吉野農園|吉野敏充

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1979年12月12日生まれ
新庄市の鳥越という所の出身です。
鳥越という所は、宮沢賢治の弟子、松田甚次郎という方が「農村塾」という物を作り、
そこで自給自足と芸術の両方で暮らして行こうという場所があった村です。

そこで18歳まで暮らし、志望であったデザインの仕事をする為に、上京しました。
20歳で専門学校を卒業し、その後、男性の方はほとんど知ってると思うんですが、、
当時は無名だったSOFT ON DEMAND(以下、SOD)という企業に就職しデザインの仕事に付きました。

何故、その会社に勤めたかというと、僕は「あまのじゃく」な性格で、
デザイン業界に多い師匠に何年かついたり、事務所で何年も下積みをするのが嫌だったから
という理由が一番です。運も良く、デザインのセクションは有った物の、外注作業を主に行うセクションだったので、少し立てばデザインの仕事をやらせてもらえるようになりました。

ずっと寝ないで働く生活をできるぐらいデザインにのめり込みました。

大学生と専門学生の初任給は違うんですが、当時入社した新入社員で専門学生は、
経理の方と、僕だけでした。でも僕の働きを見ていた当時の社長「高橋がなり」が
翌年から、僕の給料を大卒と並べてもらいました。
僕は好きでやってただけなので、それが評価してもらえるなんてビックリでした。

真っ直ぐに、目の前にある物を夢中になっておいかけ、
外注メインだったセクションも社内制作にほとんど切り替わり、
デザインのディレクションから、グラフィックデザインまでを社内でやる体制に変えて行きました。
昼も夜も関係なく、着替え、風呂は会社で澄まし、家に変えるのは月に2,3回。
そんな生活が5年ぐらい続きました。

そして、会社、社会というものに出会って転機が訪れました。

次回に続く…


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