最上義光歴史館

《2026年4月の利用者アンケート集計結果》

 この集計結果は令和8年4月2日から同30日の間に入館した利用者を対象に行ったアンケートを集計したものです。

常設展示  (4/2 〜 4/30)
開館日数・・・・・・・・・・・・・25日間 
入館者数・・・・・・・・・・・・・3,177名
回答者数・・・・・・・・・・・・・17人


1.歴史館をどこで知りましたか??
(1)旅行雑誌・・・・・・・・・・・・・・・・0%
(2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・6%
(3)インターネット・・・・・・・・・・・・・47%
(4)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・0%
(5)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・0%
(6)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・0%
(7)以前から知っていた・・・・・・・・・・・29%
(8)観光案内所 (駅など)・・・・・・・・・・・0%
(9)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・12%
(10)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・6%

2.歴史館の入館は何回目ですか??
(1)はじめて・・・・・・・・・・・・・・・・76%
(2)2回目・・・・・・・・・・・・・・・・・24%
(3)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・0%

3.ご覧になられた感想
3−1内容はいかがでしたか??
  �‖臺僂茲�った・・・・・・・・・・・・・82%
  �△茲�った・・・・・・・・・・・・・・・18%
  ��ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・0%
  �い弔泙蕕覆�った・・・・・・・・・・・・0%

3−2最上義光と最上家について??
  �,茲�わかった・・・・・・・・・・・・・71%
  �△錣�った・・・・・・・・・・・・・・・29%
  ��わからなかった・・・・・・・・・・・・0%
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3−3施設内容について
  (1)また来館したいですか??
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(2)人に来館をすすめますか??
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4.ボランティアの案内はいかがでしたか
  �,茲�わかった・・・・・・・・・・・・・94%
  �△錣�った・・・・・・・・・・・・・・・0%
  ��ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・0%
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〜利用者の声〜

山形県天童市 男性/50代
山形の歴史がよくわかる。無料がすばらしい。(ボランティアの方が)史実にくわしく面白かった。物語TVをつくってほしい。館内放送�ゞ霽曳甕燭隆�、��長谷堂合戦の巻、�G鯆蚕熟紺纏Δ隆�、�づ憩絃襪寮錣い隆�。

山形県/庄内町 男性/20代
私が思い込んでいた義光、吉良氏などの人物像が全く間違いであったことを認識させられた。義光さんは非常に聡明だと知り彼に対して同情、又調べてみたいと思った。ボランティアさんの博識なご説明、非常に面白かった。東北地方に止まらず、山形県全体の観光を進めて頂いたこと、胸にきざむ。

山形県/舟形町 女性/40代
説明してくれた方の説明が分かりやすかった。

山形市 男性/10代
もっといろんな人に知ってもらい(ので人に来館をすすめる)。せつめいがわかりやすい。

宮城県仙台市 男性/50代
勉強になった(ので人に来館をすすめる)。(ボランティアの方が)大変分かりやすい説明でした。大河ドラマになるといいです。ありがとうございました。

京都府京都市 男性/30代
個人にスポットをあてた資料館としては資料も充実していた。(ボランティアの方の案内は)京都からきて山形のことを何もしらなかったからありがたかった。

福島県福島市 女性/40代
山形城や最上義光公のことがよくわかった(ので人に来館をすすめる)。(ボランティアの方から)子供と解説を聞かせてもらい勉強になりました。とてもきれいでよかった。歴史好きになりました。

東京都足立区 男性/30代
説明していただけるボランティアの方がいるのでよく内容がわかって楽しかった。(ボランティアの方に)詳しくおしえていただきました。指揮棒を館の真ん中に置いてさわれると良いかもしれません。

青森県八戸市 男性/40代
ボランティアさんが何人もいらっしゃって、色々と教えていただけるので楽しいからです(人に来館をすすめる)。ボランティアさんに色々と最上家(特に義光公)の歴史や色々なことを教えていただけて、大変良い体験が出来ました。私は日本史は得意ではなかったのですが、口頭で教えていただけるのは贅沢でした。これを機に山形藩(?)のことについて本を読んで理解を深めてみたいと思いました。

東京都 男性 40代
無料で色々な歴史物をたくさん見れる(ので人に来館をすすめる)。ボランティアさんの案内がおもしろかったです。今、展示されていないものも見てみたいと思いました。

東京都日野市 女性/40代
案内の方の説明が面白い。細かい所まで色々教えてくれました。くわしい方が多くて、色々お声かけいただき、楽しい時間でした。ありがとうございます。

山形市 男性/60代
とてもくわしく教えて頂き、大変おもしろかった。またききにきます。

山形市 女性/10代
たのしいから(人に来館をすすめる)。(ボランティアの方が)やさしくおしえてくれた(ので大変よかった)。ドラマになるといいかもしれません。

※当館サポーターの個人名は「ボランティア」または「ボランティアさん」に変更しています。
■名 称
山形市指定有形文化財指定記念 特別公開
徳島里見家旧蔵「最上家関係文書」
  
■会 期
令和8年4月28日(火) 〜

■内 容
徳島市在住の旧東根城主里見家の御子孫から山形市に寄贈された貴重な資料のうち、最上義光と最上家親にかかわる最上家関係文書6通が令和8年3月19日付で山形市指定有形文化財に指定されました。このたびは、指定を記念して新たに指定された6通の貴重な文書を一堂に公開します。

