最上義光歴史館

 最近、米国大統領が中国を訪問した際、米中二極体制(G2)により「西半球は米国のトランプ政権、東半球は中国の習近平政権」になると懸念されたり、一方では中露両国が連携して日本を牽制する動きがあるとされたり、日本のプレゼンスとやらは、なにやら危ういとのことですが、米・中・露に対峙できるだけの外交力とかまして軍事力とかなかなかに難しく、おまけに円の実質実効為替レートが最弱水準つまりは経済力も弱体化していて、一体どうしたらよいものかと。
 もっとも私ごときが天下国家を論じる立場にないことは十分承知してはおりますが、つらつら思うに、そう言えば戦国時代には、加持祈祷やら呪術とやらが盛んであったなと。もしかしたら、今の日本が頼れるのはこれくらいなのではと。たしか日本は神の国ではなかったかと。いざというときには神風も吹く、明日には明日の風が吹くということではなかったかと、あ、なんか違うかしらん。
 そこでまずは、戦国時代の呪術のお話でも。手元に最上義光研究の第一人者のひとりで中世宗教を専門とされる伊藤清郎山形大学名誉教授の「最上義光と宗教」(2002年)という論文がありまして、戦国時代の呪術についても言及されているので、これを引用しながら紹介いたします。
 論文では、戦国時代の呪術について「中世の合戦は呪術戦争といっても過言ではないことは、既に指摘されている。合戦の日時、合戦の開始時間、戦闘方法、方角、吉凶、野営や首実検における作法などほとんどが占いや呪術によって決められた。それを行うのが陣僧・軍師などであった。彼らは軍学・密教・修験・陰陽道・占星術・道教等に精通していなければならなかった。」とあります。
 また軍師については、「軍師の仕事は、吉日・悪日の取り決め、籤、気・雲気、夢占い、祈祷、観天望気、占星術、怪我や病気の治療、それに築城の際の助言(築城法)などであった。」とあり、「戦国大名と修験道との密接な関係は、今川氏・武田氏・上杉氏などの例からも、従来から指摘されていることである。」とあります。
 なにはともあれ有名なのは、武田信玄と上杉謙信との呪術合戦で、川中島の戦いでは、武田信玄と上杉謙信は互いに京都の高僧を招き、自陣の戦勝と相手を調伏する祈祷合戦を繰り広げたという記録が残っているそうです。そのようなときに使われる呪術が、密教の強力な調伏の法と言われる「転法輪法」で、主に戦場で敵を呪い、悪意や執着を打ち砕く目的で用いられました。密教寺院の高僧たちが、護摩木を焚きながら敵を調伏するための秘法を連日のように執り行ったといいますが、秘法ゆえ詳しくは明らかではありません。
 この武田信玄も上杉謙信も信仰していたのが「飯綱権現」で、信濃国の飯縄山に対する山岳信仰と仏教とが融合して生まれた神仏習合の神です。一般に白狐に乗り、剣と索(縄)を持った烏天狗の姿で表され、この飯綱権現が授けるという「飯綱法」は、狐や天狗を使役する強力な呪法と信じられていました。古くから修験道や戦勝の神として信仰を集め、術はのちに俗信と混ざり合い、忍者が用いる「忍術」の源流の一つになったとも言われています。飯綱権現の本地仏(本来の姿)は不動明王ですが、飯綱権現のマントラ(真言)は「オン・チラチラヤ・ソワカ」とのことです。
 ちなみに不動明王のマントラには、3種類の異なる長さのものがあり、小咒(しょうじゅ)の「ノウマク サンマンダ バザラダン カン」、中咒(ちゅうじゅ)の「ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダ ソハタヤ ウンタラタ カンマン」は本咒ともされ、大咒(だいじゅ)の「ノウマク サラバタタギャテイビャク サラバボッケイビャク サラバタタラタ センダマカロシャダ ケンギャキギャキ サラバビギナン ウンタラタ カンマン」となると、すべての魔を焼き払い降伏させるだけでなく、あらゆる願いを叶える、と言われているそうです。
 さて、伊藤清郎先生の論文に戻ると「義光は中世人でもあり、顕密仏教・神祇信仰など、本地垂迹の宗教大系の中に暮らしていたことも事実である。」とあり、「義光が生まれる際に、真言宗の僧侶が百日の軍荼利夜叉の秘法を行ったところ、百日目の暁に城中の山王権現社の上空に羽黒山神が現れ、生まれくる子を加護すると告げた。」とのことです。
 また、「最上家の軍師として知られるのは、山名一吽軒とその弟子といわれる堀喜吽の二人である。」とあり、山名一吽軒については「今般軍士 (師)随一と相聞ゆ」と「上杉御年譜」に記録があり、堀喜吽については、最上義光の御伽衆の一人として千石の知行を与えられていたそうです。一方、「戦国大名のそばには、他に、陣僧・遊女・傀儡子などの呪術者もいたようであるが、最上家についてはよくわからない。」とあります。


