最上義光歴史館
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■ラーメン消費が日本一の理由の話
「おすすめの店はどこ」とか「山形ラーメンとはどんなもの」とかの前に、「山形の消費はなぜ多いの」ということについてですが、かつて山形では、自宅に親戚や客人がくると出前のラーメンでもてなすことが一般的でした。あくまでも感覚的なことですが、都会でのラーメンの出前というのは、仕事が忙しく外に行けず昼にとったり、夜食にとったりと仕事の合間にとるものかとは思いますが、山形ではラーメンはごちそうであり、それは、鮨や鰻の出前に相当するようなものであったわけです。 そのような生活史的な背景があるのですが、現在は出前をしてくれる店も少なくなり、また出前で伸びたラーメンを食べることも当然好まれず、店に出かけて食べるようになっています。それではなぜ今も消費額が多いのか。あくまでも生活感覚的なことなのですが、それほど金もない中で家族で外食しようとすればラーメン屋であり、特に目新しい場所もない地方都市で話題となるのがラーメン屋であり、ローカル放送やフリーペーパーでとりあげられる情報がラーメン店であり、いずれにせよ、若干、恵まれない理由からラーメンに寄っていっている感じではあります。 ■「そば」の聖地になれない話 ラーメンだけじゃなく、そばもいけるのなら、そっちも聖地をめざしては、という話がでてくるかとは思いますが、総務省の統計区分では、「そば」は「うどん」と一緒になっていて、そうなると高松市が断トツで1位になります。かの地では1日3食以上うどんを食べ、喫茶店がわりにうどん屋に入り、また、�眈召砲呂Δ匹鵐織�シーという、タクシーを貸し切って運転手さんおススメのうどん屋さんのはしごまでできるわけで、さすがにラーメンではこうはいきません。ラーメンのはしごは、なかなかにキツイものです。 山形ではかつて、そば屋でラーメンを出すのが普通で、単に「そばだけ」とか「ラーメンだけ」の店より、両方出せる店の方が格上的でしたが、これと同じく総務省の統計が「日本そば・中華そば」というくくりになっていれば、山形市は1位になっていたかと。とは言うものの世間様では既に、日本三大そば(わんこそば、戸隠そば、出雲そば)というものがあり、日本三大ラーメン(札幌ラーメン、博多ラーメン、喜多方ラーメン)というものも、やはり衆目の一致するところではないかとは思います。 また、「聖地」を名乗ることについては、山形大学の副学長(企画・評価・総務・危機管理・内部統制担当)が主宰する「がっさん通信」の「〈折に触れて〉ラーメン消費額、山形市首位奪還」という記事で、至極まっとうなご意見が述べられており、ここにあるとおり山形はやはり「ラーメン天国」と称するべきでしょう。あとは「ラーメン天国、おそば天国」なんていう曲が出てくればいいのでは。つれてゆこうかこれから、ラーメン天国え〜♪、さすがにユーミンに、とは言わないので。 ところで、世帯当たりの消費額日本一を「聖地」と言うのであれば、「すしの聖地」は金沢市、「焼肉の聖地」は高知市、「ハンバーガーの聖地」は熊本市となります。その金沢市は納得できますが、焼肉とハンバーガーは意外な感じです。そして「まんじゅうの聖地」は福島市、これも理解できるのですが、「ゼリーの聖地」が秋田市、これはどんな事情なのでしょう。ちなみに金沢市は「ケーキの聖地」、「チョコレートの聖地」、「アイスクリームの聖地」というデザート三冠の地でもあります。金沢市は能登半島震災の影響で観光客激減とのことですが、対策キャンペーンもあるそうで、復興支援に「デザート聖地めぐり」はいかがでしょうか。そうそう、お鮨も忘れずに。 ■ソバリエの話 かつて、そばの案内人である「ソバリエ」の実地研修に同行することがありました。その内容は、市内の代表的なそば屋さん10軒を5件ずつ2日間にわけて食べ歩くというもので、はしごして食べることでそれぞれの違いが明確にわかります。その量は基本的に1件あたり半人前ですが、結局1人前くらい食べてしまうので、1日で5人前近くのそばを食べることとなります。 店では、そば粉の挽き方や水(天然水、井戸水、電解水の店もありました)の種類などを聞き、そば粉と小麦粉の割合やそばつゆの原材料なども聞いて試食します。まずはそばをそのままで一口すすり、次につゆだけをすすり、そしてつゆに入れて食べます。その後、薬味も入れて、そば湯もいただきます。 ここで何件かの店主から聞いたのが、本当はつゆを辛く(濃く)したいのだが、どっぷりつけて食べるお客さんから苦情がくるので薄くしてある、ということ。どっぷりつけると、そばの香りがわからなくなってしまうので、本当は辛いつゆに少しだけつけて食べるとのことです。有名な小噺に、「そばは、ほんの一寸か二寸、つゆをつけてたぐり込むものだ。」と講釈していた江戸っ子が病気になり、見舞いに来た友人に「たった一度でいいから、そばに、つゆをたっぷりつけて食べたい。」と言った、というのがありますが、まあ、商売としてはどちらに合せるべきか難しいところでしょう。もっとも、店によっては、あらかじめ「そば」に「つゆ」がかけてある「ぶっかけそば」というものもあり、これはこれで美味しいのですが。 ■ラーメン戦国時代の話 東北のラーメンはまさしく戦国時代で、ラーメンの消費統計でも、東北の全ての県庁所在都市が10位以内に入っているという状況です。山形ラーメンに対しては、いつものように上杉家と伊達家が、いや、「米沢ラーメン」と「仙台ラーメン」が並び立ち、その両雄の手前には、天童の「鳥中華」と赤湯の「辛みそラーメン」がコンビニカップ麺にもなるほどその名を轟かせています。全国区では「家系」と「二郎系」が天下分け目の戦いを繰り広げ、その余波は東北各地にも広がり、山形では「油そば」や「つけ麺」もその頭角を現しつつあります。 