朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

 金毘羅権現は舟乗りやその家族が安全を願い信仰していたものです。『朝日町の石佛』(朝日町長寿クラブ発行)によると、町内には象頭山・金毘羅権現の石碑が21基もあります。江戸時代末期のものが多く、大巻観音地蔵堂には寛永六年(1629)に立てられた町内で最も古い石碑があります。石碑の多さは最上川舟運が栄えたことを現しているのだそうです。

横山昭男さんのお話
金毘羅・象頭山信仰と舟運
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※集落内の神社は山ノ神社です。大巻観音地蔵堂はさらに奥にあります。

ガイドブック『五百川峡谷』
五百川峡谷の魅力
五百川峡谷エリア

 朝日町長寿クラブ連合会で調査して発行くださった『朝日町の石佛』によると、朝日町には象頭山・金毘羅権現の石碑が二十二基ある。江戸時代末期に作ったものが多い。
香川県琴平郡にある金毘羅権現は、舟乗りや舟乗りに関係する人たちやその家族が信仰していた。最上川を下って、日本海の西廻り航路を通って江戸に行くにも大阪に行くにもそこを通る重要な経過点なので、安全航海するためや家内安全も含めて信仰していた。船の仕事をする人がだんだん増えた証拠といえる。   
お話 : 横山昭男氏 (山形大学名誉教授)
平成18年

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 玉石橋のたもとに昭和14年(1938)に建てられた朝日橋竣工記念碑があります。施工関係者4人の寄付によるもので、50分の1の構造図が刻まれてあり、施工にかけた思いや誇りが伝わってきます。同年代の昭和12年には最上川の明鏡橋(朝日町)や寒河江川の臥竜橋(寒河江)、同14年には最上橋(大江町)など、近隣にアーチ橋が相次いで架橋された時代でした。
 朝日川十景の一つ「玉石橋」は朝日橋の通称です。橋梁の表面が朝日川の玉石(花崗岩の丸い石)で装飾されています。昭和14年(1938)11月架橋。コンクリート製アーチ橋。橋長30m。支間20m。ライズ5.5m。施主/秋田営林局。施行者/外塚組。

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※葉っぱのない早春と晩秋はアーチの全景が見られます。
 江戸時代は、村のことを「郷村」と呼んでいた。その郷を使って「郷倉」と呼ぶようになった。ここには、冷害や干ばつなどの不作時に備えて部落で米を蓄えておいた。郷倉は江戸時代から昭和まで続いてきた歴史がある。「恩賜郷蔵」と看板があるのは、昭和のはじめに天皇陛下から予算をもらって建てたから。現在は収納庫にして使っているが、ちょっと前は子供の卓球場にしていたこともあったな。
(お話 : 熊谷與志雄さん 取材 : 平成17年11月)
 東永寺の隣に、冷害や干ばつなどの不作時に備えて地区で米を蓄えておいた木造の倉が残っています。現在は新宿地区の収納庫として使用されています。

熊谷與志雄さんのお話
郷倉について
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五百川峡谷ビューポイント。「リンゴ畑に囲まれた校庭を進んだ眼下に、大きく曲がりうねった最上川を挑める。翠碧の川面は四季折々に美しい表情を見せる」
  撰/川勝節子さん(大江町)

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ビューポイント一覧
五百川峡谷ビューポイント。リンゴ畑に囲まれた校庭を進んだ眼下に、大きく曲がりうねった最上川を挑める。翠碧の川面は四季折々に美しい表情を見せる。
  撰/川勝節子さん(大江町)

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※無断でりんご園に入らないようお願い致します。
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旧明鏡橋架橋80周年記念見学会
旧明鏡橋周辺ウォーキング

 選奨土木遺産にも指定された旧明鏡橋は、昭和12年(1937)に完成し、今年で架橋80周年を迎えました。散策しながら最上川ビューポイントやカヌーランド、フットパス、桜公園などを巡り、様々な視点から旧明鏡橋を眺めることができます。また、佐竹伸一氏を講師に迎え、最上川の地形の成り立ちなども伺います。

