最上義光歴史館
最上家に伝わる義光愛用の鉄製の指揮棒です。
重さは1750gもあり、刀のおよそ2倍の重量です。 義光が実践で使用したとすれば、相当腕力のある人物だったことが想像されます。 指揮棒の表面には、「清和天皇末葉山形出羽守有髪僧義光(せいわてんのうまつようやまがたでわのかみうはつのそうよしあき)」と刻まれています。 清和源氏であること、山形出羽守であること、剃髪していないが仏に仕える身であることなどを示しています。 Google検索 Wikipedia検索 |
最上家に伝わる義光愛用の兜です。
織田信長より拝領したと伝えられています。 慶長5年(1600年)の慶長出羽合戦(通称:長谷堂合戦/関ヶ原合戦の地方戦)に出陣したときに、敵将直江兼続の鉄砲隊から狙撃され、命中、しかし、この兜のおかげで命が助かりました。 兜は篠垂(しのだれ)一条(いちじょう)が失われ、激戦を物語る弾痕がいまも生々しく残されています。 鍬形と利剣は平成20年3月に復元されました。 ※「三十八間金覆輪筋兜」は平成20年11月の山形市指定有形文化財の指定の際に「三十八間総覆輪筋兜」に名称変更になりました。 Google検索 Wikipedia検索 |
最上家に伝わる義光愛用の兜です。
織田信長より拝領したと伝えられています。 慶長5年(1600年)の慶長出羽合戦(通称:長谷堂合戦/関ヶ原合戦の地方戦)に出陣したときに、敵将直江兼続の鉄砲隊から狙撃され、命中、しかし、この兜のおかげで命が助かりました。 兜は篠垂(しのだれ)一条(いちじょう)が失われ、激戦を物語る弾痕がいまも生々しく残されています。 鍬形と利剣は平成20年3月に復元されました。 ※「三十八間金覆輪筋兜」は平成20年11月の山形市指定有形文化財の指定の際に「三十八間総覆輪筋兜」に名称変更になりました。 「山形アーカイブ」の3Dデータ>>こちら ≪注意≫ 3Dデータは特殊な撮影方法で制作されたため、鉢裏は必ずしも正確に表現されていません。鉢裏の受張は紺麻に紺糸の百重刺が付けられています。 |
(C) Mogami Yoshiaki Historical Museum









山形県のほぼ全域で、東軍の最上軍と西軍の上杉景勝の重臣直江兼続の軍が戦いました。
長谷堂は山形城から目と鼻の先、山形市の西方に位置します。
屏風は右隻が9月15日の様子、左隻が10月1日前後の様子です。
最上軍、直江軍とも有名な武将は名前が表記されています。
大将の最上義光も直江兼続もしっかり描かれています。
作者はこれまで戸部正直といわれてきましたが、近年その伝承について見直されています。詳細は>>こちら
▲右隻:長谷堂の攻防。右手には、長谷堂城主志村伊豆守の出陣姿が描かれています。左手には、軍配を持つ直江山城守ほか上杉軍の精鋭が描かれています。右上の建物が長谷堂城です。(※クリックすると拡大します)
▲左隻:退却する上杉軍と追撃する最上軍が描かれています。中央には、有名な鉄の指揮棒をふるって猛追する大将最上義光、左手には、鉄砲隊に守られた寄せ手の大将直江山城守が描かれています。(※クリックすると拡大します)
【参考】
・解説シート〜長谷堂合戦図屏風
・解説シート〜武将詳細図