朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報
江戸時代、酒井藩のもとで朝日岳麓の白倉では銅などを掘る鉱山があったが、雨による水害の度にその鉱毒が流れ遠く左沢まで稲が枯れた。その原因を知らない当時の農民達は、朝日権現の下を掘ったための山の怒りだとして鉱山の閉鎖をしようとした。
その首謀者であった水口の石橋太郎と中沢付近の待神(たいじん)上人が、遠くは七軒村・左沢まで閉山勧告旨を書いた廻状をやり、五百川一帯の百姓が、鉱山に酒米を供出していたその元締めであった白倉村の竹内家、立木村の阿部両家に押しかけ、米、酒の供出をしない旨を公約させ鉱山の経済封鎖をした。 この農民一揆を怒った酒井藩(松山藩)は、首謀者の石橋太郎、待神上人を逮捕して左沢に送った。石橋の人徳に感心した上人は、これからの世をより良いものにするよう頼み太郎を逃亡させた。その当時は十年で時効となるため、石橋太郎は十年間西国八十八ヵ所を中心に日本全土を放浪した。 十年間の長い月日を過ごして戻った石橋は、当然自分の家などなくなっているものと思ったが、水口の対岸の雪谷から見たら残っているのがわかり感激し、最上川を一目散に渡った。そして、佐竹文右衛門の許に走って、自分が今まで生き長らえたのはひとえに西国八十八ヵ所の観音様の為であるとし、待神上人の冥福を祈ることを目的とした「五百川三十三観音」を作るための援助を頼んだ。 それがきっかけとなって五百川三十三観音は成立したと云われ、一番は自分の生まれた水口村で、三十三番は彼が自分の生家を見たという雪谷村となっている。 ※『寒河江高校研究集録』昭和45年(1970)発行より ※「白倉騒動」は、天候不順による凶作の原因は、金掘りなどの山稼ぎや行人達の木川新道開発が山の気を動かしたためであるとして、天保3年(1832)6月に起こった。(朝日町史上巻より) →霊場一覧 |
昨年度の調査活動の集大成として発行した「五百川三十三観音」のパンフレットを必要な方にお分けいたしております。
五百川三十三観音霊場は、最上川の五百川峡谷に沿って点在し、朝日町28 大江町4 白鷹町1 となっています。かつての東五百川といわれた地域にあるのが12、西五百川にあるのが10、東西五百川合わせて22と、全体の三分の二を占めており、五百川三十三観音といわれる由縁なのでしょう。成立したのは江戸時代とする縁起があり、札所によっては観音講が組織され、現在も巡礼が行われています。 バンフには、詳しい地図をはじめ各お堂の写真やご詠歌も紹介されています。朝日町の聖地めぐりにお役立て下さい。 →縁起 |
瀬が連続し、わん曲する「五百川峡谷」は、現在若者たちのカヌーのメッカになっています。その自然の撹拌作用は、最上川の中でもっとも水質を浄化する流れとも言われています。
しかし、かつての最上川舟運にとっては最大の難所でした。それぞれの難所を巡り、まつわる話を伺います。 コース / 上郷ダム〜難所赤釜「室角」〜大難所雪谷「三階滝」〜助ノ巻難所「天神巻」〜難所宮宿「後藤巻」〜大難所四の沢「八天」〜難所川通「柿ノ木瀬」〜難所大隅面白「大瀬・小瀬」〜難所栗木沢「横岩」〜大難所真中「最上堰揚口」〜難所中沢「荒砥岩」 案内人 / 堀 敬太郎 |
昔の最上川舟運は下流から上流へと発展しましたが、五百川峡谷の難所で米沢藩領への進展がこばまれていました。元禄の初期、米沢藩御用商人西村久左エ門はこれらの難所を開削し、酒田までの舟路を開きました。朝日町域にもこれにまつわる多くの歴史が残っています。
また、筏流し、やな場、渡し場などの、かつての川文化が多くひそんでいます。これらの歴史の一端を垣間見るコースです。 コース / 創遊館で事前説明〜白鷹町十王・称名寺〜黒滝開削跡〜佐野原不動尊〜助の巻天満神社〜西船渡渡し場跡〜創遊館着(半日) ※写真は助の巻天満神社と天神渕 案内 / 若月啓二 |
今年も9回目の最上川五百川峡谷のごみ拾いが開催されます。カヌーの皆さんは川下りしながら、一般の皆さんは水辺を拾います。最後に芋煮を囲んで恒例の交流会もあります!五百川峡谷をみんなの力できれいにしましょう!
