朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報
昭和30年代まで最上川全体には、およそ40ヵ所の梁(やな)がありましたが、五百川峡谷には11ヵ所、朝日町内だけでも7ヵ所もあり、県内一の梁数を誇っていました。五百川峡谷には、連続する瀬と岩盤そして中洲が多くあるため、簗をかける条件に恵まれていたのです。しかし、残念ながら上郷ダム開発時に全廃してしまいました。現在は白鷹町と大江町に観光簗が復活しています。
熊坂正一さんのお話 →最上川で一番多かった簗 →マスノスケ 鈴木治郎さんのお話 →鮎と鱒(ます)の料理 →ガイドブック『五百川峡谷』 →五百川峡谷の魅力 →五百川峡谷エリア |
いくつもの中州、白波のたつ激流、色とりどりのカヌー、りんご園そして遠くに旧明鏡橋や桜公園の美しい風景を見ることができます。「最上川ビューポイント」は 、山形県が「母なる川・最上川」への関心と愛着を深めることを目的として、最上川の良好な眺めを得られる地点を公募し、寄せられた258件129ポイントの中から11景を選定したものです。
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いくつもの中州、白波のたつ激流、色とりどりのカヌー、りんご園そして遠くに旧明鏡橋や桜公園の美しい風景を見ることができます。「最上川ビューポイント」は 、山形県が「母なる川・最上川」への関心と愛着を深めることを目的として、最上川の良好な眺めを得られる地点を公募し、寄せられた258件129ポイントの中から11景を選定したものです。
→アクセスマップはこちら ※カヌーランドより県道9号を上流へまもなく。 →ビューポイント一覧 |
月山権現領として天正12年(1584)一石六斗の土地を大江氏からいただいたものです。別当の小野家は代々「おつきやま」という屋号で呼ばれています。
※『大谷郷』より抜粋 →アクセスマップはこちら ※個人所有地にに立ち入らないようお願いします。 |
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福昌寺は、永禄元年頃(1558年)、館山鳥屋ヶ森城主岸美作守義満の菩提寺として鳥屋ヶ森根小屋に創建されました。しかし、戦国期の五百川合戦により最上義光に滅ばされ焼失します。後に三本木に寺を再建し、熊野権現社地が開拓された天正17年(1589)に現在地に移りました。境内には岸美作守義満の墓碑があります。
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〈きっかけは一人の町民の思い〉 空気神社は、朝日町松程の白川千代雄さんが「私たちの先祖は、日本には八百萬の神の社が様々あるのに、私たち生き物にとって一分一秒その恩恵をいただかなければ死滅してしまう「ありがたい空気」を祀る事を忘れていた。「空気神社」を朝日町に建てよう」と、提唱していたものです。この考えが、朝日岳山麓家族旅行村「Asahi自然観」のオープンを契機に実現することになりました。まだまだ環境問題は縁の遠い時代ではありましたが、当時の観光協会長だった菅井敏夫を中心に私たちが下に入り、町おこしのために「この地に作ろう」と気勢をあげたのでした。 当時は「若者がいなくなって村の神社の神輿もかつげない時に新しい神社を作るなんて」と反対者も多数いました。しかし、各集落の区長、各法人、団体等に熱意を伝えて、農協や商工会、漁業組合に賛同をいただくことができました。そして、区長さんや団体の有力な方々に役員になっていただきいよいよ寄付集めが始まりました。一万円以上は芳名板に名を刻して永久に感謝するとしました。残念な事に、当時の私は国家公務員だったので、神社の寄付集めはしないほうがよいだろうということで、できませんでした。お盆などに子供たちが帰省して空気神社に来ると、父親やじいさんの名前を見つけ感心してながめていきます。 〈「光と音」で表す神社のしくみ〉 さて、空気は色も形も重さもないもの。ご本尊が空気の神社を、どのようなものをどのような方法で作るか?頭を悩ませました。当時の小林富蔵町長が、知り合いの東京の武蔵野工業大学の先生に相談しました。すると先生は「環境問題のこの時代に必要である」と、大いにご賛同下さいました。しかし先生も神社は手がけた事がなく分からないので、全国の建築美術工芸の専門家や大学などによびかけて設計をお願いしてはどうかとご指導をいただき、コンペテーションを行いました。 佳作まで賞金を出すことと、1500万円の予算で作ることを前提として募集した所、全国から多数の方に応募していただきました。 結果、仙台の東北工業大学の谷津憲司先生が設計したものが採用されましたが、これまでの神社の形式とは全く違うものになりました。 外部表面の5m四方のステンレスの鏡板は、森羅万象、春夏秋冬の全てを写し出すもの。すなわち空気を光に変えて写し出します。また、3mの深さの地下殿には素焼きの大きなかめが12個設置してあり、外部の振動を音に変えることができます。空気を音に変えて表すことができるのです。 〈独自の参拝方法「天空感謝」〉 毎年6月5日の祭礼の時には、地元和合小学校の子供たちが巫女の舞いを奉納します。寒河江の八幡宮から「豊栄の舞」を伝授していただき練習を重ねたものです。 参道には「木・火・土・金・水」の五つのモニュメントが建っています。これは古代中国の「五行」の思想を取り入れたもので「この世の中のものは全てこの五つの元素から成り立つもの、空気もここから生まれたものである」という考えから建てました。ヒマラヤの回して拝む「マニ車」を真似て、ぐるぐる回せるようにしてあります。最後の水のモニュメントでは、ブナの森の水が湧き出るしくみになっており、参拝者がここで水を飲み、手足を清めて、空気神社に参拝できるようにしてあります。 参拝方法については、宗教的なこだわりはないのでどのような参拝でもよいですが、空気神社奉賛会では二礼四拍一礼を勧めております。二礼したあと、春夏秋冬に四回柏手を打ち、次に空高く両手を上げ、空気を一杯吸って、「いつも大切な空気をありがとう。空気を汚さないよう注意します」と誓って最後に一礼をする。この天空感謝の参拝方法は空気神社にしかないものです。 お話 : 清野寅男さん(宮宿) 平成19年 空気神社案内時に採録 ※写真は清野さんです。 上記ダウンロードボタンよりPDFファイルを開く事ができます。 |
