さがえ九条の会

▼九条の会ニュース
 ミニコミ紙「寒河江あちこち」に、10月7日の集いの模様が掲載されました。
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 10月7日開催されました「さがえ九条の会1周年の集い」150名を肥える市民が参加し、熱い思いに満ちた感動の集会となりました。

北朝鮮の核実験をめぐって、日本も「核武装を含めた論議を」と、平然と公言する危険な論調には、空恐ろしさを感じます。
 ますます「九条の会」の役割の大きさを痛感する昨今です。
改憲と集団自衛権の行使と教育基本法の改悪を公言してやまない安倍内閣の危ない本質を暴く!
「九条の会全県交流集」10月15日(日)山形大学理学部401講堂
を中心としたニュースです。
 シベリアに抑留された経験を描き続けている画家・渡辺八郎尉門さん(85)(寒河江市高屋)がこのほど、5作目の油彩画を完成させた。渡辺さんは7日、同市内でこれら5作品を展示し、約3年間の抑留生活について講演する。
 
 渡辺さんは東村山郡出羽村(現在の山形市漆山)出身。1939年ごろから画家として生計を立てていたが41年に召集され、中国でソ連軍の捕虜となった。画家だったことがソ連側に知られ、スターリンらの肖像画を毎日描かされた。49年に帰国後は、パリに渡って絵を売るなど画業に専念。白亜美術協会(本部・横浜市)の創立委員にもなり、風景画などを描いてきた。
 
 抑留時代のことは思い出したくもないという時期が長く、抑留生活を描き始めたのは約6年前。戦友の多くが亡くなり、「風化してしまった悲惨な歴史を絵で伝えたい」との思いが強まったからだ。特に、「従軍画家はたくさんの勝ち戦の絵を残したが、負け戦のものはほとんどない」と、自身の原体験でもある抑留生活の悲惨さを伝えることにこだわる。
 
 完成した5作目は、100号の大作「夢『脱走』」。捕虜収容所の壁をよじのぼったり、脱走に失敗して撃たれた抑留者の姿を描いた。故郷の母を表現したチョウを描き、色合いも幻想的だが、細部は悲惨な情景を直視させる。渡辺さんは抑留生活中、仲間から脱走を誘われたが、90人の部下がいたため断り、直接は脱走現場を見ていない。このため、生きるか死ぬかの瀬戸際の表情を描くことに苦労し、通常より3か月ほど長い約7か月を費やした。
 
 講演は、「さがえ九条の会」の呼びかけに渡辺さんが応じ、同会結成1周年を記念して行われ、渡辺さんは「戦争はもう嫌だということを訴えたい」と話している。講演は7日午後2時から、寒河江市中央のハートフルセンターで。「ソ満国境の惨劇」などの作品も展示され、入場料は、資料代として500円。問い合わせは同会の佐藤栄一事務局長((電)090・7074・4213)へ。
(2006年10月2日 読売新聞)
10.7さがえ九条の会1周年イベントで「戦争体験を語る」の講演者渡邊八郎尉門画伯の懇親の力作です。
タイトルは「脱走」その筆タッチから伝わるメッセージを心で受け止めてください。10月7日の「さがえ九条の会1周年の集い」お待ちしております。
 今行われようとしている自民党総裁選では、本命と目される安倍議員は教育基本法と憲法改正を公言しています。これは正しく戦争を出来る国にすることにほかなりません。
 
「さがえ九条の会」は、‘ストップザ憲法改悪’を合言葉に、市民の草の根運動として、昨年秋に結成されました。来る10月7日、結成1周年を記念し、さらに運動の輪を広げていくために「農民歌手鈴木久司 平和を謳う」と題して、歌と戦争体験の講演会を催します。

 ぜひお誘い併せのうえ、ご来場をお待ちしております。
 ☆10月7日(土)午後2時〜4時
 ☆寒河江市ハートフルセンター多目的ホール(飼料代500円)
 第2部は、山形大学名誉教授(羽陽学園短大講師)土屋和恵さんから「九条の功徳」と題して、日本国憲法が果たしてきた役割、とりわけ九条効用について、辛口にユーモアを交えてタップリ1時間話しされました。
戦後、現憲法が与えられたものとはいえ、今日の平和があるのも九条のおかげ、それが小泉政治の手によって変質されようとしている。格差社会の増長やあくなき軍備増強、教育基本法の改悪など、すべて憲法改悪にリンクしていることから、草の根から改悪を許さない運動の高揚を…と締めくくりました。
 その後、「国民投票反対!」「憲法改悪反対署名の取り組み強化」など、アッピールを採択し閉会しました。
「コンサートと講演の夕べ」だ採択されましたアピールを紹介します。

