朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報
大谷獅子踊りの思い出
お話/大谷獅子踊り保存会の皆さん ■復活させたチョンガー会 飲んだ勢いで復活話が盛り上がったのは「チョンガー会」だった。チョンガーっていうのは、まだ結婚していない若い男のことを呼んだんだ。浦小路(第4区)の若い衆たちが、毎月50円ずつ会費出して、お茶菓子を買って仲間の誰かの家にお邪魔するんだっけ。そして、そこのお年寄りから昔の話を聞いたり、大谷の将来のことをみんなで話し合ったりしていたんだ。 ■初めてのお披露目 今年で40年になるね。10年位途絶えていたのを若い衆12人で発足した。以前にやっていた師匠たちに教わって、必死に練習して3ヶ月くらいで覚えた。初めての年はとにかく夢中だった。そして、供養獅子として永林寺の8月15日の送り盆で初めて披露した。緊張したっけね。その晩は盆踊りでも踊ったな。 そして2週間後の、31日の風祭りでは、第1区から7区まで公民館全部と高木の旦那様(白田彌次右衛門家)と峯壇の旦那様(鈴木清助家)でも踊った。どこでもみんな出て来くれて、いっぱいの中で踊った。大谷の伝統芸能が復活したから、みんな嬉しかったなんねべかね。真面目にやっていたら最後に足がつって踊れなくなったけ。 これまで、那須の大谷にも7回行ったし、いろんな大会にも出た。町や県の無形文化財にもしてもらった。 ■踊りには物語がある 踊りは、ちゃんと物語になっているんだ。獅子は、雄獅子と雌獅子と友獅子と3匹いるんだけど、友獅子が雌獅子にちょっかいかけてくるんだ。雄獅子は友獅子と喧嘩する。雌獅子は逃げて行く。雄獅子は雌獅子を探して歩く。そしてやっと逢うことができる。よっく見ていると分かる。 本当は45分あるんだけれど、15分につめて踊っている。でも、風祭りでは、15分も踊っていると行列から置いて行かれるから、1ヵ所で一節ずつ踊るようにしている。 全国の獅子踊りには、獅・鹿・猪の三つあるんだそうだ。以前に北海道・東北ブロック民俗芸能大会に出た時は、鹿踊りが多く、大谷のように獅子と太鼓が別れている獅子踊りは無かったね。こういうのは珍しいらしい。他のは、わりと緩やかな踊りだったな。大谷の角田流獅子踊りは、よく意味が分からないけれど「一人立ち三匹獅子」という名前で県の無形民俗文化財に指定されている。 ■練習でつながる 昭和63年の北海道・東北ブロック民俗芸能大会はかなり練習したね。山形県代表で出るっていうので、2ヶ月間毎日練習した。あの大変な練習があったからこそ、次の世代につながるいい経験になったんだと思う。もし、なかったら踊れてもそれなりの踊りで終わっていたかも知れない。一回熱心に練習して覚えると、もう忘れないんだ。メロディーが流れると自然に踊りが出てくるようになるんだよね。 大谷を離れた人でも、獅子踊りには帰ってきて参加する人が何人もいる。一緒に練習することで、若い人たちとも繋がれるし、浦小路のみんなの結びつきは強くなっていると思う。とてもいいことだと思うから続けていきたいね。 ※皆さんのお話をまとめて要約させていただきました。 お話を伺った皆さん 鈴木 清さん 佐藤 伸寛さん 佐藤 孝男さん 白田 信哉さん 佐藤 健さん 長岡 浩利さん 鈴木 吉彦さん 白田 剛さん 東海林 良さん 阿部 哲也さん 佐藤 俊輔さん 白田 薫さん 小嶋 紘太さん ※練習後の懇親会でお話を伺いました (取材/平成24年8月) →角田流大谷獅子踊 →大谷の風神祭 →小径第15集『大谷風神祭』 |
大谷地区には、西の天満宮、北野天満宮、高木天満宮、峯壇天満宮の四つの天神様があり、古くから村人の崇拝を受けてきました。
白田内記家・外記家は、菅原道真の子孫であるといわれ、そのため代々天神信仰が厚く、大谷の四天神は白田一族と関わりのある人が建立したといわれています。西の天満宮は白山神社と合祀されました。(写真は峯壇天満宮) ※『大谷郷』より抜粋 →大谷の白田氏と天神様(見学会) →幻の大谷天満宮を訪ねる(見学会) アクセスマップ →峯壇天満宮 →高木天満宮 →北野天満宮 ※いずれも分かりづらい場所にあります。地区の方にお聞きするかエコミュージアムルームへお問い合わせ下さい。 →秋葉山エリア(大谷) |