そんな戦国時代の中で、歴史好きであれば、ラーメンの「川中島の戦い」はどこだとか、「関ケ原の戦い」はどうだとかと例えてみたくなるのではないのでしょうか。例えば、山形市内の「川中島の戦い」とも言えそうなのが、どちらも「K」ちゃんラーメンという名の店同士で、幹線道路一本で隔てられている超人気店なのですが、そこで出されるラーメンは全く違い、好みがはっきり分かれます。これが「関ケ原の戦い」となると、まずは山形市内を東西の勢力にわけるようなことは難しく、まあ、「夏の陣」であれば、冷やしラーメンの天下とでもなるのでしょうか。しかしそこには、仙台発祥の「冷やし中華」ファンもいれば、最近は「冷やし担々麺」という強力メニューもあり、気は抜けません。 一方、上杉家と伊達家、いや、「米沢ラーメン」と「仙台ラーメン」の新勢力としては、米沢の「地獄ラーメン」と仙台の「麻婆焼きそば」というのがあり、うーむ、これは山形でも冬にいける何かを、たとえば「納豆味噌ラーメン」あたりでしょうか。まあ、「納豆」というのは飛び道具のような気もしないではないのですが。 ■健康管理の話 「『山ラー』フェア」ですが、ちなみに「山ラー」というと、かつて、アムラー、シノラー、シャネラーという方々がいましたが、すみません、余計な話でした。そのフェアでのスタンプラリーの参加予定店は、ポータルサイト「#推しメンやまがた」に出ているのですが、あの「ラーメン・つけ麺・僕イケメン」の狩野英孝さんは、実は小麦アレルギーで、ラーメン店のロケでも「全部は食べてない」とのこと。すみません、余計な情報でした。 ところで、麺類の摂取過多は健康にも影響して、香川県はかつて「うどん県」として売り出していましたが、うどんばかりを食べていたら県民の栄養バランスが悪くなり、特に糖尿病が問題とされました。また、讃岐うどんは粉の3%以上の量の塩を使うことが定められていて、塩分の影響も要注意です。今は野菜も食べてと呼びかけているようです。実は山形県も昨年10月、新たなキャッチフレーズとして「ラーメン県、そば王国」を打ち出したのですが、「うどん県」を他山の石として、などと言える立場にもないので、むにゃむにゃ。 ただ、健康面からラーメンはどうかというと、少なくてもラーメン食を勧める医者など聞いたことがありません。通常、ラーメンは脂肪や塩分が多く、特に脳循環系の疾患がある方などは要注意です。一方、店によっては糖質制限ができるよう麵抜きのメニューもあり、麺なしのラーメンをラーメンと呼ぶべきか、むずかしいところではあります。もちろんラーメンは、料理としてはすばらしいもので、様々な調理法や具材を駆使した究極の料理として、中にはオマール海老専門のフレンチラーメン店まであるそうですが、健康面からすればやはり気になります。 これが「そば」であれば、健康食として、また「そば湯」や「そば茶」にも効用があると言います。毎年の健康診断で、健康指導を受けるようにと通知がくる私としては、やはり「そば推し」です。そしてこれを同じ健康食の納豆と組み合わせて「納豆そば」とすれば、タプルパワーの健康食となるはずですが、なぜか「納豆そば推し」というのを聞いたことがありません。「納豆」と「そば」には、なんか見えない壁があるようです。ちなみに山形では、「うどん」は「納豆」とかなりの親和性があります。しかし、これを関西出身の人に言ったら「うどんは喉ごしで食べるもの、納豆と一緒に食うなんて考えられへん。」と一刀両断にされました。 ■昼に混む店の話 同じ店でも、昼と夜とでは、出来上がりが全く違うことがあります。昼にやたら混むラーメン屋は、夕方にはスープが薄味で水っぽくなっていたりします。逆に、お客さんが少ない店は、スープが煮詰まっていたりします。昼に混むそば屋では、昼はそばが伸びてしまったりしているのに、客の少ない夕方は、茹でたてのきりっとしたそばが出てきたりします。 麵が伸びているかどうかとか、スープの状態がどうかとか、これはワインでいえば、保存状態(瓶の中身や酸化)はとか、提供される温度はとか、と同じようなことかとは思います。ソムリエが開栓してまず確認するのは、カビ臭くないかということです。こうした劣化を「ブショネ」と言いコルク栓の汚染が原因なのだそうです。ワインのホストテイスティングは、まずこれを確認するためのものですが、経験がないともともとそういう風味のワインと受け取られることが少なくないそうです。ソムリエは、コルク栓の具合と香りで見分けて、このようなワインは交換するそうです。これがラーメンであれば、やはり、こんなものかと食べてしまうこともあり、本当にヤバいものは、交換というよりまずは保健所に相談、ということになるとは思います。 ちなみにブショネとされるワインは、「廃墟のよう」、「ダンボールが湿った匂い」、「雑巾のような」などという表現をすることもあるそうですが、雑巾のような匂いのする「ラーメン」は、やはり遠慮すべきかと。そう言えば過去に、雑巾の匂いがする「ご飯」を上野公園近くの某大学の食堂で出されたことがあります。腹こそ壊しはしませんでしたが、芸術を志す東京の学生さんは、なかなか大変だなぁ、と思いました。 |
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〇 初市のはなし