1 最上義光宛行状/慶長七年(1602)七月廿三日/里見薩摩宛
2 最上義光宛行状/慶長七年(1602)七月廿三日/里見薩摩宛
3 最上義光書状/慶長十一年(1606))一月三日/志村伊豆、坂紀伊守宛
4 最上義光書状/(慶長十一年(1606))二月七日/東根薩摩宛
5 最上義光書状/(慶長十一年(1606))二月七日/志村伊豆、坂紀伊守宛
6 最上家親一字状/慶長廿年(1615)五月廿七日/東根源右衛門尉宛

※常設展/コーナー展示、企画展と併設して公開します。

桜花と最上義光騎馬像


堀の花筏を進むステージ筏

 今年の桜の開花は、山形でも例年になく早いものでした。4月11日、12日には、山形城を会場に観桜会が催されましたが、前日の雨で、満開と同時に桜吹雪となりました。まさしく「三日見ぬ間の桜」ということですが、これは江戸時代の俳人・大島蓼太の「世の中は三日見ぬ間に桜かな」という句からとられたもので、3日も見ないうちに桜が散ってしまうように、世の中の様子が激しく変わってしまうことをたとえているとのこと。まさしく今の世もこんな感じでして。
 さて、当館では「鐵[kurogane]の美 2026」〜『出羽の三名人』と現代の匠 〜と題し、10振りの刀剣を展示しています(会期4月2日〜7月5日)。新々刀の名工、水心子正秀と大慶直胤、藤原清人、そして現代の匠上林恒平氏と弟子の�盒狭姥兄瓩虜酖瓩任后E畄�展示は毎年―好評で、毎度これを目的に来館される方がいる、つまり当館では数少ない、リピーターが望める有力企画ではあります。
 またこの間、市当局からはインバウンド対応をぬかりなく、という指示がありまして、今年は刀剣解説の英文リーフレットも用意しました。ただ、刀の部位名等はそのままローマ字表記せざるを得ないことが多く、例えば鎬は「shinogi」、茎は「nakago」という具合です。とにかく名称(人名・地名・品名等)が多い場合は、それだけで翻訳は困難になります。また、英語圏ばかりともならないわけで、実際、山形市に多いのは台湾からのお客様で、すると中国語も「簡体字」だけではなく「繁体字」も用意する必要があります。山形にはタイからのお客様も多いらしいのですが、AIでタイ語に翻訳すると、文章がどこで区切れているのかわからず、恐る恐る出力されたまま掲示しています。タイは仏教国なので年号も、例えば「慶長5年」は「仏歴2143年」となりますが、まあ、そこまで丁寧にしなくても「A.D.1600」で表記すればいいのかと。
 また、翻訳解説ではその基礎となる「やさしい日本語」による表記が必要となるのですが、これもなかなか手間どります。ところが当館学芸員がAI翻訳を使ううまい方法に気付きました。それは日本語の原稿を一度英文に訳して、それをまた日本語に訳すると、とても整理されてスマートな表現に変換されるので、これを基本文として多言語にAI翻訳するというものです。とにかく人名や地名等以外はかなり間違いのないものになります。
 とは言え、当館で扱うものは、単なる翻訳だけでは理解困難なことも少なくありません。歴史的な背景がわからないと興味関心すら得られないも少なくないのです。例えば「戦国時代」、英訳ではそのまま「The Sengoku period」、意訳でも「The Warring States period」となるのですが、なぜそんな時代名なのか説明が求められるかと。「室町時代」とか「江戸時代」とかは、治世者がいる場所の名であると説明すればいいのですが、「戦国時代」というのは場所の名ではないわけです。ざっくりと言えば、応仁の乱により室町幕府の権威が失墜し、下剋上が全国に広がった乱世であった、つまり治世者がつぎつぎと変わったためです。これで普通は終る話なのですが、とにかく予備知識ゼロからの説明なので、次は「応仁の乱」についての説明になります。なお、「下剋上」は「the low overcomes the high」とか、あるいは簡単に「upset」とも言うようですがこれだと「ちゃぶ台返し」のようなニュアンスになってしまうような。ちなみに日本の解説では「実力主義」とも説明されていますが、これも微妙に違うような感じかと。
 さて、この応仁の乱(1467-1477)の主な原因は、AIさんによれば、室町幕府8代将軍・足利義政の跡継ぎ問題と、有力守護大名の権力争い、そして畠山・斯波両家の家督争いが連鎖的に重なったことによるそうです。この斯波(しば)氏というのは足利将軍の一門で、細川氏・畠山氏と交替で管領に任ぜられる有力守護大名です。
 さてさて、このあたりになると俄然、興味関心が続かなくなります。例えるなら、イギリスのテューダー朝(1485–1603)にいたるヘンリー6世やらヘンリー7世やらの話のようなもので、薔薇戦争がどうしたとかシェイクスピアがどうしたとか言われても、ご当地の方には常識でも、こちらとしては何のことやら、というのと同じでして。斯波家は最上家の祖はであり足利氏とも深く関係するのですが、その説明に行きつくまではそれなりの忍耐力が必要です。特に家系をたどる話は、見も知らぬ人物名ばかりが次々とでてくるわけで。
 ということで、刀剣などの方が興味関心が得られやすいかと。今回は新々刀の名工、水心子正秀らの刀とともに、現代の匠として上林恒平氏と弟子の�盒狭姥兄瓩療瓩鯏玄┐靴討い泙垢�、その師匠と弟子の刀が何とも対照的で、ほぼ同じ時期、同じ重量にもかかわらず、師匠の刀はたっぷりとした趣があるのに対し、弟子の刀はシュッとした細身で清新さがあり、是非そうした所などもご覧いただければと思います。

(→裏館長日誌に続く)