寺の創建は南北朝時代の貞治年間(1362〜67)。曹洞宗のお寺としては県内でも5本の指に入るほど古く、村の名を山号にした由緒ある寺です。白田内記藤原安重の懇情を受けた湖海理元和尚が開山し、本師の道愛禅師を一世としました。
もとは虚空蔵菩薩御堂がある裏山の開山にありましたが、寛文8年(1668)盗賊の放火にあい全焼。21年後の元禄2年(1689)白田内記家が主になり現在地に再建しました。それから百年後の宝暦11年(1761)お盆の8月16日の晩、失火で再び消失。それ以降大谷の送り盆は1日早い15日に行うようになったといわれています。三年後、渡辺平治郎、大谷武助、白田六郎右衛門、大谷五郎兵衛が中心となり安永3年(1774)に現在の永林寺が再建されたのです。 ※『大谷郷』より抜粋 →秋葉山エリア(大谷) →アクセスマップはこちら ※白山神社の隣りです。 |
あらゆる悩みや苦しみを身代わりし、どんな願いも叶えてくれるといわれ、昔から庶民の心のよりどころとして親しまれてきました。大谷にも主な街道の入口に六つの地蔵堂があったといわれ、村人の幸せや安全を守ってきました。愛宕地蔵尊・延命地蔵尊・鍛冶地蔵尊・永林寺延命地蔵尊・安産地蔵尊・えんこ淵地蔵尊(増水で流失)があります。(写真は鍛冶地蔵尊の万年堂)
※『大谷郷』より抜粋 →アクセスマップはこちら →秋葉山エリア(大谷) |
大谷の風祭は、今から250年前、宝暦年間(1751〜1764)に始めたといわれ、町では最も賑やかな夜祭りです。
立春から数えて二百十日目、この頃は大暴風雨による農作物の被害が毎年のようにあり、この風水害を鎮め、豊作を祈願する行事が風祭で、毎年二百十日の前日8月31日の夜、盛大に行われます。 祭当日、家々では、御神灯と書いた四角の田楽提灯(でんがくちょうちん)を門口に立て、御神輿が通る道筋から家々の玄関まで、清浄な盛り砂をし、縁側に机を置き、灯明・花・赤飯・果物そして初穂料を供え御神輿を迎えます。 行列は、毎年決められた順序により、夜七時の花火を合図に白山神社を出発し、2時間かけて村中くまなく巡行します。 江戸時代から続く打ち上げ花火は、行列に合わせ夜空を彩り、40店余の夜店も立ち並び、招待客と近辺からの参詣客で、大通りは身動きできないほど混雑します。 車に飾り付けした各区(1〜6区)の屋台は、毎年趣向ををこらした出し物が披露され、観客の拍手喝采を浴びます。 大谷の風祭は、子供からお年寄りまで地区民総参加により、250年の歴史と伝統を継承しながら、大谷地区の融和と活性化に貢献しています。 (堀敬太郎氏資料「大谷の風神祭」より抜粋) ※写真は屋台の寸劇風景/撮影 堀敬太郎氏(大谷一) →大谷風神祭をもっと楽しむためのリーフレット →二百十日頃の稲作について →大谷風神祭の歴史 →風神祭の神事 →提灯行列の思い出 →田楽提灯の絵付けについて →田楽提灯作りのアドバイス →角田流大谷獅子踊 →大谷獅子踊りの由来 →大谷獅子踊り保存会について →大谷獅子踊りの思い出 →代々神楽(獅子神楽)と天狗について →風神祭の屋台について →各区の屋台 こだわりと見所 →大谷の花火の歴史 →大谷の花火打ち上げ →空から人形、人形傘花火 →風神祭の露店 →消防団の役割 →風神祭のお供え物 →大谷風神祭の特異性(基調講演) →大谷風神祭のこれからを考える(バネルディスカッション) →関連書籍 小径第15集『大谷風神祭』 →白山神社マップ →秋葉山エリア(大谷) |
250年の歴史を持つ大谷風神祭。神輿や田楽提灯、獅子踊り、山車の行列など盛大に開催されます。祭りのいわれや意味を知ることで、いっそう風祭りを楽しむことができます。地元歴史研究会「風和会」の掘敬太郎さんに教わりながら祭りを見学しましょう。