初市は十日町〜本町〜七日町〜旅籠町の国道112号線沿で開催されますが、山形市を知る方には、十日町と七日町とに挟まれている「本町」は市日町とは関係ないのかと思われる方もいると思います。実は本町という町名は戦後昭和のものであり、それまでは「横町」という地名でした。 横町は、最上義光の山形城拡張時に十日町とともに移転した町で、特に市は立たない町でしたが、「仙臺越後庄内より生魚干魚塩魚」を売買する魚屋で繁盛した町で、「海はなけれども8月より5月迄は海辺のごとし」と「山形風流松木枕」にあります。 また、紅花の最盛期である1700年代前半は、この十日町から七日町にかけて紅花市が立ち、紅花の摘花の時期は「1月の儲けが1年中の暮らし」となったとそうで、「京都より紅花仲買下りて、仲買商人乃有様狂人の如く、何れ餘国になき珍敷商の模様なり」と「山形風流松木枕」にあります。 一方その頃の山形城は、享保4年(1719年)の堀田氏時代の城下絵図によると、郊外の武家屋敷地はほとんど姿を消し、三の丸内は空き屋敷が目立つようになりました。明和元年(1764年)からの4年間は幕府領となり、二ノ丸・三の丸の武家屋敷地は大半が取り払われ、城下住民に請け負わせて田畑を開かせたとあります。その明和年間の地図と思われる「羽州最上御城内乃図」も今回の企画展で展示していま す。 山形城の絵図からもその変遷が見て取れるのですが、この流れはもしかして「民間活用、小さな政府」ということなのかしらん。 〇 堺石(さかいいし)のはなし かつて土地関係の仕事を担当していたことがあったのですが、この十日町とは別の場所の堺石で、ちょっと戸惑ったことがありました。土地の現地調査に行くとまず、その土地の境界を確認するのですが、ある畑地で、境界を地権者の方に確認すると、そこの石が境界だと先代から聞いている、と言われたのですが、見るとそれは大きめの漬物石程度で、その気になればいくらでも動かせそうなものでした。それもさることながら問題は、この石のどこの部分が境界になるのか、中心なのか縁なのか、とりようによっては30センチぐらいはズレてしまいます。 また、田んぼの境界も、土地改良をした場所でも、いつのまにか畦畔が移動していることも珍しくなく、まずは1メートルくらいの深さで境界付近を掘ります。すると野球のバットを一回り大きくしたような木杭があらわれてきます。松の木であれば50年くらいは腐らずにあります。それを掘り起こして新たな杭を設置したりするのですが、当然、数センチ単位ズレます。まあ、登記面積としては宅地および10平方メートル以下の土地以外は、小数点以下を切り捨てることになっているのですが。 宅地の場合は、やはりシビアな場合があります。よくあるのが、道路との境界がわからない、ブロック塀の内、外、真ん中のどこが境界かわからない、といったもの。意外とトラブルになるのが、本家から土地を分けてもらった分家同士が隣接していて、その境界があいまいな場合、仲がいいとその場で決まるのですが、そうでないこともままあります。これが山林となると、立木が堺になっていることがあり、相続をうけた山林などでは、その木がどれかわからない、ということもあります。 絵図の場合、まずは位置関係がわかれば、距離的な精度は適当でもいいのですが、年貢がからむとなるとそうはいきません。戦国大名の時代になると、独自の領地高権(「切り取り次第」というアレです)をもつこととなり検地がなされました。織田信長が行った検地では、奉行人であった木下藤吉郎も実務を担当しており、その後、太閤検地、つまり秀吉による検地がなされます。 当初は,家臣に自分の所領の明細を書き上げさせる指出(さしだし)検地が多かったのですが、1594年に基準や方法がほぼ確定し、慶長〜元和(1596年−1624年)に全国規模の検地が実施されました。 検地には間竿(けんざお)や間縄(けんなわ)が用いられました。間縄とは1間ごとに印を付けた縄ですが、今も使われる言葉に「縄伸び」とか「縄縮み」というのがあります。 「縄伸び」というのは、検地の際、年貢の負担を軽減するため、実際よりも長めに目盛りをつけた縄で、面積を小さめに測量したことに由来します。一方、縄縮みは、田畑などの小作地の場合、地主が多少地租を多く納めても、小作料をそれ以上に納めさせたい場合などに面積を実際より大きくしたものです。今でも、固定資産税のことを考えれば縄延びしたほうがよく、土地を売ることを考えれば縄縮みした方がいいのでしょうが、近年は課税も売買も地籍調査を含め実測でなされることが多いです。 なにはさておき、実測にいたる前提は境界の確認です。境界がわからないことには、長さを測ることができません。その境界沿いには縄を張ることもあり、つまり「縄張り」ですが、「俺の縄張りを荒らしやがって」と言うその筋の方を引き合いに出すまでもなく、その重要性はご理解いただけるかと思います。 この境界問題というのは、ロシアとの境界、中国との境界、韓国との境界をはじめ、繁華街や隣家レベル、場合によっては夫婦間や職場の机レベルでも抗争の原因となることがあります。たかが境界、されど境界、とでも言うべきでしょうか。まずは、世界人類が平和でありますように。 |
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■ 学んでいない話 その1
サイモンとガーファンクルの「冬の散歩道」が収録されている「ブックエンド」というアルバムには、老年の哀愁を歌ったような作品がいくつかあります。若いポール・サイモンが、なぜ老人の心境を描けるのか、ということも話題になりましたが、内容に反してジャケットは、ファッション写真で有名なリチャード・アヴェドンによるオシャレな肖像写真です。最近これを私は、中古のLPで購入しました。これは家人に言わせると「無駄遣い」という病癖なのだそうです。すみません。年を取ると持病が現れてくるのかも。 さて、「亀の甲より年の功」ということわざがあります。これは「年長者は、長年経験を積んでいるだけに、若者には及ばない知恵や技能がある。さすが年長者だけのことはあると、称賛することば。」という意味です。自分もそろそろそんな風に重宝される歳ではないのかしらん、などと思っていたのですが、時代はリスキリングということで、昔のフォークがどうだなどという蘊蓄は用をなさず、DTMとかボカロとかを使いこなすくらいでないとダメかと。それが紅白出場歌手すらわからないようでは、やはりリスキリングが足らないのかと。すみません、無理です。 ■ 学んでいない話 その2 「井上陽水50周年記念ライブツアー『光陰矢の如し』〜少年老い易く 学成り難し」というコンサートは、2019年に山形でも開催され、会場は満席でした。確か「リバーサイドホテル」を歌おうとしたときに、「歳をとると毎回同じ曲を歌うのも大変で、この曲もねぇ、歌詞を読み上げるだけで済ませられたらいいですが。」とか言って、歌詞の冒頭を読み上げたりしていました。観客も井上陽水と同世代の方が圧倒的に多いのですが、さすが団塊の世代でして元気でしたが、トイレは長く、ものすごい行列でした。 私事ですが、井上陽水を知ったのは中学の時、井上陽水が好きだという同級生の家に遊びに行ったら、井上陽水と名乗る前のアンドレ・カンドレという名前の時代のアルバムまで持っていて、さすが、どこぞの社長の息子だけのことはあるなと感心したのですが、同じようにそんなものを買うわけもいかず、その他にも持っているアルバムをいろいろ借りてはカセットテープにダビングし、その後も新しいアルバムが出るたびにレンタルレコード店から借りてきてはダビングして、皆さまもきっとそんな時代を経てきているのではとは思います。 今となっては、ダビングしたテープなど行方知れず、中古で「井上陽水全集CD15枚組」なども入手しましたが、今どきCD盤など後生大事に持つものではなく、サブスクのネット配信とかを利用すべきかと。やっぱり「光陰矢の如し〜少年老い易く 学成り難し」ということで、時代は変化しているのに、追いついていないというか、学んでいないというか。 ■ チャリティーコンサートの話 サイモンとガーファンクルの「ブックエンド」というアルバムには「America」という名曲が入っています。ポール・マッカートニーの呼びかけで、アメリカ同時多発テロ事件(9.11)のわずか一月後に「The Concert For New York City」というチャリティーコンサートが開催されたのですが、このオープニングで歌われたのがこの「America」です。しかも歌ったのがデヴィッド・ボウイでした。これはつまり、イギリスの歌手がアメリカのフォークデュオの曲を歌うという、例えて言うならビリーバンバンの曲をチョー・ヨンピルが歌うようなもので、いや、イギリスの歌手が「America」を歌うという、例えて言うなら長渕剛の「JAPAN」と言う曲をブルース・スプリングスティーンが歌うようなもので、あ〜、また、ぐだぐだとしょうもないことを言ってしまいました。やはりここは「ジャパ〜ン」と郷ひろみが口火をきってほしい、いや、だから何の話だ。 手元のCDによると、このコンサートは6時間にわたり開催され、1400万ドル(当時のレートで16億8千万円)の収益があったそうです。出演はボン・ジョビ(超日本びいき)、ビリー・ジョエル(あの「New York State Of Mind」も歌っています)、ミック・ジャガー&キース・リチャーズ(ローリングストーンズの初期からのメンバー)、ザ・フー(イギリスの三大バンドと言えばビートルズ、ストーンズ、フー)、ジェイムス・テイラー(妻はカーリー・サイモン、もしかしたら彼女の方が人気)、ジョン・メレンキャンプ(唯一の全米1位となったアルバムが「American Fool(アメリカバカ?)」)、エルトン・ジョン(名前の「ジョン」は、ジョン・レノンから採った芸名)、もちろんポール・マッカートニーも出演しています。(以上、カッコ内は筆者調べ、某長距離走解説者のような情報でしたが。) コンサートの最後にポール・マッカートニーが7曲を歌い、うち3曲がビートルズナンバーで、「Let It Be」ではエリック・クラプトンがギターソロを弾きました。例えて言うなら、玉置浩二が安全地帯の曲を歌い、そこで布袋寅泰がギターソロを弾くといった感じでしょうか、いやその、例えはいらないとは思いましたが。とにかくこれだけのビッグネームのスケジュールを、この短期間にどうやって調整したのだろうと驚きます。能登半島震災でもこんなチャリティーコンサートを、とは思うのですが、さすがに震災の翌月では難しいでしょうか。 あとは、そこの曲はということですが、まずはご当地ソングかと。石川さゆりさんが持ち歌の「能登半島」を先日、某生放送番組で歌っていました。あと坂本冬美「能登はいらんかいね」という曲もあるのですが、震災で避難している状況に対し曲名があまりにも、と言うか「能登の出身だけどいりませんか」という意味らしいので。 いや、別にご当地ソングでなくても、例えば紅白クラスの歌手が一堂に会して、多くの人の関心を集め、どぉ〜んと収益金も集めてくれればということで、あの多様性とか何とかでも全てありかと。そういう意味で紅白はまだ存在価値があるような気がします。 |
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■ 梅は咲いたかという話
梅の歌というと、「東風吹かば〜」という歌よりも、「梅は咲いたか〜 桜はまだかいな」という歌が先に浮かんでくるのですが、さて、その後はというと、どうにも出てきません。ということで、この機会におさらいを。 〽 梅は咲いたか 桜はまだかいな 柳ャなよなよ風次第 山吹や浮気で色ばっかり しょんがいな 「世界の民謡・童謡」というサイトによると、「これは明治時代に流行した俗謡『しょんがえ節』を基にした江戸端唄(はうた)・小唄で、花柳界の芸妓たちを季節の花々や貝に例えて歌っている。」とのこと。ここで「貝」というのは、この歌の続きが、 〽 アサリとれたか ハマグリャまだかいな アワビくよくよ片想い サザエは悋気(りんき)で角(つの)ばっかり しょんがいな というもので、同サイトの解説によると、「柳はゆらゆらと移り気で、山吹は実を結ばない浮気性。「七重八重 花は咲けども 山吹の実の一つだに なきぞ悲しき」とも歌われる。