最上義光歴史館
当館では11月26日まで特設展示「武士の晴れ姿〜甲冑と戦の様相〜」を開催しています。さて今、甲冑業界の最大の関心事は、オータニさんが移籍する場合、兜パフォーマンスはどうするのか、いわゆる「どうするオータニ」問題かとは思いますが、あまりふざけたことばかり書くと、当館学芸員から相手にしてもらえなくなるので、甲冑についてちょっと勉強してみました。
甲冑(鎧兜)は、時代により戦法も変わりそれにあわせ変化していきました。源平の時代は1対1で名乗り合って矢を打ち合う「騎射戦」であり矢の防御が目的でしたが、次第に「徒歩戦」(かちせん)のための軽快な動きができる甲冑が求められ、戦国時代後期には鉄砲戦を前提とした甲冑となってきます。甲冑はまた、実用性とともに威厳を示すことも必要で、戦闘以外でも首実検や儀式などで着用されました。 甲冑の主な変遷は、大鎧、胴丸、腹巻、腹当、当世具足の順となるとのこと。 「大鎧」は、見た目が華やかで、馬上で矢を射るための機能と、矢からの防御に特化しています。「胴丸」は、胴を丸く包むような形で、肩と腰で重さを支え、動き易いものになっています。「腹巻」は胴丸を簡易にしたものですが、左右合わせの胴を胴丸と呼び、背引合わせの胴を腹巻と区別しているようです。さらに造りの違いで「仏胴」、「横矧胴」、「縦矧胴」、南蛮貿易でもたらされた西洋風の「南蛮胴」などがあります。 鉄を多用すると重量が増したので,胴については横板が段状になった「最上胴」や「桶側胴」が現れました。「最上胴」は出羽の最上で多く作られたことから名付けられたもので、横に長い一枚板を五枚つないだ頑丈で簡易な構造が特徴です。今回の展示でもこの「最上胴」を展示しています。 「腹当」はさらに簡易なもので、胴の前面(胸から腹、大腿部)とわずかに左右を防御している物です。「当世具足」は「今風の甲冑」という意味で、兜と胴に加え、籠手(こて)や佩楯(はいたて)、臑当(すねあて)などの小具足を含めた、全身を隙間なく覆うものです。当世具足は、戦国武将達が城下にお抱えの甲冑師を住まわせ、それぞれ特注の甲冑を制作させたことから多様なものがあります。技法を凝らした甲冑は、芸術品としても評価されており、戦功の褒美とされることもありました。徳川家康はイギリス国王やオーストリア皇帝にも、蒔絵などで装飾された豪華な具足を贈っています。 さて、「北の関ヶ原」こと「慶長出羽合戦」では、最上義光とその援軍に駆け付けた伊達政宗、それに対する上杉景勝とその総大将の直江兼続が関係するわけですが、皆様、御承知のとおり、それぞれが着用した甲冑もまた有名です。 まずは、伊達政宗の「鉄黒塗五枚胴具足」(てつくろぬりごまいどうぐそく:仙台市博物館蔵)。全身真っ黒のコーディネートで、5枚の鉄板を繫ぎ合わせて隙間なく包む五枚胴で防御力が高く、政宗はこれを気に入っており、仙台藩の歴代藩主やその家臣らも着用したことから「仙台胴」とも呼ばれるようになりました。また、筋状の繫ぎ目が62ある「六十二間筋兜」はあの大型の三日月の前立で有名です。当時の戦国武将の間には、月や星に仏の加護を願う信仰があったそうです。当館の今回の展示でも、伊達ゆかりの品ではありませんが「六十二間筋兜」を展示しています。 上杉景勝が所用していた鉄黒漆塗紺糸縅異製最上胴具足(てつくろうるしぬりこんいとおどしいせいもがみどうぐそく:新潟県立歴史博物館蔵)は、あえて言及する必要はないのですが「最上胴」です。兜は「卍」の前立を猪が支えていて、この猪は戦勝を司る神「摩利支天」を表しています。摩利支天は陽炎を神格化した1柱で、陽炎が「焼けず、濡らせず、傷付かない」ことから、自在の通力を持つとされています。 直江兼続の金小札浅葱糸縅二枚胴具足(きんこざねあさぎいとおどしにまいどうぐそく:上杉神社蔵)は、鎧に「愛」の文字をあしらったアレです。直江兼続が兜に「愛」を掲げた理由には諸説があり、軍神として崇められていた「愛染明王」や「愛宕権現」の頭文字を取ったとか、上杉家の施政方針であった「民を愛し、大切にする」の意味だとかと言われています。 最上義光については、銃撃の跡が残っているという貴重な兜があるのですが、残念ながら、義光が戦場で着用した鎧というのは見当たりません。 まずはこの4つの兜を揃えるだけでも、なかなかな企画展示となるわけですが、仙台や米沢の博物館では可能でも、施設事情により当館ではできません。代わりにペーパークラフトの兜であれば、全てをご自宅でしかも無料で揃えることができます。当館や各関係施設等のホームページからダウンロードできます。なお、最上や伊達などは甲冑のペーパークラフトもあり、当館売店でも販売しております。一領、いや1セット、最上は1,000円、伊達は1,300円です。秋の夜長にいかがでしょうか。 最上義光 甲冑ペーパークラフト 1,000円(税込) (特製クリアファイル付) 好評発売中です → 館長裏日誌 |