アメリカがイラクで戦争を開始して3年がたちました。
そして、自衛隊が、サモアに派兵されています。
戦後60年、日本は戦争に巻き込まれることはありませんでした。
これは、日本国憲法の平和主義・戦争放棄を定めた第九条があるからです。
 明治憲法(大日本帝国憲法)で戦争して、結果的に太平洋戦争では、日本人300万人、アジアで2000万人、世界で5000万人以上の人のいのちが奪われました。これらの尊い犠牲のうえに、日本国憲法(平和憲法)が制定されました。そして、それは21世紀の世界のあり方を示すものとして平和を希求する国内外の厚い支持を集めています。
 憲法は、国のあり方を定めるものです。
いま私たちにとって、もっとも大事な憲法が変えられようとしています。
その最大の目的は、第九条を変えることにあります。
第九条を変えることは、「戦争をしない国」から「戦争をする国」になることです。
戦争は、国家が人類に対して犯すもっとも残酷な、もっとも破壊的な、そしてもっとも不幸な大罪です。
 日本国憲法、とりわけ憲法第九条を変えることを許さないために、声をあげるときです。それは、いま直接政治に発言できない、未来を背負う子どもたちのための、大人の責任です。
 一昨年6月、井上ひさし氏らの「九条の会」アピールに呼応して、全国各地で4千を超える地域・職場・学園に「九条の会」が結成され、憲法第九条を守る運動が広がっています。
 寒河江市でも昨年10月、日本国憲法第九条を守る一点で「さがえ九条の会」が結成されました。
 一人でも多くの方々と力を合わせて、憲法九条を守り、この願いを世界に発信して、子どもたちに平和な未来を引きつぎましょう。
そのために、一人ひとりができる、あらゆる努力を今すぐ始めましょう。

○憲法改悪に道を開く国民投票法案に反対しましょう
○憲法改悪に反対する署名活動に取り組みましょう

2006年4月13日
さがえ九条の会 コンサートと講演の夕べ 
♡本日の講演・コンサートはいかがでしたか
1.大変豊かな気持ちにさせられました。曲の中に平和へのメッセージこめられていてよかったです。
2.池田さんの曲の解説は大変すばらしい語りでした。演奏とともに。憲法の持つ力を確かめ合って運動の輪を広げることに喜びを感じる。
3.ヴァイオリンのコンサートは初めてでしたが、知っている曲もあり楽しく聴かせていただきました。ファンになりそうです。またの機会も聞きたいと思います。曲についての説明も良かった。
4.バイオリンははじめてでしたが、とてもすばらしかったです。
5.寒河江ですばらしい演奏がきけて感激しました。望郷のバラードや鳥の唄など、この寒河江で聞けるとは思いませんでした。今日は聞けてよかったです。
6.講演、ずばっとした社会批判にすがすがしい思いになりました。コンサートは心洗われなごませて頂きました。
7.久しぶりになまの音楽をききましたが、大変感動しました。
8.とてもとても素敵でした。お誘い下さり誠にありがとうございました。
9.ポピュラーな曲の構成で、音楽にうとい私でも楽しめました・・・(謝)。反骨あふれるトークに、りゅういんが下がる思いでした。こんなステキな音楽を資料代だけで聴けるなんて申し訳ないようようでした。
10.よかったです。

♡今後この会が、憲法第9条を守るためにどんなことをしたら良いか、あなたのご意見をお聞かせください。
1.土屋先生の話がわかりやすくよかったと思います。
2.1人が1人へのよびかけを!
☆九条をバッグに刺繍し持ち歩く吾娘よ平和は守らねばならぬ
 今日の話は実に痛快であった。ありがとうございました。
3.国民が知らない間に「国民投票法(案)」が着々と進められている。改憲阻止の運動とセットで推進を! 市民の目にふれる常設大看板の設置を検討されたい。
4.具体的にはよく分かりませんが、カザルスには及びませんが、若輩者のチェリストとしてやはり「鳥の歌」や「アメージング・グレース」などを平和のために引き続けていきたいです。
5.寒河江はいろんな会を頻繁に開いてがんばっていると思います。
6.年代をこえてみんなが興味と関心をもってもらえるとよいと思います。それには、九条の大切さを一人ひとりがまた色々な人に語ることが大切と土屋先生の話で感じました。
7.話が少しむずかしいし、よく理解することができませんでした。体調悪いのにご苦労様でした
8.土屋先生の話は、自慢話を基本にした吹聴型で、今日の集会には似合わない方でした。コンサートの良さを打ち消された話でした。
9.辛口のお話にユーモアこめて私達がこれからどんな気持ちでこの運動を取り組んでいくべきか教えてもらいました。
 「憲法を変えて戦争へ行こう!」そんな世の中にしないために、「再び過ちを繰り返さない」ために草の根から憲法を守る運動を提唱している「さがえ九条の会」主催の“コンサートと講演の夕べ”が4月13日ハートフルセンターで開かれ、年度始めという時期にもかかわらず100名を越える市民がかけつけました。