アワビは二枚貝ではないため相手がおらず「磯の鮑の片思い」とも例えられ、悋気は嫉妬のこと」だそうです。そして歌詞の最後は、 〽 柳橋から小船を急がせ 舟はゆらゆら波しだい 舟から上がって土手八丁 吉原へご案内 ということで、つまり吉原を歌っていたのですね。あの石川さゆりさん(なぜか登場が続きますが)が歌っている動画もネットで観ることができます。 先日、某チコちゃんの番組で「ひやかし」の語源について説明していました。江戸時代の紙職人は、古紙を煮てそれが冷えるまでの間(つまり冷やかし)、吉原まで出掛けるものの、金はないので、歩いていって覗くだけだったことに由来し、吉原で遊ぶような人は舟に乗ってくる、との説明がありました。これで「柳橋から小船を急がせ」からの歌詞も理解できたかと。 それにしても5歳児に「吉原」をどう説明すればいいのでしょう。あるいは「銀座」とか「六本木」とか「歌舞伎町」とかも、どう説明すればいいのでしょう。もっとも私自身、人に説明できるほど行ったことはないのですが。 昔、一世を風靡したお笑い番組では、「今日は吉原、堀之内ィ〜、中州、すすきの、ニューヨークゥ〜」という歌が流れていましたが、当時、5歳ぐらいの子もきっと、これを観ていて、わけもわからず歌っていたのではないのでしょうか。もっとも、わけがわかっているとすれば、それはそれで心配ですが。ところで、この並びで「ニューヨーク」というのはどうなんでしょう。「ロンドン」というお店なら昔山形にもありました。子どの頃に聞いたそのCMソングによると、楽しくて愉快なお店らしいです。 ■ 記憶力についての話 「百人一首」を暗記させるという学校があるそうですが、ゲーム感覚で覚えればさぞかし楽しい、というか、「百人一首」でゲームができるわけで、覚えていれば、なんか人生も豊かなものになるような気がします。残念ながら私は、上の句が読み上げられれば、下の句が言えるような歌などまずなく、人生がそんなに豊かな感じがしないのも、そういうことかもしれません。 ということで、未だに「百人一首」を覚えられないのですが、「平家物語」の「祇園精舎の鐘の音〜」とか、「枕草子」の「春はあけぼの〜」とか、「方丈記」の「ゆく河の流れは絶えずして」とかのいずれかを暗記させられたような、それすら記憶があいまいですが。どこか山形の学校では「奥の細道」の「月日は百代の過客にして〜」なども暗記させているかもしれません。とにかくいずれも、人生哲学にきっと役立つようなものばかりで、覚えていても損はないような気がします。 昨今は、必要なときにネットで検索すればいいし、などと思い、記憶をネットに頼ったり預けたりするのが当たり前で、しかも皆がそうなので別に責められることもなく、暗記という行為は疎まれるばかりです。かく言う私も、この暗記というのが苦手で、覚えるのが苦手な上に、すぐに忘れてしまいます。基本的に、関心のないものは覚えられないし、残らないそうです。確かに小さい頃は、怪獣やら怪人やらの名前ばかりかその特技や弱点という使い道のないことまで覚えられたのに、今となっては、刀剣や甲冑などの名前はほとんど覚えられず、歴代の山形城主の名前もかなり怪しいです。 ただでさえ貧弱な記憶力が、加齢でますますダメになっていて、ロコモティブシンドロームがくる前に、記憶力シンドロームとかがきている感じで、なんかテレビの通販で記憶力にいい薬があるとかないとですが、コンドロイチンとかより先に入用かも。 とにかく暗記力があるというのは素晴らしいことです。例えば、電話番号が暗記できていれば、いちいち調べることもなく、人の名前が暗記できれば、それだけでビジネスがはかどるというものです。いちいちレファレンスに頼る必要がないというのは、時間が節約できるわけで、ぼんやりと覚えていてぼんやりと答えたりすると信用にも関わります。そして、しつこく覚えている人には、やはりかないません。こちらは「覚えていろよ」とか言われても、覚える自信もないくらいですが。 記憶が必要なのは、例えば論理的思考が求められるという数学も、大学入学共通テスト程度までは暗記科目です。というか、限られた時間内に回答するには暗記しかないからです。これがトップクラスの大学の二次試験となると、さすがに思考力が問われるというか、解法がひとつでないような問題もあります。 数学は理詰めとは言え、暗記するしかないような事例も多く、例えば、ちょっと入試レベルを超えるのですが、「1/sinxの不定積分は?」という、たったそれだけの問題ですが、これが自力で解けるとなれば、それは相当なセンスの持ち主でしょう。これの解法については普通、暗記するしかありません。試しに近くにいる理系の方に聞いてみてください。これがさらさらと解ける方は、本当に数学のセンスというか暗記力が確かな人です。 とは言うものの、数学よりも多分、百人一首を暗記した方が、重宝するのではとは思います。つまり、さらっと歌などがでてくればかっこいいけど、さらっと三角関数の解法がでてきても、「そういうの、わからないので」と引かれてしまうだけだからです。あの「受験生ブルース」に、♪サイン・コサイン何になる〜、という歌詞がありましたが、私も少しは勉強したものの、仕事で必要になったことなどなく、逆に実用レベルでは、これより先を学ぶ必要があります。ただ今は、普通のことはAIでできるようで。 ちなみに記憶が試される問題としては、「四国問題」という山形の人にとっては難しい問題があります。これは四国にある県名と県庁所在を答えるというものなのですが、これがすぐには出てこない。他にも、山形の人にとって難しい問題としては、大分、宮崎、熊本の位置関係を答えるというもの。どちらが北でどちらが西か、これもすぐには出てこない。もっとも、かの地の人から言わせれば、秋田と山形のどっちが北かわからない、とのことでしたが。 |
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■ 松原の話