日 時 9月21日(日)午前9時〜 集 合 朝日町カヌーランド(栗木沢) ※保険に入りますのでお申し込み下さい。 主 催 五百川峡谷クリーンアップ大作戦実行委員会 主 管 SDスポーツ 協 力 NPO法人朝日町エコミュージアム協会 お問い合わせは →カヌー参加 SDスポーツ サイトより →一般参加 NPO法人朝日町エコミュージアム協会 Tel 0237-67-2128へ →これまでの様子 →ガイドブック『五百川峡谷』 →五百川峡谷の魅力 →五百川峡谷エリア |
今年も8回目の最上川五百川峡谷のごみ拾いが開催されます。カヌーの皆さんは川下りしながら、一般の皆さんは水辺を拾います。最後に芋煮を囲んで恒例の交流会もあります!五百川峡谷をみんなの力できれいにしましょう!
日 時 9月22日(日)午前9時〜 集 合 朝日町カヌーランド(栗木沢) ※保険に入りますのでお申し込み下さい。 主 催 五百川峡谷クリーンアップ大作戦実行委員会 主 管 SDスポーツ 協 力 NPO法人朝日町エコミュージアム協会 お問い合わせは →カヌー参加 SDスポーツ サイトより →一般参加 NPO法人朝日町エコミュージアム協会 Tel 0237-67-2128へ →これまでの様子 →ツイート |
毎年9月の第3日曜日に、カヌー愛好家や地元有志らが集い川下りをしながらゴミを拾うイベントが開かれています。毎年、軽トラ2台分程のゴミを拾います。終了後の芋煮会も人気です。ぜひご参加下さい!
→第2回2007年の様子(PC) →第3回2008年の様子(PC) →第5回(2010)の様子 →問合せはSD SPORTSサイトより(PC) |
今年も最上川五百川峡谷のごみ拾いが開催されます。カヌーの皆さんは川下りしながら、一般の皆さんは水辺を拾います。最後に芋煮を囲んで恒例の交流会もあります!五百川峡谷をみんなの力できれいにしましょう!参加をお待ちしております。
日 時 9月20日(日)午前9時〜 集 合 朝日町カヌーランド(栗木沢) ※保険に入りますのでお申し込み下さい。 主 催 五百川峡谷クリーンアップ大作戦実行委員会 主 管 SDスポーツ 協 力 NPO法人朝日町エコミュージアム協会 お問い合わせは →カヌー参加 SDスポーツ サイトより →一般参加 NPO法人朝日町エコミュージアム協会 Tel 0237-67-2128へ →これまでの様子 →ガイドブック『五百川峡谷』 →五百川峡谷の魅力 →五百川峡谷エリア |
今年も最上川五百川峡谷のごみ拾いが開催されます。カヌーの皆さんは川下りしながら、一般の皆さんは水辺を拾います。ボランティア募集しています!
日 時 9月18日(日)午前9時〜 集 合 朝日町カヌーランド(栗木沢) ※保険に入りますのでお申し込み下さい。 主 催 五百川峡谷クリーンアップ大作戦実行委員会 主 管 SDスポーツ 協 力 NPO法人朝日町エコミュージアム協会 お問い合わせ・申し込みは →カヌーで参加SDスポーツサイトメールフォームから →一般参加 NPO法人朝日町エコミュージアム協会 Tel 0237-67-2128へ もしくは左記メールフォームより |
→用のはげ“明神断崖”と周辺めぐり(PC)平成19年(2008)
→最上川フットパスあさひ見学会(PC)平成20年(2009) →最上川フットパスあさひ見学会2(PC)平成20年(2009) →見学会情報はこちら →ガイドブック『五百川峡谷』 →五百川峡谷の魅力 →五百川峡谷エリア |
五百川峡谷は、川岸が切り立った崖になっているために人の手が入らず、豊かな自然が残り、様々な生き物たちのサンクチュアリ(逃げ場)になっています。特に鳥類が多く、奥山に生息するヤマセミも度々見かけることができます。バードウォッチングに最適な場所と言えます。
姉崎一馬さんのお話 →五百川峡谷の自然の素晴らしさ →ガイドブック『五百川峡谷』 →五百川峡谷の魅力 →五百川峡谷エリア |
6 地すべりと活断層