 夕べは、呼びかけ人の高橋寛さんの軽妙な司会ではじまり、第1部は、池田敏美さんのバイオリンと田中奈織美さんのピアノデュオ。オープニングは「踊る人形」、「望郷のバラード」「トルコ行進曲」など次々と繰り出される素晴らしい音色の競演に、館内はしばし酔いしれました。
今の平和があるからこそ「素敵な音楽も楽しめる」そんな思いをあらたにしたひと時でした。
 〜続く〜
 3月9日、さがえ九条の会事務局・サポーター会議が開かれ、4月13日(木)開催予定の「コンサートとお話の夕べ」(ハートフルセンター)について話し合われました。夕べの構成は、第1部がバイオリンとピアノのヂュオ(アメージングストーリーほか7曲)、第2部が土屋和恵先生による講演「九条の功徳〜九条はあなたの財布を守る」で、新聞折込チラシ等で幅広く市民に参加を呼びかけていくことにしました。(一人資料代として500円)
 お友達お誘い合わせのうえ、参加をお待ちしております。
 地域や分野別の「九条の会」が4000を越えるほど、全国的に広がりを見せています。全国に学びながら、「さがえ九条の会」も運動の裾野を広げよう…と今後の活動計画について、このほど「さがえ九条の会・事務局サポーター会議」が開かれました。
 これまで、結成総会や12・8映画とお話の夕べを開催し市民の共感を呼びつつも、まだまだ市民への宣伝が不足している現状から、街頭宣伝(月1回)やチラシ配布、賛同者加入運動を強め、、九条改悪反対の国会請願署名や市議会への請願も併せて取り組むことも確認しました。
なお、次回の集いとして4月13日(予定)に「コンサートとお話の夕べ」(ハートフルセンター)を開催していくことにしました。
 報道によると、衆院憲法調査会(中山太郎会長)は、自公民の賛成多数で最終報告書を決定し、河野洋平衆院議長に提出。今後、国民投票法の議論が本格化してゆくらしいです。
 同調査会の報告書は683ページもあって、普通の人が気軽に読めるようなものではありません。で、これを9字以内で要約しますと、“9条を骨抜きにする”となりましょうか…。
 憲法改正手続き上の国民投票にかんして、なにがなんでも改憲したいセンセイ方の意識が、いま投票用紙として実体化したらこんな表現になるのかもしれませんね。

 全国九条の会は11月27日、シンポジウム「自民党改憲案は日本をどこに導くか」を東京都内で開催し、260人が参加しました。
 シンポジウムの閉会にあたって、九条の会の小森陽一・事務局長から、11月26日現在で、全国の地域・分野別の「会」が3614に達したことが報告されました。7月に有明コロシアムで講演会を開いていらい、毎月100を超える勢いで「会」が広がっていることになります。なお、事務局では今後都道府県ごとの地域・分野別「会」の結成数を毎月発表することを検討しています。