日 時  10月15日(日)9:00am〜12:00
集 合  道の駅あさひまち駐車場(和合2724)
案 内  堀 茂(朝日町エコミュージアム案内人の会)
講 師  佐竹 伸一 氏
定 員  20人(申込締切10/13午前(金)まで)
参加費  500円(資料・保険代)

お申し込み・問い合わせは
エコルーム電話0237-67-2128
←メールは左記申し込みフォームよりどうぞ

pdfチラシは上記↑ダウンロードボタンより開いてください。
〈仲を取り持つ明鏡橋〉
「ようぐ、こだい大きな機械来たもんだ」。
旧明鏡橋ができたのは、私が小学校を卒業するのと同じ年だったから、橋工事の様子や橋ができた時のことは良く覚えている。コンクリートを上げるタワーが高くそびえて、この静かな山村にゴーゴーと音が鳴り響いていた。子供ながらに、これは景気が良い、活気があるなと思っていた。
 あの当時は戦争中だったから、我々小学生は、工事現場にたくさん落ちていた鉄筋などの鉄くず集めをよくやった。当時はヘルメットなんてなかったから、拾いに行くと「来んなず、この野郎べら」とごしゃがれた。
橋が架かるまでは、大隅と栗木沢は、最上川をはさんでよく喧嘩したものだった。でも明鏡橋ができてからは喧嘩しなぐなった。私の母親はいつも風呂からあがると、「ここは大巻、向がいは栗木沢、仲を取り持つ明鏡橋」。こういう歌を歌っていた。          
(菅井敏夫さん)

〈終戦直後の明鏡橋〉
 私は昭和14年生まれだから、橋の方が2年先輩になる。小学校5、6年生の頃は、学校から帰ると、カバンなんかバーンと投げて、明鏡橋の下によく泳ぎに行ったものだった。橋から上流へ 150メートル位の間が泳ぎ場所だった。
 ある日、5、6人で泳いでいると、明鏡橋の欄干の上で大人の声がして、見上げてみると、欄干に20人ぐらいの大人が手をたたいたりして大声で笑っていた。しばらく立ち泳ぎしたりして遊んでいたら、上の方からチューインガム落としてくれた。落とせば、私たちが潜っては上がってくるから、その姿が面白かったのだと思う。今度はチョコレートも落としてくれた。そうやって30
分くらい遊ばせてくれて、最後にハーモニカを投げてくれた。しかし、そのハーモニカだけは、やっぱり沈むの早くて、子供の私たちは誰一人拾うことができなかった。終戦直後だったから、ガムでもチョコレートでもとても珍しくて、大変貴重なものをいただいたなと思った。帰ってから親に「何であだい大人の人いたんだ?」と聞くと、「アメリカの兵隊さんだ。進駐軍だ。」と教えてくれた。(志藤正雄さん)

〈恋の架け橋、ロマンの花咲く明鏡橋〉
 あの頃は、明鏡橋さ、栗木沢の人も大隅の人も関係なく、みんな夜な夜な集まってきて夜遊びしていた。んだがら私は、橋ができたのがうれしくてうれしくて、何べんも橋の上を走ったもんだった。みんな集まってきて夕涼みして、男女の出会いの場になった。別名「恋の掛け橋」と私は思っていた。事実何組ものカップルが結ばれた。そういう意味でも、橋が架かって本当に良かったと思った。(菅井敏夫さん)

 私の家は、旧明鏡橋のすぐ近くなので、青年会の方々が恋を囁いていたのをよく知っている。一晩に30人くらい集まって、「ワーワーワーワー」。笑った声、叫んだ声が聞こえ、それはすごかった。子供ながらにドキドキして眠れなかった。明鏡橋で何組も花が咲き、今でも幸せに家庭を持っている方がたくさんいらっしゃると思う。  
 もう一回、この明鏡橋を「ロマンの花を咲かせる朝日町の場所」にしたいというのが私の願いだな。(志藤正雄さん)