本地域の大地は、新第三紀の海成層が隆起してできたものであり、砂岩や泥岩などの地質からなるため軟らかく、もともと地すべりを起こしやすい性質を持っています。また、隆起量が多いところほど地すべりが発生しやすいという特徴があるため、本地域の山地部には地すべり地が多く分布しています。 一般に、斜面を構成する物質が、斜面の摩擦抵抗を排して比較的ゆっくりと断続的に滑動する現象を地すべりと言います。本地域の山手にある集落は地すべり地にあるものが多いのですが、地すべり地は土砂が攪拌されていて耕作しやすい土地であるということが、地すべり地に集落を形成させた大きな要因であると考えられます。 この地すべりの他に、本地域には数多くの線構造地形が存在することがわかっています。これらは、断層や褶曲によって形成された崖であり、この中には、活断層であるとされているものもあります。 本町域において活断層とされる断層は、宮宿断層と常盤断層の二つです。宮宿断層は、大滝から栄町まで1.5キロメートルの断層であり、国道287号線部分が断層線にあたります。一方、常盤断層は西部公民館がある熊ノ山の丘陵とその周辺の二、五キロメートルにおよぶ断層です。どちらの断層も10メートルほどずれておりその変位量は1000年に0.5メートル程度であり、3千年から3万年程度の間隔で地震をおこすB級活断層です。 7 おわりに 五百川峡谷の最上川にはたくさんの瀬が存在しています。こんな所は、最上川のどこにもありません。瀬が多い原因として、隆起帯にある五百川峡谷では岩盤を削りこむ流れであるために川床が浅いということ、最上川の中上流部にあり比較的に水量が少ないこと、最上川を横切る何本もの断層が存在していること、朝日連峰の主峰・大朝日岳を源流とする支流の朝日川からたくさんの花崗岩礫が供給されていることなどがあげられます。 江戸時代、この瀬の存在が舟運にとっての多くの難所を生みだしていました。このことについては、次回の講座で詳しく語られることでしょう。また、これはあまり知られていないことですが、このたくさんの瀬の存在が最上川の水質浄化に役立っているのです。瀬では、多量の空気が攪拌され、汚れた水にたくさんの酸素が供給されるからです。 瀬を利用して作られていた数多くの簗場、近年盛んになりつつあるカヌーやボートでの川くだりなどは、五百川峡谷の成因と深く関係したものであると言えるでしょう。 佐竹伸一さん(常盤) 平成18年 |
4 五百川峡谷の二つの景観
五百川峡谷は上郷付近を境に、直線状をなす上流部と、段丘が発達し曲流が著しい下流部とに二分されます。五百川峡谷が地形的に二分される原因として、まず地質の違いがあげられます。地質図からも明らかなように、前半部は硬質な泥岩層であるのに対して、後半部は軟質なシルト岩や砂岩層です。また、もう一つの原因として、北方にV字形の口を開けた構造で隆起が起こったことがあげられます。V字形の内側は外側よりも隆起量が小さかったので、最上川に河道を選択する余地が残されたということです。地質の硬軟の差に加えて隆起量の程度の差が、五百川峡谷に異なる二つの顔を持たせたということができます。 また、五百川峡谷の下流部の地質構造を最上川と直交する東西方向の断面で見ると、地層が小さな褶曲を繰り返しつつも大局的には向斜構造となっています。このような構造は複向斜構造といわれるもので、最上川は複向斜の軸部付近を流れています。このことから、五百川峡谷の下流部において、最上川は最も隆起量の少なかった所を選んで流れていると言うことができるのです。 5 河岸段丘の形成 山間部にある朝日町に貴重な平地をもたらしているのが河岸段丘であり、朝日町の集落のほとんどはこの段丘面上にあります。 段丘は一般的には土地の隆起によって形成され、何段かの平坦面(段丘面)とその間にある崖からなっています。標高の異なる段丘をつなぐ道路は必ず坂道となるので、結果として朝日町には多くの坂道が存在します。 本地域を流れる最上川、すなわち五百川峡谷の段丘面は五つに区分されます。現在の河床との比高は、段丘群鵯が200〜140メートル、段丘群鵺が140〜70メートル、段丘群鶚が70〜50メートル、段丘群鶤が50〜数メートル、段丘群鶩が数メートル以下です。なお、段丘群は標高の高い所にあるものほど古く、低いものほど新しくなります。 段丘群鵯はほとんど残っておらず、宮宿柏原葡萄団地や和合平付近などにわずかに分布しているだけです。段丘群鵺は、和合平や能中のクヌギ平。段丘群鶚は、西部公民館のある熊の山、豊龍神社の丘陵、秋葉山の西側の段丘面などです。段丘群鶤には幅の広い段丘面が多く、松程・常盤・宮宿・和合・大谷などの段丘面があります。段丘群鶩は現在の河床沿いに低く分布しています。