江戸時代の「松」と言えば、街道の「松並木」もあります。1604年(慶長9年)に徳川家康が諸国の街道両側に松や杉を植えさせたことが始まりともされ、日陰の提供や防風林、道標としても用いられました。 江戸時代の東北には、福島と青森とを結ぶ街道として、山形、秋田を経由する「羽州街道」と、宮城、岩手を経由する「奥州街道」の二つがありました。福島の桑折から分かれ、青森の油川で合流しますが、桑折と油川は奥州街道の宿場となります。 羽州街道沿いの宿場数は58宿とも62宿とも言われますが、時代による変化や、宿場と宿場の間に置かれた間宿(あいのしゅく)という二つの宿場が月の半ばに交代した所などがあるため、正確な数ははっきりしていません。 山形と上山の間には、「松原宿」と「黒沢宿」という間宿があり、松原宿は月の前20日間を、黒沢宿は月の下旬10日間を勤めました。「松原」はその宿名からすれば松の木が広がる原野であったかもしれないのですが、現況は個人の庭先に松の木がある程度で、ほとんどが住宅地と農地になっています。一方、「黒沢」は何件かの温泉宿が点在していますが田畑に囲まれた地域です。この街道区間は現在も、当時の街道筋がそのまま残っています。 松原宿は、1622(元和8)年に上山藩と山形藩が分離したことから番所が置かれ、新設されたものです。通行する者の通判改めの他、青苧、蝋、漆などの荷改めなどが行われ、その松原番所跡には現在、石碑があります。 実は50年前、福島、山形、秋田の3県を結ぶ「奥羽新幹線」基本計画が、この羽州街道をなぞるように政府により作られました。また、日本海沿いに新潟と秋田を結ぶ「羽越新幹線」という計画もあり、現在、山形県内には「山形県奥羽・羽越新幹線整備実現同盟」というものがあります。しかしながら山形県以外はメリットに乏しいせいか、他県での動きはいまひとつのようです。一方、秋田までの運行となると、山形県内のほぼ各自治体にある新幹線駅の多くが通過駅となってしまう可能性など様々な懸念もあるようです。 それでも福島青年会議所は今年9月に、福島市から山形市を経由して秋田市までを結ぶ新幹線をフル規格で整備する「奥羽新幹線」の検討会を発足させました。このように分岐点となる福島と青森で盛り上がってくれれば、話は動いてくるのでは。経済交流もさることながら、東日本大震災のときの教訓として、東北新幹線の迂回路線が必要との声を受けてのこともあるそうです。迂回路線としてそれならいっそ、日本海沿いに青森から山口まで新幹線が整備されればと思うのですが。これぞまさしく国土強靭化ではないかと。 ■ ウルトラCの話 当然、松にもいろいろありまして、代表的なものとしてアカマツ、クロマツ、カラマツ、トドマツなどがありますが、すべてマツ科ではあるものの、アカマツやクロマツは「マツ属」、カラマツは「カラマツ属」、トドマツは「モミ属」ということで、アカマツとクロマツは松の代表的な仲間とされる一方、カラマツやトドマツは松の仲間とは区別されるそうです。 また、松の名前と言えば、おそ松、カラ松、チョロ松、一松、十四松、トド松という松野家の六つ子の兄弟の名前を思い出す方もいらっしゃるのでは。赤塚不二夫さん作の「おそ松くん」ですが、1962年の「週刊少年サンデー」が初出です。この年は実は私の生年でもありまして、これで一緒に育ってきたということですが、2015年には赤塚不二夫生誕80年記念として「おそ松さん」が放送されました。その実写版第二弾映画が来年2026年1月9日に公開とのことです。ちなみにその配役で、十四松はリチャードさんなのですが、なんとか乗り切れないものかと。確かに現場付近の店からすれば迷惑だったのでしょうが。 さてさて、〽松の木ばかりが まつじゃない〜、という唄がありまして、この「まつのき小唄」を二宮ゆき子さんが歌ったレコードが1965年にでています。それまでお座敷などで唄われていた小唄で作曲者は不明なのですが、このレコードは藤田まさとさんと夢虹二さんの作詞で、1番目の歌詞はつぎのようなものです。 〽松の木ばかりが まつじゃない〜 時計を見ながら ただひとり 今か今かと 気をもんで あなた待つのも まつのうち こんな感じで6番まであるのですが、それはそれとして、注目したいのはそのB面の「ウルトラCでやりましょう」(作詞:たなかゆきを、作曲:白石十四男)という曲であります。レコードがリリースされた前年の1964年に東京オリンピックが開催されたのですが、当時の体操競技はA、B、Cの3段階の難易度に分かれており、Cが最高の難易度でした。東京オリンピックで日本選手がCランクを超える超難度の技を披露した際、NHKアナウンサーの鈴木文弥さんが「ウルトラC」と表現し、当時の流行語となりました。 ここでその全歌詞を載せたいところですが、一部のみの紹介ということで、例えば4番の歌詞はこんな感じです。 〽星の数ほど 相手はあるし へたな遠慮は およしなさい どんなチャンスも 逃さずに 二人きりに なったなら ウルトラCで やりましょう 私の幼少の頃は「おそ松くん」とともにこんな歌が流行っていて、それがどんなものなのかはもちろんわからないわけではありますが、なんかいい時代だったのかもしれません。恐らく今のNHKでは、電波に乗せることは困難かと。ちなみに今の体操競技の難易度はAからIまであり、「ウルトラIでやりましょう」となると、どれだけえげつない、いや、高難度になるのでしょうか。 ■ 松の柱も三年の話 さてさて、ここで久しぶりにことわざの話でも。 「松の柱も三年」ということわざがあります。松の木は通常腐りやすいために、柱に使われないが三年はもつ、ということから、役には立たないどんな物や人でも当分の間は使えることの例えに用いられます。なかなか奥深いことわざではあります。物や人ばかりでなく、システムでもこのような凌ぎはままあるわけで、これが腐らなければなお結構というか、儲けものでして。