平成19年「明鏡橋思いで語り会」
※写真提供/堀敬太郎さん
写真集『橋を見に行こう〜伝えたい日本の橋〜』で旧明鏡橋を紹介下さった平野暉雄氏が、今度は連載されている聖教新聞にて再度紹介下さいました。平野氏は明鏡橋70周年記念講演の折「明鏡橋は開腹型アーチ橋では日本一心なごむ橋」とお話下さいました。
※写真は写真集より抜粋
記事
旧明鏡橋について
平野暉雄氏のお話
心なごむ明鏡橋を見つめて
 明治8年(1875)経費のすべてを地元で負担し、最上川本流で初めての橋「明鏡橋」が架けられました。その後、洪水等で流失が相次ぎますが、昭和12年(1936)ついにコンクリート製のアーチ橋が完成しました。これが「旧明鏡橋」です。六代目明鏡橋が完成するまで、69年間にわたり国道を行き交う人々の往来を支えてきました。平成18年、優れたデザインを理由に選奨土木遺産に指定。橋の写真家平野暉雄氏(京都在住)は「開腹型アーチ橋の中では日本一心和む橋」と絶賛されました。
※撮影/高橋茉莉さん(仙台市)
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平野暉雄さんのお話
心なごむ明鏡橋を見つめて
菅井敏夫さん、志藤正雄さんのお話
旧明鏡橋の思い出
志藤正雄さんのお話
夏の芋煮会“えるか汁”
志藤三代子さんのお話
すいとん入りえるか汁
佐久間 淳さんのお話
明鏡橋の思い出
菅井敏夫さんのお話
明鏡橋物語全12話(PC)
 明治8年(1875)経費のすべてを地元で負担し、最上川本流で初めての橋「明鏡橋」が架けられました。その後、洪水等で流失が相次ぎますが、昭和12年(1936)ついにコンクリート製のアーチ橋が完成しました。これが「旧明鏡橋」です。六代目明鏡橋が完成するまで、69年間にわたり国道を行き交う人々の往来を支えてきました。平成18年、優れたデザインを理由に選奨土木遺産に指定。橋の写真家平野暉雄氏(京都在住)は「開腹型アーチ橋の中では日本一心和む橋」と絶賛されました。
※撮影/高橋茉莉さん(仙台市)
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平野暉雄さんのお話
心なごむ明鏡橋を見つめて
菅井敏夫さん、志藤正雄さんのお話
旧明鏡橋の思い出
志藤正雄さんのお話
夏の芋煮会“えるか汁”
志藤三代子さんのお話
すいとん入りえるか汁
佐久間 淳さんのお話
明鏡橋の思い出
菅井敏夫さんのお話
明鏡橋物語全12話(PC)
書籍『明鏡橋物語』について

ガイドブック『五百川峡谷』
五百川峡谷の魅力
五百川峡谷エリア
 明治8年(1875)経費のすべてを地元で負担し、最上川本流で初めての橋「明鏡橋」が架けられました。その後、洪水等で流失が相次ぎますが、昭和12年(1936)ついにコンクリート製のアーチ橋が完成しました。これが「旧明鏡橋」です。六代目明鏡橋が完成するまで、69年間にわたり国道を行き交う人々の往来を支えてきました。平成18年、優れたデザインを理由に選奨土木遺産に指定。橋の写真家平野暉雄氏(京都在住)は「開腹型アーチ橋の中では日本一心和む橋」と絶賛されました。
※撮影/高橋茉莉さん(仙台市)
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平野暉雄さんのお話
心なごむ明鏡橋を見つめて
菅井敏夫さん、志藤正雄さんのお話
旧明鏡橋の思い出
菅井一夫さんのお話
明鏡橋の傍らで
志藤正雄さんのお話
夏の芋煮会“えるか汁”
志藤三代子さんのお話
すいとん入りえるか汁
佐久間 淳さんのお話
明鏡橋の思い出
菅井敏夫さんのお話
明鏡橋物語全12話(PC)