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    長岡 禮子

 今年の12月8日は、「さがえ九条の会」の大切な行事がありました。
映画や講演で、私たちの幸せな生活を支えるために「憲法九条」どんなに大切か改めて確認しました。
 今から64年前、私が11才のときの12月8日は、左沢小学校の5年生でした。女子体操場の背面黒板に「鬼畜米英」と白いチョークで書いてあるのを見て背中がゾクッと寒くなったのを今もはっきりと思い出すことができます。
 それからの小学生は、学習を中断して毎日のように左沢駅前の道路に整列して、元気な楽隊の演奏の中、日の丸の旗をふって出征兵士の見送りが続きました。
 しばらくすると「海ゆかば」の悲しい曲の中で遺骨迎えに整列するようになりました。白い箱が家族の胸に抱かれて列車から降りてくるのを「わたしのお父さんだったら・・・」と思うと小さい胸が痛むのでした。私も女学生になり、毎朝の通学列車は、農村動員の列車にかわりました。山形市の南、南沼原村吉原の農家をまわって働いているうちに8月15日の敗戦を迎えました。多くの生命が失われました。
 若い生命を失って、靖国神社に神となって祭られても人間として生まれた喜びはあるものでしょうか。
 1957年(昭和32年)私は結婚しました。人生の伴侶として選んだ人は、海軍特攻隊の無理な生活から身体障害者として生きなければならない人でした。甲種合格の立派な体格の人が、入隊1年足らずで身体障害者となり結核療養所で10年間も生活しなければならなかったのは戦争の結果でした。
 航空隊で彼は当時、母親から送られてきた小包を上官の目の前で開かせられました。そこには母の心づくしの「干し芋」が入っており、「ここで1本食え」と言われて食べたところ、あとは上官がすべて取り上げられてしまっとそのときの悔しさを語っておりました。そして、「兵隊は天皇からおあずかりした赤子・・・」といいながら、軍隊というところは人間性のかけらのなかったそうで、夜になると月を見ては泣いたとのことでした。
 どの戦争もすべて殺し合いですから、勝っても負けても人間の幸福につながらないものです。しかし、60年前のこんなことも忘れてしまうものでしょうか。
 父親が戦死したり、夫が帰らぬ人となって苦労に苦労を重ねた人たちの中にも「9条を守る」という平和運動にも町内会長だから賛同できないなどと言う声があることは信じられません。「歴史は繰り返す」ほかないのでしょうか。
 みんなの幸せのために「九条」を守ることをあきらめてはならないと思うのですが・・・


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 太平洋開戦日の12月8日、さがえ九条の会主催による「映画とお話の夕べ」がハートフルセンターにおいて開催されました。
 夕べは、井上ひさし氏ら「九条の会」9氏全員の訴えや元日本兵の証言などで構成された映画「9−NINEー憲法9条は訴える!」を見た後、山形童話の会代表・山形県九条の会よびかけ人の鈴木実氏が講演しました。講師が受けた当時の皇民教育や戦争体験とともに、戦後、「弾道下の村」と呼ばれた現村山市の大高根基地闘争を題材に描いた共著「山が泣いている」など、手がけた児童文学作品の経過、安保闘争などの経験などを話されました。「改憲され戦争する国になれば、実際戦争するのは子どもたち。子どもが最大の被害者だ。未来を担う子どもたちに平和な社会を残すのは大人の責任」と強調。参加者も決意を新たにしました。なお、「毎日新聞」「しんぶん赤旗」「寒河江あちこち」などが取材にきました。


 「正男ーー、正男」
 清一も声かぎり呼びながらさがしまわった。やぶに足をとられて、思わずころびそうになったときだ。目の前に、泥と血にまみれた一本の腕がころがっているではないか。全身の血が、すうっと引いてしまったようで、身うごきできなくなった。足ががたがたふるえる。のどがからからにかわき、舌がひっついたみたいで、声もでない。少しはなれたところに、正男のきていたふくがちぎれてとんでおり、そのそばに、赤い肉片があった。
第1回日本児童文学者協会賞受賞
「山が泣いている」より
 さがえ九条の会主催「12・8映画とおはなしのゆうべ」チラシの裏面に掲載したものです。
〜ホームページより転載〜

第二章 安全保障
(安全保障と平和主義)
第九条 日本国民は、諸国民の公正と信義に対する信頼に基づき恒久の国際平和を実現するという平和主義の理念を崇高なものと認め、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する平和国家としての実績に係る国際的な信頼に応えるため、この理念を将来にわたり堅持する。
2 前項の理念を踏まえ、国際紛争を解決する手段としては、戦争その他の武力の行使又は武力による威嚇を永久に行わないこととする。
3 日本国民は、第一項の理念に基づき、国際社会の平和及び安全の確保のために国際的に協調して行われる活動に主体的かつ積極的に寄与するように努めるものとする。

(自衛軍)
第九条の二 侵略から我が国を防衛し、国家の平和及び独立並びに国民の安全を確保するため、自衛軍を保持する。
2 自衛軍は、自衛のために必要な限度での活動のほか、法律の定めることにより、国際社会の平和及び安全の確保のために国際的に協調して行われる活動並びに我が国の基本的な公共の秩序の維持のための活動を行うことができる。
3 自衛軍による活動は、我が国の法令並びに国際法規及び国際慣例を遵守して行わなければならない。
4 自衛軍の組織及び運営に関する事項は、法律で定める。

 (自衛軍の統制)
第九条の三 自衛軍は、内閣総理大臣の指揮監督に服する。
2 前条第二項に定める自衛軍の活動については、事前に、時宜によっては事後に、法律の定めるところにより、国会の承認を受けなければならない。
3 前二項に定めるもののほか、自衛軍の統制に関し必要な事項は、法律で定める。

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