日 時 8月31日(金)午後7時〜8時頃 お 話 堀敬太郎さん(風和会 会長) 集 合 大谷往来館(松谷屋菓子店のそば) 参加費 無料 申込み 8月28日まで 主 催 NPO法人朝日町エコミュージアム協会 ※当日は宮城県七ヶ浜町の皆さんも参加します。 ※終了後も祭りは続きますのでご自由にお楽しみ下さい。 |
台風などの風災害を鎮め、豊作を祈る「大谷風神祭」が今年も賑やかに開催されます。子供たちの田楽提灯行列→天狗(猿田彦命)→御神輿→村役→大谷獅子踊り(県無形文化財)→各地区の屋台の大行列が2時間かけて村中を巡行します。写真は屋台の演し物風景です。撮影/堀敬太郎氏
日 時 8月31日(水)午後7時巡行開始 白山神社より大谷地内一円 屋 台 第4区/角田流大谷獅子踊り 第3区/風神太鼓と子供神楽 第5区/水戸黄門 第6区/風神花笠神輿 第1区/藤森信吾&あやまんJAPAN 第2区/浦嶋太郎 ※各地区の演しもの披露は、旧田中屋前十字路を皮切りに各所で行われます。 花 火 時間中およそ150発 主 催 大谷風まつり実行委員会 白山神社氏子会 大谷連合区 町消防団3-1 町商工会北部支部 交通安全協会大谷支部 他 問合せ 大谷風まつり実行委員長 白井淑浩さん Tel 0237-68-2537 →風神祭の詳細はこちら →角田流大谷獅子踊 ▼こども神輿 同日午後2時より 大谷往来館(松谷屋菓子店の斜め向かい)より大谷地内一円 →白山神社マップ →風祭り駐車場マップ ※他にもJA大谷支所、北部体育館、秋葉山交遊館も利用できます。 |
「ため池百選」(農水省)に選ばれた大谷のため池群の一つ、「谷地山三連ため池」(渡邉勝美さん所有)の睡蓮が、今年は例年より早く開花し見頃を迎えています。湖面を埋め尽くす優しいピンクの美しさに心癒される風景となっています。安全とマナーに気をつけて見せていただきましょう。
→アクセスマップはこちら →大谷の睡蓮ため池 →渡邉勝美さんのお話 →フォトギャラリー ツイート |
「ため池百選」(農水省)に選ばれた大谷のため池群の一つ、「谷地山三連ため池」(渡邉勝美さん所有)の睡蓮が、今年は例年より早く開花し見頃を迎えています。湖面を埋め尽くす優しいピンクの美しさに心癒される風景となっています。安全とマナーに気をつけて見せていただきましょう。
→アクセスマップはこちら →大谷の睡蓮ため池 →渡邉勝美さんのお話 →フォトギャラリー ツイート |
大谷には睡蓮が咲き誇る美しいため池があります。“谷地山三連ため池”の一つで、毎年6月中頃に最盛期を迎えます。所有する渡邉勝美さんが10年以上前に、沼に棲む在来メダカを守るために一株だけ植えたものが増えたそうで、現在は多くの人が訪れるスポットになりました。また、ため池までのアプローチも様々な花で彩られ、美しい田園風景の中を歩く事ができます。
→渡邉勝美さんのお話 →フォトギャラリー(PC) →アクセスマップはこちら ※看板はありませんが、ため池下の棚田に彩られた菖蒲やアザミが目印です。県道9号線に駐車して徒歩で数分。 ※午後になると花は閉じてしまいますので、午前中にご覧下さい。 ※睡蓮やメダカの採取は絶対になさらないで下さい。 →秋葉山エリア(大谷) |
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No.1002 佐藤孝男氏(大谷獅子踊り保存会)2010.7 ※上記よりエコミュージアムノート完成版(A4・PDF)をダウンロードできます。のお話 〈復活した獅子踊り〉 父親もしていた大谷の獅子踊りを、私が始めたのは獅子踊りが復活した昭和47年。今年で39年目になる。 昔から続いていた獅子踊りは、昭和37年頃に若者がいなくなって途絶えてしまっていた。だけど、地元の若い衆で話し合って「やっぱり、何とか昔からある伝統を守ろう!復活させよう!」ということになった。当時連合区長を務めていた鈴木幸次郎さんにお願いに行き、念願が叶って、翌年に「大谷獅子踊保存会」が発足した。そうして10年ぶりに獅子踊りを復活させることができた。それから再び風祭りに参加するようになり、現在まで続けてきた。 