(→裏館長日誌に続く)
◇ 小便小僧の話 その1
 神戸の公共空間においては裸婦像が多く、過去に、それらの立像の腰にスカーフがまかれるという事件が起きたそうです。そこで思い出したのが、今年の春に開催された、静嘉堂文庫美術館の特別展「明治美術狂想曲」です。その特別展のメインのひとつが黒田清輝の「裸体婦人像。その絵は、明治34年の第6回白馬会展の際、警察の指導により下半身を布で覆って展示された「腰巻事件」の説明とともに展示されていました。
 これと似たようなことですが、バチカンのシスティナ礼拝堂にあるミケランジェロ作「最後の審判」も一時期、男性図絵の股間にふんどしを描き足したことがありました。性別に関係なく、穿いてないと見る方は安心できないようです。
 ところで山形市内で最も有名な屋外彫刻と言えば、北山形駅前にある小便小僧でしょうか。これも普通の裸の像なのですが、時事の話題などをテーマにした衣装が着せられています。昨年は、多様性をレインボーカラーで表した衣装をとなっていました。下もちゃんと穿いてはいるのですが、それでも当然、隠しようもない部分があり、むしろ出しています。

◇ 小便小僧の話 その2
 小便小僧と言えば、そのオリジナルとなるブリュッセルの小便小僧は、世界三大がっかり名所 (他に、コペンハーゲンの人魚姫、シンガポールのマーライオン) のひとつとしても知られています。きっと御存じの方も多いとは思います
 逆に実物を見て、その大きさに驚く彫像もあります。例えばフィレンツェにあるダビデ像。もともとウフィッツィ美術館近くの広場にあったものですが、保護のため美術館に移され、もとあった広場にはレプリカが置いてあります。その像の高さは517cmあり、その瞳がハート型になっていることなどには気付くこともなく、ちょうど目の前にくるあの部分にどうしても視線がいきます。さらに歴史に造詣がある方々は、ダビデ王はユダヤ人なのに割礼の跡がないのはなぜだ、という議論になるそうです。審美的な理由でこうなっていると結論づける方もいるのですが、それはおとなしく被ったままです。

◇ 小便小僧の話 その3
 知る人ぞ知る有名な小便小僧に「祖谷渓小便小僧」というのがあります。徳島県の祖谷は深い渓谷の地で、そこには県を代表する観光名所のかずら橋とか 自家用ケーブルカーで露天風呂に行き来する旅館もある祖谷温泉とか、鉄道好きの方にはお馴染みの大歩危(おおぼけ)駅とか小歩危(こぼけ)駅とかがあります。
 祖谷渓小便小僧は、祖谷温泉に行く道筋にあるのですが、車のすれ違いも困難な曲がりくねった道路で、広場も駐車場もなく、ガードレールの外にある高さ約200mの岩場に立っているだけです。
 どういう経過でここに小便小僧を建てることとなったかはわからないのですが、この渓谷の、この高さにいると、どうしてもやってみたくなる、というのが自然の摂理なのでしょう。ちなみにその足元には、けっこうなお金が投げ込まれていました。人の気持ちを動かし、金を置きたくなる、やはりこれは本物です。
◇ 連歌AIのお話
 正直、私個人としては、連歌どころか短歌すらつくったことがなく、今回の日誌は、「歴史館だより」とネットから拾ってきている記事のコピペばかりです。つまるところchatGPTでできるようなことを手作業(ハンドメイド)で綴ったというところでしょうか。
 さて、AIと言えば、将棋の藤井聡太八冠でもおなじみになっていますが、文化分野全般にもAIはしっかりと入り込んできています。作曲、絵画、漫画の領域においても、AI生成による作品について報道されていますが、例えば文芸では、星新一の短編を全て読み込ませ、新たなショートショートを創作したりしています。
 北海道大学調和系工学研究室では、俳句を詠む人工知能「AI一茶くん」を開発をしています。その学習データは、小林一茶のみならず松尾芭蕉、正岡子規、高濱虚子らの作品をも網羅。それでも生成した俳句は古臭いものもあったので、現代俳句の四十万句をも取り入れました。文法生成のシステム開発とともに、俳句のチェック機能も装備。季語や切れが一個あるか、五七五であるかなどをチェックし、適合しないものをはじきます。その成果は、写真を見せて俳句を詠む、というものです。
 ならば、この応用で連歌生成AIというのもできるはず。まずは宗匠の役割を担うAIを。その名称は多分、「AI宗祇くん」かと。次に連歌を詠むそれぞれ個性を持たせたAIを5、6体ほど(武士の他、貴族とか僧侶とか)。なんかこれ、小松左京の未完の小説「虚無回廊」の主人公のようです。この小説の設定では、宇宙探査に行くために、人工的な自分のコピーを作り、それに専門の異なる6名の仮想キャラクターAIを載せるというものですが、そのAIの中には多様性をもたせるために女性キャラクターというものも入っていて。ん、待てよ、ということはAIにも性別が。確か、江戸時代には女性の連歌師もいたけれど、いや、ここは性別不詳(いわゆるQ)が正解なのか、悩ましいところではあります。