空気神社は、昭和47年頃に朝日町松程の白川千代雄さんが「日本には八百萬の神が様々あるのに「空気」を祀る事を忘れていた。「空気神社」を建てよう」と提唱していたものを、平成2年(1989)に町民有志「一歩会」の働きかけにより実現したものです。本殿の設計は、平成元年にコンペが行われ、51点の中から谷津憲司氏(東北工業大学建築学科助教授)の作品が選ばれました。 ※入口駐車場より参道を10分程歩きます。空気豊かな自然と空気に感謝するこのモニュメントは、ブナ林の中に、5m四方のステンレス板を鏡に見立てて置いたもので、四季折々の風景がこの鏡に映り、空気への感謝をよりいっそう強く感じさせてくれます。空気の日に制定した6月5日の例祭では、鏡の上で地元小学生の「巫女の舞」や浮島雅楽保存会により「雅楽」が奉納され多くの人で賑わいます。 清野寅男さんのお話 →空気神社の誕生 →アクセスマップはこちら |
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「私たちの先祖は、日本には八百萬の神の社が様々あるのに、私たち生き物にとって一分一秒その恩恵をいただかなければ死滅してしまう「ありがたい空気」を祀る事を忘れていた」故白川千代雄氏 空気に感謝! 空気を産み出す自然に感謝! 今年も空気神社の祭礼がアースデイに開かれます。祭礼では、年に一度の「御開帳」や鏡上での「みこの舞い」奉納、「浮島雅楽」の演奏が行われます。また、朝日町の特産品の販売や、手打ちそば、ツリーイング(ロープで木登り)、釣り大会、など楽しめるコーナーも充実しています。 日時 6月5日(木・空気の日)7(土)・8日(日) 会場 空気神社・Asahi自然観 主催 空気まつり実行委員会 問い 朝日町役場総合産業課 ☎0237-67-2113 詳しくは↑上記ダウンロードボタンよりPDFチラシをお開き下さい。 →空気神社の誕生 →空気神社エリア概要 →朝日町観光協会ホームページ |
榊寿太さんのお話
夜の花火も良かったけど、昼間の花火も楽しみだった。人形傘が落ちてくるんだっけ。空のうえで爆発すると、鉛の重りに引っぱられて降りる。すると中に空気が入って人形の形にふくらんで、ぶーら、ぶーらと等身大くらいの人形が降りてくるんだ。大黒様とか恵比寿様 福助様とか姉様の人形で、色の付いたものだった。 集団での競争心理というのか、それを競い合って拾うのが楽しかったんだね。これが祭りだもんね。それは子供ではなく、青年団が拾うものだった。火災予防のお守りとして玄関に飾るから、大人も一生懸命探したんだな。拾った優越感もあったんだべな。おらだは拾えなかった。とても子供達が拾えるようなものではなかった。 燃えて降りてくることもあったから、火災予防上危なくて無くなったんだな。 (2014年3月取材) →大谷の花火の歴史 →大谷の花火打ち上げ/白田寿春さんのお話 →大谷の風神祭 →小径第15集『大谷風神祭』 |
大沼には多くの文人が訪れている。古くは長徳元年(995)に藤原実方が二首の歌を残し、橘南谿(1754〜1805)は『東遊記』に紹介し全国に知られることとなった。湖畔の芭蕉句碑は享保から天明年間(1716〜88)に地方俳人として活躍し中央にも名の聞こえた鸞窓(大沼大行院43代)が建立したもの。またすぐ近くには、訪ねた記念に建てた大正14年(1925)の花の本聴秋の石碑や昭和10年(1935)の福田古道人の句碑もある。
※『大谷郷』より抜粋 最上敬一郎さんのお話 →芭蕉塚 →アクセスマップはこちら |
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見どころ・注意/
・菅原道真の太宰府左遷時に側室家族が移り住んだと伝わります。
・江戸幕府のご朱印寺社がたくさんある由緒ある歴史を持つ地区です。
・秋葉山山頂からの眺めは美しいです。
・睡蓮ため池の見頃は6月中頃〜7月はじめです。
・大谷地区は道が狭く小路も多いので迷いやすいのでご注意下さい。
・小さな寺社やため池は、分かりづらい場所も多いので、エコミュージアムガイドの利用をお薦めいたします。
(お願い)
このサイトは、朝日町エコミュージアムがこれまで培ってきたデータを紹介することにより、郷土学習や観光により深く活用されることを目的に運営いたしております。
よって、サイト内で紹介しているほとんどの見学地は、観光地として整備している場所ではありません。夏は草が茂り道がなくなる場所もあるかも知れません。もちろん冬は雪に閉ざされます。また、個人所有の神社や建物等も一部含まれております。アクセスマップも細道までは表示されません。
予め御了承の上、見学の際は下記についてご留意下さるようお願い申し上げます。
・安全に留意し危険な場所には近づかないで下さい。
・マナーを守り、無断で個人敷地内に入らないで下さい。
・不明な場所につきましては、エコミュージアムルームへお問い合わせ下さい。または、エコミュージアムガイドをご利用下さい。
Tel0237-67-2128(月曜休)