新しい段丘群が形成される時には、これまでに作られた古い段丘群は側方侵食によって削りこまれてしまうので、結果として古い段丘はあまり残っていません。 この他、標高220メートル付近に、堆積物の多い埋積段丘群があります。これらは宮宿付近で起こったと考えられる山体の崩壊によって最上川が堰き止められ、その上流が湖沼となった時の湖沼堆積物からなるもので、杉山・沼ノ平・杉の原などはこの埋積段丘であり、20〜30メートルの厚さで砂や粘土が堆積しています。ちなみに、この堰き止めがあったのは段丘群鵺の形成が終わり段丘群鶚の形成が始まるまでの間ということになります。崩壊という自然の力でできた天然のダムは、自然の侵食の力によっていつしか消えてなくなってしまいました。 段丘群鶤が形成された時期は、木片の年代測定から3万年前頃であることが明らかになっていますが、この時期の最上川は現在以上に大きく曲流していました。その後、最上川は流路を直線的に変えたために、曲流の内側には丘ができ川跡は三日月湖となって残りました。すなわち、宮宿と大谷は、その大きく曲流していた最上川の川跡にできた町であるし、豊龍神社の丘と秋葉山は、その周りが最上川に削り取られることによってできた丘陵なのです。 平成18年 佐竹 伸一(さたけ しんいち)氏 昭和57年(1982)山形大学教育学部卒業。山形大学理学部教授(地球環境学科長)山野井徹氏に師事。現在、河北町立谷地西部小学校教諭。 山形応用地質研究会幹事。朝日山岳会副会長。現代俳句協会会員・俳誌「小熊座」同人。 著書「朝日連峰の四季」など。また、「朝日町町史 上・下巻」に執筆。 佐竹伸一さん(常盤) →五百川峡谷の誕生3 →ガイドブック『五百川峡谷』 →五百川峡谷の魅力 →五百川峡谷エリア |
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五百川三十三観音巡り
〜江戸時代における環境保全のパイオニア〜
五百川三十三観音を知っていますか。江戸時代にできた三十三観音巡りの朝日町版です。西奥は、白倉から、立木、太郎、水口、北は、大沼、大谷そして左沢まで、東は、和合、四ノ沢、送橋まで、そして、南は、宮宿、上郷、そして、白鷹町の針生まで、町内外の、三十三の観音様を巡るのが、五百川三十三観音です。
一番札所が、水口の十一面観世音です。三十三番目が、雪谷の如意輪観世音です。なぜこのような順番かといいますと、そこに興味深いいわれが伝わっています。
『江戸時代朝日山地の鉱山が盛んだった時代、鉱山の水が流れ出て朝日川の水が汚れ、朝日町や左沢の稲が不作になり、これを怒った農民たちと、待定上人(たいじょうしょうにん)が立ち上がり、閉山勧告の廻状を出し朝日権現の麓での鉱山を封鎖するように訴えました。
しかし、この一揆を怒った庄内松山藩は首謀者と目された水口の長兵衛と待定上人を捕らえようとしました。
この時、待定上人は長兵衛は見どころのある若者だとして逃がしてやり、自らは捕まって処刑されました。逃げた長兵衛が十年の間、四国八十八箇所など諸国の札所を回って帰ってきたところ、もうないだろうと思っていた水口の実家が、雪谷から見ると残っていました。これも観音様のおかげだと、待定上人の供養も兼ねて五百川三十三観音をつくったということです。』
三十三観音は、朝日町にくまなく存在しています。そして近くには多くの文化財があります。大沼の浮島、佐竹家、八ツ沼、椹平の棚田、空気神社どれも札所のすぐそばです。五百川三十三観音を巡りながら、朝日町の秋の自然と豊かな文化財を巡りませんか。
日 時 平成26年10月25日(土)〜26日(日)
午前9時〜午後16時頃
集合場所 朝日町エコミュージアムコアセンター「創遊館」
定 員 20人(※定員になり次第締め切らせていただきます。)
参 加 費 6,600円(交通費・弁当・資料代など実費)
※1日のみ参加の場合は4,000円となります。
参加費にご朱印代は含まれません。
別途ご用意ください。(1箇所100円)
申込締切 10月17日(金)
申込・問合せ先 朝日町エコミュージアムルーム
( 9:00〜17:00 月・木曜休館)
■TEL・FAX 0237-67-2128
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