組織でも家庭でも現実的な要諦ではあります。まあ、3年先すら予測不能の世の中で、それから先はまたその時考えるという、刹那的な昨今にふさわしいことわざでもあります。 ただ、これ以外に「松」のことわざは見当たらず、一方で「竹」のことわざや慣用句は数多くあります。「雨後の竹の子」、「木に竹を接ぐ」、「竹を割ったよう」など。また、「竹に虎」という、虎の強さと竹の柔軟性を兼ね備え、豪華で縁起の良いものを表すものもあります。これが「雨後の松茸」、「木に松を接ぐ」、「松を割ったよう」では、何が言いたいのかよくわからなくなりますが、「松に虎」なら掛軸や屏風に結構あります。 さて、「松の柱も三年」とは言え、「水の都」と言われる、かのヴェネツィアの建物を支える土台には、シベリア産のカラマツが使われており、1500年以上もの間、建物を支えているものもあるそうです。打ち込まれた杭が硬い地層の土で密閉され空気に触れないため腐食しないとのこと。その杭自体はもっているのですが、温暖化で水位が上がっていて、毎年のようにサン・マルコ広場が冠水しているニュース映像が流れてきます。 一方、山形の蔵王で有名なのが「樹氷」ですが、これはアオモリトドマツ(オオシラビソ)が冬の風雪にさらされて凍り付いたもので「スノーモンスター」とも呼ばれます。しかし近年、蔵王の樹氷は危機に瀕しています。このアオモリトドマツには、2013年頃からガの幼虫による食害が始まり、続いてキクイムシが枯れ木内部を食い荒らすなどして被害が拡大しました。この害虫の発生も温暖化の影響によるものとの指摘があります。 蔵王の樹氷再生にむけては、行政、識者、報道機関などによる「樹氷復活県民会議」を発足させ、また、林野庁は他の場所に自生する苗の被害地への移植や、苗木を育てるため種の採取などの再生事業を始めています。 しかしながらマツの再生には50〜70年程度かかり「このペースで気温上昇が続くとマツが元通りになる21世紀末には、そもそも樹氷ができない環境となりかねない」とも指摘されています。そう言えば、温暖化で樹氷も北上しているというか、最近、樹氷といえば八甲田の名がくるようです。やはりアオモリトドマツの本場でもあるわけで。 ■ 樹氷研究の話 樹氷を研究している柳沢文孝山形大学名誉教授によると、50年前と比較し年間平均気温が約2〜3度上昇したため「夏場にガが過ごしやすい環境になってしまった」といいます。柳澤教授の専門は「樹氷、酸性雨、黄砂、地球温暖化」と環境問題の王道を歩まれているわけであります。 かつて仕事の関係で、この先生の研究室を訪問したことがあります。そこにはなんとも多様な資料やレトロな模型などが置いてあり、これを誰にどう引き継ぐのか、部外者ながら心配になったのですが、数千点にのぼる資料は2021年に山形市立図書館に寄贈されたとのことで、図書館では担当職員をおきそのデータベース化が進められています。おおよそのリスト化はなされたとのことで、その資料は、学術論文をはじめ樹氷のパンフレットや絵葉書まで多岐にわたるそうです。 また山形大学には「蔵王樹氷火山総合研究会」を置き「樹氷の会」を設立、「樹氷マイスター」を養成し、2024年10月にその第一期生4名が認定されたそうです。資料や人材をどう引き継ぐか、これが一番肝心なところですが、しっかりと手を尽くされているようです。残るは資金的な問題でしょうか。樹氷がアオモリトドマツではなくアカマツであり、その根と共生する菌根菌つまり松茸が山となっていたなら、協力者や活動資金の心配はないのでは、などと下衆な考えが浮かんでしまうのですが。 ■ 松茸の話 さて、松茸山というのは数千万円単位の取引にもなるそうです。ただし、一山そのままの売買はそうそうはなく、松茸山を買うというのは通常、山の一部区域の入山権を買う、ということを言うのだそうです。年額で数十万円程度とのことですが、権利を得た人のみが入山することなど、いろいろ条件があるらしいのですが、実は、条件なしで、1日2千円で取り放題という山が、山形県の高畠町にあります。 ただし、高畠町観光協会のHPによると、「初心者は松茸を見つける確率はゼロに等しいんです。最近話題の熊だって出るかもしれないし、ヘビだって、スズメバチだって出ないって言い切れないんですよ。」とのことで、「2,000円でどれだけ採れるんですか?」「採れなかったら1本くらいサービスないんですか」などの問い合わせもあるとのことです。 また、松茸採りの心得として、「毒きのこも生えない場所に松茸は生えない。また、やけになって毒キノコを見て採って満足しない事」ともあります。今年は9月20日〜11月上旬まで、閉山時期は状況によって早まり、休山日は未定とのこと。時間は午前5時から午後3時まで、午前10時30分に受付締切とのことで、場所その他詳しくは高畠町観光協会に確認を。採れなくても最寄駅などで販売しているそうです。その最寄駅である高畠駅は、山形新幹線も停まり、なんと駅に温泉もあります。 とにかく松茸は、「有難さ」では他の追従を許さないものではありますが、やはりそれは日本だけのようです。かなり昔の話ですが、学食で「松茸ご飯」が提供される時期があり、もちろん、松茸がどこにあるのかわからない、うっすらとそれらしい色と香りがするだけのご飯なのですが、それでも白飯の数倍のお値段で、話の種程度しか食べないものではあります。 韓国からの研究生と一緒に学食に行った時に、この「松茸ご飯」がでていたので、せっかくなので食べてみてはと勧めたところ、「こんな栄養のないものに、なぜ高いお金を払って食べたがるのかわからない。」と言われました。やはり「薬食同源」が根底にある韓国の人に対しては、「香り松茸」とか「初物七十五日」とか言っても説得力に欠けるかぁ、と思ったところではあります。 松茸については、自然にその魅力がわかるとか食欲がわくというものでもなく、ある程度の経験というか勉強が必要ですが、例えば「西洋松露=トリュフ」というものがありますが、自分としてはその香りには食欲を感じないというか、ものによっては香りすら感じることができない「トリュフ音痴」でして、例えばパスタの上に黒だとか白だとかのトリュフのスライスをうやうやしくのせられても香りがわからず、ただただ値段のことだけが気になってしまうわけで、つまりコスパを無視してものが食べられる身分でもないわけで、個人的にトリュフについては、かの研究生と同じではあります。勉強が足らない、と言われればそれまでなのですが、その学資に乏しいわけでして。 |