私は大谷の浦小路(第4区)で育ち、中学を卒業してから宮宿の志藤看板塗装店に住み込みで5年働き、その後宮宿に婿にきたが、獅子踊りにはそのまま参加し現在も頑張っている。 〈練習〉 獅子踊りは「笛吹く人」「太鼓たたく人」「踊る人」の三つの役割りがある。 練習はみんなで音を合わせて、踊りも一緒に合わせて、通しての練習を何度も繰り返している。 私もレコード、テープを聞きながら、見様見まねで練習した。最初は太鼓担当だったが、笛吹く人がいなくなって、途中で笛をするようになった。元々楽器なんてなかったし、したことがなかったから、全体の音とリズムを感覚で覚えてやっている。元々太鼓を担当していたおかげで、笛のリズムは取りやすかった。 しかし、獅子踊りで使う笛は穴が7つもあって、音を出すのがなかなか難しい。未だにその時その時で、上手に吹ける時と調子悪い時とある。水に浸けて吹くといい音が出るんだ。 練習が終わると、「明日も頑張ろう」という事でちょっとした酒飲みが始まる。お酒が入ると、今年のお祭りの話に花が咲いて、だんだん楽しみになってくる。そして頑張ろうという活力になる。 〈後継者の心配〉 31歳になる息子も5年前から一緒に獅子踊りを盛り上げてくれている。親子で笛を担当している。 大谷獅子踊り保存会は、20代半ばの若者から60代半ばの年輩者までいるが、近頃は若い人も参加してくれるようになって嬉しい。でも、年輩の人が多いという事は、これから引退する人も多くなるということ。若い人が少ない現状で、これからも獅子踊りを続けていけるかどうかが、正直心配なところだな。 〈祭りの様子〉 風祭りは台風など風災害を鎮め、豊作を祈る祭り。出店もあり花火も上がり毎年大賑わいする。行列は、その大賑わいの村中を2時間ぐらいかけて周り、各所でそれぞれの区の演し物を披露し盛り上げて回る。 笛を吹いている時はとにかく楽しい。毎年張り切って元気に吹いている。祭りが終わった後は、寂しさは残るね。でも、また来年もある。楽しみな祭りを盛り上げていく事を励みに、また頑張ろうという気持ちになるんだ。 取 材 / 佐藤留美(朝日町観光協会職員) 取材日 / 平成22年7月 写 真 / 堀敬太郎氏(大谷一) ※大谷獅子踊りは、 毎年8月15日の送り盆供養獅子舞(永林寺本堂前)、 8月31日風祭り(大谷地区一円)で披露されます。 →角田流大谷獅子踊 →大谷風神祭 |
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白田寿春さんのお話 〔祖父と父のこと〕 うちは玉屋とか花火屋とか呼ばれている。じいさんの藤三郎が花火を作って打ち上げていたんだ。そして、親父の八郎がその後を継いだ。だけど、花火製造は、規制がだんだん厳しくなったのと、危険を伴う仕事だったのでしなかったんだ。 じいさんの花火を作る木型とかあったけね。火薬を入れる丸い紙のお椀を作るもので、木の球になっている。そこに何枚も何枚も紙を重ね貼りして、最後に包丁を入れて二つに割るんだな。刃物の跡がついていたっけね。三寸玉とか五寸玉とかのお椀を、昔は、そうして全部手作業で作っていたんだな。 子供の頃、白山神社のお祭りや学校の運動会の日に、昼間の花火を上げるんだけど、ちょうど学校の裏のほうの田圃で親父が打ち上げるから自慢だったね。その頃はパラシュート入れてあったから、それを拾いたくてみんなで田圃の中をこいで行ったりもした。じいさんもそういうのを作っていたようだ。殻玉も魔除けになるからみんな拾うもんだったね。 親父にはよく追っかけていって打ち上げする所を見ていた。大船木の橋が完成した時や上郷のダム祭りの花火打ち上げにも行った。親父が打ち上げる姿はかっこ良かったね。 〔松田花火屋(中山町長崎)とのつながり〕 その頃は、長崎の松田花火屋が作った花火を買って打ち上げていた。松田さんの話では、花火の作り方を、私の曾じいさん(藤三郎の父)から、松田さんの曾じいさんが教わったのが親しくしている始まりだと聞いている。 親父に「お前もしてみろ」みたいなことをよく言われていたから、自然とするようになったんだ。