(C) Mogami Yoshiaki Historical Museum
さて、このタイヤ交換の時期は、某歌合戦の出場者が発表される時期でもあります。今年の話題はあのジャーニーさんのことかもしれませんが、還暦を過ぎた身からすれば、メンバー名どころかグループ名すらよくわからず、歌合戦と言えばせいぜい、石川さんが今年歌うのは「津軽」と「天城」のどっちだ程度です。
あと、一部で物議を醸しているのが、大泉洋さんが「出場歌手」になったことです。以前、乳酸飲料のCMでカラオケランキングトップの有名曲をカバーしていたのですが、そのオリジナル歌手との対談で「もう少し練習しておけばよかった」とか言っていました。確かにそんな感じでしたが、歌合戦は「シェフ大泉」のような勝負になってしまうのではと危惧しています。
さて、この大泉さんが還暦を過ぎたら、きっとこんな感じになるだろうなという人が、知り合いの不動産会社の社長にいます。その知識経験からなのか、お人柄からなのか、やたら面倒な案件の相談ばかりあると言います。ただ、そんな物件もうまくこなすため、噂ではかなりの豪邸に住まわれているとのこと。初めてお合いした40年近く前は、「どうでしょう」に出てくる大泉クンのような身なりだったのですが。
以前、個人的な用件で、その社長さんの会社に行ったとき、「明日、旧家の蔵を買いに行く」という話をされました。そうです。蔵を買うというのは、中身も込みで買うということです。そういう物件をこれまで幾つか扱ってきたそうで、郷土作家の美術作品にも詳しくなってしまったとのこと。いわく、最上川を専門に描いているあの画家の作品がよく出てくるとか、今、手元に某美術館で生誕100年記念展をした女流画家の大きめの作品があるけど安くしておくから買わないかとか、まあ次から次へと話が出てきます。小一時間ほどこんな話になってしまい、肝心の用件は後で社員の方に相談することとなったのですが。とにかく、それなりの数をみて、しかも売買も絡むため、かなり目も肥えるようです。
それにしても「蔵の一棟買い」というのは、夢があります。やれるものならやってみたいとは思いますが、まずは先立つものがないと。当然ながら価値の評価も難しく、美術館であれば美術的な価値判断もなされますが、博物館では、いつ、どこで、それが作られたり、使われたのかがわからないと、資料的な価値が失せてしまいます。
さらに厄介なのは、品物の蔵出しはできても、蔵本体をどうするかです。大抵はその蔵の有効活用を、という話になりがちですが、市当局としてはきっともめることになります。何に利用して、どの部署で管理して、予算はどうこうと、課題ばかりが山積し、やがて「お蔵入り」ということに。
さて、ここでいつものことわざですが、ふと浮かんだのが「捨てる神あれば、拾う神あり」です。これは、相手にしない人もいれば、助けてくれる人もいるので、くよくよするな、という意味ですが、博物館の場合、全く別の意味でとらえることができます。それは、その価値を見捨てる人もいれば、見出す人もいる、ととらえるのです。
そのいい例が浮世絵です。日本から欧州へ陶磁器などを輸出する際、その梱包材として浮世絵が使われましたが、それがゴッホだのモネだのに見い出されて浮世絵ブームが巻き起こりました。まさに「捨てる紙あれば、拾う紙あり」といったことでしょうか。
ゴッホは、モンマルトルに住んでいた時に、近くの古美術店の屋根裏ににあった大量の浮世絵に魅入られます。その後、日本に憧れながらアルルに移住し、南仏特有の明るい陽射しに、浮世絵版画の色彩を重ね、作品を生み出していったとのことです。惜しむらくそれは、山形にはない陽射しや色彩であろうかと。ただただ、暖冬を祈るばかりです。
除雪機もスタンバイさせました。
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