(C) Mogami Yoshiaki Historical Museum



辞世の句とは別に、生死に関わる言葉としては、アインシュタインの「死とはモーツァルトが聴けなくなることだ」から、アンネ・フランクの「私は、死んだ後でも生き続けたい」まで、本当にいろいろあり、他の言葉はネットでも検索いただくとして、さらに検索を続けると「死んだつもりで生きる」という言葉も出てきて、こうなると結構重い話がぶらさがります。
それに並んで「死んだ者勝ち」とか「死んだ者負け」とかいう言葉も出てきますが、そこにはもう、かなり深刻な相談ごとが出てきます。こういうのを前にすると、うかつなことは言えなくなるのですが、そもそも人の生き死にを勝負事のように表すこと自体いかがなものか、とは思います。
また別に「死ぬ者の損」とか「死ぬ者貧乏」とかいう損得に絡める表現があり、「死ねば死に損、生くれば生き得」ということわざもあります。最近では「生きてるだけで丸儲け」というお笑い怪獣と言われる師匠の言葉が有名で、このくらい振り切れれば、なんか死なないような気にもなります。一方では「命長ければ恥多し」ということわざもあるのですが。
個人的に好きな辞世の句は、十返舎一九の「この世をば どりゃお暇(いとま)に 線香の 煙とともに 灰(はい)左様なら」というものですが、なんともシャレていて、かくありたいと思います。しかも周りを驚かすために、棺桶に花火を入れたとも伝えられます。まあ、さすがにそこまで真似ることはできませんが。
■ 墓マイラーの話
命日というとお墓参りの話がついて回るのですが、命日などとは関係なく、有名人の墓参りを趣味としている方々もいて、最近はこれを墓マイラーと呼ぶのだそうです。
ネット情報で恐縮ですが「ウィキペディア」の「墓めぐり」という項目には、「近世後期以降の日本では、宗教や信仰上の動機とは別に、故人の墓を訪問してその人を偲び、歴史に思いを馳せることが文化として定着した。この一連の行為は「掃苔」と呼ばれ、趣味やライフワークとして掃苔を行う人々である「掃苔家」が、近代を経て現代にも存在している。掃苔の字義は墓石に生じた苔を掃(はら)うことだが、転じて墓参りを意味するようになり、お盆前の墓参を指す秋の季語にもなった。」とあります。勉強になりました。ちなみに、掃苔家として著名な人物ないし掃苔趣味での業績がある人物として森鴎外の名が挙げられています。
また、主な戦国武将の供養をしたいときには、高野山の奥之院参道に行けば、最上義光やその後継の家親の五輪塔をはじめ、伊達政宗、上杉謙信、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉などの墓や供養塔を一気にお参りできます。それぞれのお墓について墓守している方がきっといるとは思うのですが、やはり苔むしているお墓もあります。著名な武将の墓には、途中で案内板が出されていたりしますが、約20万基もの墓が並んでいるそうで、あらかじめどこにあるかを確認してから行くことをお勧めします。なお、著名企業のお墓というのも数多くあり、その形には驚くものもあります。
外国の墓めぐりでは、歴史上の著名人の墓のデータベースや著名人の墓を見つけるアプリが公開されています。確かに海外旅行に行くと、有名音楽家や画家の墓を訪ねたりすることも少なくなく、教会では床に埋められた墓を案内される場合もあります。このあたりは、あの地球の歩き方シリーズで「世界のすごい墓」というのが昨年出版されていますのでそちらもご参照を。また、「一般社団法人全国優良石材店の会」のホームページには「有名人のお墓」というサイトがあり、なぜか外国のお墓だけの詳しい説明が写真とともに掲載されています。これを見ると、ココ・シャネルの墓はただただ白い花が一面に並ぶ華憐な墓地で、対照的にゴッホの墓は弟テオに墓に寄り添うように緑に囲まれ並んでいます。
さて、お墓参りで思い出すのが、「私のぉ〜、お墓のま〜えで」というあの歌ですが、これは作者不詳の英語の詩「A Thousand Winds」をもとに、芥川賞作家の新井満さんが翻訳、作曲、歌唱(売れたのは秋川雅史歌唱)したものです。しかし彼は、実は墓マイラーでして、「お墓参りは楽しい」という本まで執筆されています。
余談ですが、新井満は1976年に、森敦の芥川賞受賞作「月山」を歌詞にして曲をつけ、「組曲月山」というレコードを出しています。山形では以前、この中の曲がテレビCMの合間に流れていました。物語は、放浪者の「私」が訪ねた湯殿山注連寺で、寺男のじさまと二人きりで厳冬期を暮らすというものですが、なかなか不気味な話も多く、しかも方言が活字になると、かなりがちゃがちゃした印象です。これが「組曲月山」では、なんとも美しくも楽しい曲になっています。実はこのLPレコードを持っていて、これはこれで気分がでるのですが、ネットでも手軽に聴くことができます。是非ご一聴を。
最後にお墓参りのマナーを。宗派によって線香の本数が違う、腐るような供物は持ち帰る、墓が傷むので酒はぶっかけない、とのことです。水を掛けそのまま帰る、たわしなどの固いものでこする、ということはやってはいけないらしいのですが、私の先祖の墓があるお寺には、たわしがバケツ満杯で置いてあります。