手伝い経験3年以上で講習を受けると「煙火打ち上げ従事者」という資格をもらえるので23歳の時にとった。松田花火屋所属を表す自分の番号がもらえる。 俺がするようになってから、山形や左沢の花火大会にも松田花火屋の手伝いとして行ったことがある。宮城県で花火を製造している仲間も呼んでやるんだっけ。今は、県外から入って来るようになって呼ばれなくなったね。 〔風神祭の花火打ち上げ〕 風神祭(8月31日)の花火打ち上げは、あの頃は連合区とは関係なかったから、親父も一人でバイクに乗って寄付集めしているんだっけ。寒河江や山形までも行くっけね。 昭和46年頃に、うちでだけするのは大変だということで、連合区さお願いするようになったんだ。ちょうど東区でやっていたお神楽(大獅子)も各区で回すようになった時だった。 俺は静岡で働いていたので、毎年風神祭の時には帰って来て打ち上げを手伝うんだっけ。親父は俺が33歳の時、62歳で亡くなった。その年は、お袋にもだんどってもらって、松田花火と一緒にあげたんだ。 打ち上げするのに最低5人いるから、今でも風祭りの時に松田花火に来てもらっている。筒を立てるための杭立ての準備は、朝からしないと間に合わなくなる。3号と4号を10本ずつ、あとは5本ずつ立てる。 打ち上げは、線香花火みたいに散る小さな火種があって、それに火を点けて筒の中に上から入れる。すると筒底に敷いておいた黒煙火薬が爆発して玉は上がっていく。その時に、同時にへそ(導火線)にも火がついて、上まで行って中の色付きの火薬に引火して玉が開くんだ。ちょうどいい高さで開くように火薬の量を調整する。 万一、筒に火薬入れるのを忘れると、上がらないで筒割れして吹っ飛んでくるから危ないなだ。「騒がずゆっくりでいいから火薬はきちんと入れるべ」と呼びかけながら作業している。 火種を筒に入れると、一瞬のうちに花火は飛び出すけど、火花も筒から飛び出すから、その火花を被らないように風向きを考えて入れるようにする。背中に入ったりしたら大変だからね。火種を持つ指先なんかは、いつもピリピリ火傷している。好きでないとできない仕事だね。 打ち上げは、行列している人達も見て楽しめるように、見えやすい保育園の所を通過している時とか休憩している時とかに集中して上げるようにしている。 俺は、行列に混ざったのは小学生の時にちょうちんをたがったのが最後だったね。風祭りの行列は近くで見たことないな(笑) 〔やりがい〕 嬉しいのは玉が上がっていって無事開いた時だね。一発、一発嬉しくなる。そして、すべて無事に終わった時は、やっぱり安堵感はあるね。特に去年は途中から土砂降りだったから、濡らさないようにするのが大変だった。事故がなくてほっとした。あんなことは初めてだったけ。部落の年寄りからは「大変だったな」と声かけてもらえるね。 大谷の花火の歴史は古いし、大切な役割だと思っている。うちも代々花火屋しているから無くさないで続けていけたらと思っている。なにより、大谷の皆さんの協力でできているので、これからも喜ばれる花火を上げていきたいね。 取材/平成26年3月 ■白田寿春(しらた・としはる)さん 昭和31年1月11日生まれ 昭和55年に煙火打上従事者資格取得。平成2年より父八郎氏に代わり大谷風神祭の花火打ち上げ従事者となる。 上記ダウンロードボタンで印刷用PDFファイルが開きます。 →大谷の花火の歴史 →大谷の風神祭 →空から人形、人形傘花火 →小径第15集『大谷風神祭』 |
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宗吽院は、朝日町の大沼浮島神社の山伏神楽を600年前に伊具郡に伝承した歴史を持ちます。さらに、菅原道真の六女みよこ姫が輿入れし中興の祖となった修験寺でもあり、同じ菅原道真の子孫とされる大谷白田家と共通する歴史を持っていることが双方の強いつながりを物語っています。
参考文献『20年のあゆみ』朝日町大谷獅子踊保存会
『つどいの庭に降りた神々』丸森町文化財友の会
『よみがえれ大沼浮島の響き』大沼浮島ものがたり実行委員会
→角田流大谷獅子踊
→大谷の風神祭
→小径第15集『大谷風神祭』