足から供出させられ二度とその姿と音を聞くことができなくなりました。
 現在の梵鐘は、昭和42年(1969)に鋳造されたもので、これまでの梵鐘と重量、音色とも勝るとも劣らない立派なものです。
『大谷郷』より抜粋
秋葉山エリア(大谷)
 松竹の人気映画『男はつらいよ〜葛飾立志篇〜』(第16作 昭和50年12月制作)の撮影に、舟で最上川を渡るシーンの撮影が「中沢の渡し」で行われました。

『男はつらいよ』公式サイト(PC)
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ガイドブック『五百川峡谷』
五百川峡谷の魅力
五百川峡谷エリア
 大沼部落が干ばつになり、村中みんなで木の地蔵様を沼に入れて祈願して直会をしたところ、物凄い雨が降ったという記録がある。その時に地蔵様の左腕が取れて、負傷して、私の家に保管された経緯は本当の話だ。
 それは、大沼の水が三十センチ位減った時のことだった。村中総出で、婿にきた親父が祈願したれば、物凄い雷とともに雨が降ってきた。そして、一晩のうちに浮島の水量がいっぱいになったが、肝心の地蔵様が見えなくなってしまった。これは、先程話した浮島の空洞になった所に地蔵様が入り込み、そのままにしたから水かさが増して、地蔵様が出られなくなってしまったのではないかと思われる。
 地蔵様がいなくなったことで、私の親父は祖父に大いに怒られ心配して、必死になって地蔵様をさがしたけれど見つかんねがった。その後、しばらくしてから、浮島の手入れをしていた仁吉という人が教えに来てくれた。小さい浮島が真向かいから近づいてきて、仁吉さんの前でくるくる回って戻って行ったんだと。これは神様のお告げと思って、私の親父のとこさ来てこの旨を伝えてくれた。泳ぎが達者だった親父がその浮島の底さ潜ってみたら、そこに地蔵様がいたんだっけど。

お話:白田隆さん(浮島を守る会会長)
取材 : 平成7年
「雨願い地蔵」と呼ばれ、地区の皆さんに親しまれてきたお地蔵様は、白田隆さんの自宅でお祀りしています。雨を願う時は、このお地蔵様を大沼に浮かべて祈願したのだそうです。
 ※見学はできません。

白田隆さんのお話
雨願い地蔵様
 明治16年(1883)より毎年旱魃が続き、特に明治十九年は、歴史に残る大旱魃となったのです。田植後6月18日は一日雨。それより8月22日まで、五5、6回一時的な雷雨があったものの、65日間ほとんど降雨なく、連日摂氏30度以上の猛暑が続き、稲や野菜も枯れはじめ、収穫は半作という悲惨な状況でありました 
 油子沢新堰完成後20年にして、またもや水不足が問題となったのです。そこで衣沢に30日間通水できる大型の溜池築堤を村会で決議、明治新政府の基盤も弱く、国からの助成は困難な状況にありまた、村民に費用の全額を負担させることもできず、苦心相談の結果、村の有力者5人より、田地買上代として150円の寄付を願い、村民の協力で、難工事も順調に進み遂に完成したのが滑の股ため池(通称村堤または衣沢の堤)であります。
 明治23年建立の「滑股溜池碑」に総工費1,593円、総人夫1,050人と刻まれています。 
滑の股溜池碑写真

『水とくらしの探検隊〜大谷大堰編〜』より
編集 : 平成14年(2002)
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 伊豆国の伊豆大権現(静岡県熱海市の伊豆山神社※明治に改称)の分霊を勧請したとされる。創建年代は不詳だがご神木のエドヒガン桜の樹齢はおよそ700年とされる。ご神体には「伊豆大権現一宇為□□、万年豊穣、安全火盗消除、宮宿村、鈴木長吉」他の御神札には「奉勧進伊豆大権現、諸大眷属開眼、降魔□□、慶応三年丁卯年」と墨書されている。
 例祭は4月23日(旧暦3月15日)。火伏、盗難よけ、安産の神として厚く信仰されている。
※『ふるさと朝日町散歩/長岡幸助氏』より抜粋

伊豆大権現の種まき桜
静岡・伊豆山神社
※伊豆山神社ご神徳
一切の生物の親神として、生命の充実、発展の御守護を土台として、国の護り、産業、事業、経営の護り、良縁の護り、 殊に禊道、錬成の御導きの御神威は著しく、火防鎮火、温泉守護の御神徳弥高くまします。
 火伏、盗難よけ、安産の神様として親しまれている宮宿栄町の伊豆大権現神社には、樹齢およそ700年とされるご神木のエドヒガン桜があります。4月22日のお祭りは、のぼり旗を上げだんごやゆべしの店も出され賑やかです。毎年花の季節には地元有志によりライトアップも行われています。

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伊豆大権現神社
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例年より早く伊豆権現の種まき桜(エドヒガン)が開花しました。4月4日からライトアップも始まっています。お近くにお越しの際はぜひお立ち寄りください!


ライトアップ期間 4月4日(火)〜花が散るまで
         19:00〜21:00頃まで


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 今年も伊豆権現の種まき桜が開花したとの情報をいただきました。夜はライトアップもされますので、お近くにお越しの際はぜひお立ち寄りください!

ライトアップ期間 花が散るまでの19:00〜22:00頃まで

※画像は2024年に撮影したものです。


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 種まき桜として親しまれている樹齢700年の伊豆権現桜(エドヒガン)が開花しました。ライトアップも始まりました。ぜひお立ち寄りください!

詳しくは
→伊豆大権現の種まき桜