朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

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 朝日町がだんだん美しくなるこの秋に4連続の見学会を計画いたしました。ぜひご参加下さい。

1.竜神信仰の明神断崖(用のはげ)と周辺を訪ねる10/4
 見所 / 頂上からの絶景、竜神絵馬、観音様の影 他

2.秋のブナ原生林散策とツリーイング体験in朝日鉱泉10/17
 見所 /『朝日連峰山だより』著者 西澤信雄氏の原生林案内、樹上から見る大朝日岳の紅葉、手打ちそば

3.〜徳川家康400回忌記念〜大沼大行院の徳川家代々ご位牌見学会10/25
 見所 / 徳川家位牌、52代当主最上俊一郎氏のお話、紅葉の大沼と浮島

4.秋の高田山ブナ林探索とメダカの高田分校10/31
 見所 / 紅葉のブナ林、展望台から見る朝日町のパノラマ風景、メダカ

主催/朝日町エコミュージアム案内人の会

詳しくはタイトルをクリックしてそれぞれのページをご覧下さい。
チラシは上記↑ダウンロードボタンより表面を、裏面は下段の徳川家康ご位牌見学会より開くことができます。
 山伏のことを、御行様(おぎょうさま)と言うけれど、御行様は昔ここに泊まって、月山の方に行ったり、朝日岳のほうに行ったりしたんだ。記憶にもあるけれど、昔はそういう有名な山に登ることが行の一つだったし、三十日間も登って修行して資格もらったっていう。蔵王あたりにも登ったんだな。京都に聖護院という本山があって、そこから資格の交付を受けていたようだ。そういう書類もうちにある。うちは、御維新なってから、すぱっと辞めて、神道に切り替えたから、今は修験道は全然関係ないけどね。
お話:最上敬一郎さん(大行院51代当主)
伊豆大権現神社の種まき桜(樹齢700年以上・エドヒガン)が満開です。ライトアップも最高に美しいです。ぜひお訪ね下さい。
※写真は22日撮影

種まき桜
伊豆大権現神社(朝日町宮宿)
 樹齢700年の種まき桜の4月18日(土)の写真です。ライトアップ主宰の長岡秀典さんによるとあと3〜4日で満開になりそうとのことです。
 樹齢およそ700年とされる伊豆権現神社のご神木「種まき桜」が咲き始め、今年も地元有志らによりライトアップが始まりました。代表の長岡秀典氏は「境内には観賞用のベンチも設置した。歴史を感じる幹の迫力と美しい花の調和をゆっくりとながめて欲しい」と。ライトアップは、節電のため毎晩7時から9時までの2時間のみ行われています。
 4/26現在で三部咲きですが、咲き始めの濃いピンクがとても美しいです。

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伊豆大権現神社の種まき桜(樹齢700年以上/エドヒガン/宮宿栄町)のつぼみがピンクに色づき、地元有志のみなさんによるライトアップが今年も始まりました。(18〜21時頃)
※写真は4月13日撮影したものです
種まき桜
伊豆大権現神社(朝日町宮宿)
 つぼみがふくらみ始め、今年も伊豆権現(宮宿栄町)のご神木樹齢700年の桜のライトアップが始まりました。
伊豆大権現神社の種まき桜(樹齢700年以上/エドヒガン/宮宿栄町)がついに満開となりました。夜は地元有志のみなさんによるライトアップで美しく照らし出されています。(18〜21時頃)
種まき桜
伊豆大権現神社(朝日町宮宿)
 伊豆大権現神社の種まき桜(樹齢700年以上・エドヒガン)が今年も咲き始め、毎晩のライトアップも始まりました。神社例祭は4月20日です。ぜひお訪ね下さい。
 ※写真は昨年の満開時のものです
種まき桜
伊豆大権現神社(朝日町宮宿)
 朝日町でエコミュージアムを取り組むきっかけになったのは、町にある自然を活かし、共生できるような観光地づくりを目指しはじまった1988年の町営の朝日山麓家族旅行村「朝日自然観」の建設でした。自然観は、夏はブナ林の自然を体験するキャンプ場やコテージ村、冬はスキー場として、多くの人々を朝日町に呼び込みました。
 そんな中、町づくりを町だけに任せるのではなく、町民自らも関わり、なにか協力しようという気運が盛り上がり、自然観の目玉に世界でも類をみない「空気神社」の建設になったのです。豊かな自然と空気に感謝するこのモニュメントは、ブナ林の中に、5m四方のステンレス板を鏡に見立てて置いたものです。四季折々の風景がこの鏡に映り、空気への感謝をよりいっそう強く感じさせてくれます。
 この建設に呼応するように、朝日町は「地球に優しい町宣言」を行い、自然環境を大切にしていく町づくりを目指すことになりました。また、全国に先駆けて空気の日を国連環境デーの6月5日にすることを決め、毎年この日に空気に感謝する催しを行っています。こんな動きの中で、エコミュージアムの考え方が町の総合開発基本構想に取り入れられることになったのです。
 創建不詳。最上家親が寒河江城主であった慶長9年(1604)、堀(保利)内匠に与えた安堵状などからみて、400年以上も前と推測されています。最上家改易後、引き続き徳川将軍より二石九斗六升のご朱印状を受けています。
 江戸時代には180坪の境内をもち、本社、拝殿ともに10.5坪、稲荷社、鳥居などもあったという記録があります。現在は保利家の庭園内に記念の小祠が建てられてあります。
※『大谷郷』より抜粋
※個人宅につき見学不可。
秋葉山エリア(大谷)
 総ケヤキ造り、唐様式。若宮寺20世盛恬法印(せいてんほういん)により再建されたもので、左沢菅野辰吉棟梁の手により天保14年(1843)から嘉永3年(1850)まで7年の歳月をかけて造られました。姿構造まことに美しく、地方における江戸末期寺院建築の代表的な建造物です。朝日町指定文化財。また、ここからの眺望は「八ッ沼七名勝」の一つとされています。

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 若宮寺は、正平年間(1346〜70)五百川若狭が弘法大師の霊感により大日如来を西船渡(現蓮成寺)に祭り一寺を建立したと伝わります。慶長5年(1600)に上杉勢の五百川進攻の際に全焼。同17年(1612)に配下としていた山野辺城主山野辺右エ門義忠(最上義光四男)が現在地に移転しました。第一世尊孝法印は若宮寺中興の名僧と謳われ、寺の復興に活躍しました。

登坂高典さんのお話
和尚様の話
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※見学の際はお寺の方にお声かけ下さい。本堂内の見学は事前にお申し込み下さい。
 夜中に何者かが黒ずきん姿で村人を驚かせることが続きました。あとをつけると「自在坊」のかたわらに立つこの首のない地蔵様のところで姿を消したそうです。女の地蔵様だったそうです。
 この地蔵様は、どこにでも出張して子供の病気を治してくれていましたが、ある帰り道のこと、急ぎすぎて転んでしまい首をなくしてしまっていたのです。

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 東永寺では、天保3年(1832)から明治7年(1874)まで“東永寺学問所”として寺子屋が開かれ、7〜10歳までの教育が行われていました。裕福な家庭の子供だけでなく区別なしに使用人の子供なども学ぶことができ、100人以上の大人数だったといわれています。文久4年(1864)に、お堂左側に立てられた「児翫」の石塔は、子供を愛した東永寺の象徴といえます。