◇ AIの学習環境のお話
 手塚治虫の漫画でも、そのストーリーとキャラクターを読み込ませ、新たな作品が創作されたりしています。過日、報道がなされていましたが、「ブラックジャック」の創作もなされており、手塚眞氏は「ブラック・ジャックは200話以上あり、作品数が多い。そのなかでも物語が絡んでいる。これも研究には有効ではないか。それと手塚治虫らしさ、作家の個性もはっきりしている。作家を分析する上ではいい材料になる」とコメントしています。そうなんです。まずはしっかりした学習データが豊富にないとAIは創作できないんです。最上義光が関係する連歌だったら、データはそこそこありますよぉ。どうでしょう、誰か。
 一方、某印刷株式会社が、古文書などのくずし字をスマホで撮影し、解読できるAI−OCRアプリ「古文書カメラ」の配信を始めています。くずし字には、手書きのもの(書簡や証文、日記などの古文書)と木版印刷物(版本や錦絵など)があり、それぞれに文字の形や使われている字種が異なるのですが、いずれにも対応しているとのこと。解読したデータは、ユーザーが修正しデータとして蓄積することでAIの精度向上に役立てているそうで、学習データが多いことはやはり重要です。
 ちなみに、国立国会図書館とか京都大学図書館などでは、多数の古文書のデジタルアーカイブを公開していて、誰でもネットで閲覧できます。例えば慶長年間に発刊された「源氏物語」には木版活字が使用され、「伊勢物語」には各頁に版木のイラストがついているなど、最上義光が手に取ったかもしれない書物を手軽にみることができます。当館でもそのうち古文書のデジタルアーカイブ化をやらなくては、とは思ってはいるのですが、そのうちということで、すみません。

◇ 連歌に由来する慣用句の話 
 連歌に由来する慣用句として、「花を持たせる」、「月並み」、「挙句のはて」を紹介しました。さらには「二の句が継げない」という慣用句も関係ありそうではありますが、実は全く無関係です。こちらは宮廷歌謡の「朗詠」に由来しています。「朗詠」は、全部で3段から構成されており、真ん中の段を「二の句」と呼びます。二の句では、音の高さを上げるのですが、高音で歌うのが難く言葉が出ないことから「二の句が継げない」といったそうです。
 「二の句が継げない」とは、相手の発言に驚き、呆れを感じた場合に用います。 なので、謙遜するつもりで、発句の次に「二の句が継げない」などと言おうものなら、発句に対して、呆れてものが言えない、という意味になってしまい、とんでもないことになってしまいます。
 さらに「二の句が継げない」と似た慣用句に「二の矢が継げない」があります。「次にとる手段や手立てがない」ことを表します。つまり、「手詰まりの状態」ということなので、連歌の場合はこちらが適当かも。それはそうとして、一人で「三の矢も四の矢も用意しました」などと言う人もいるかもしれませんが、連歌では無意味です。一人で連歌を続けるのであれば別ですが。「ぼっち連歌」とでも名付けましょうか。
■ことわざの話
 いつものことわざシリーズですが、今回はたいしたオチにもならなそうなので、裏日誌に回します。鎧にまつわることわざとしては、「衣の袖から鎧が見える」というのがあり、本音が見え隠れする、という意味ですが、その由来は平家物語にあるとのことです。
 「物語要素事典」の「重ね着」(?!)の項目には、「武士を召集し法住寺の御所へ押し寄せようとする平清盛のところへ、嫡子重盛が諌めにかけつける。清盛はあわてて鎧の上に法衣を着、胸板の金具が見えるのをひき隠しつつ対面」したとあり、実はあわててしまいバレバレであるという話なわけで、これは「頭隠して尻隠さず」に近い感じです。
 ちなみにこの「重ね着」の例示では他に、「法衣の上に鎧を着る。」、「死装束の上に羽織を着る。」、「他国の軍服の下に、自国の軍服を着る。」というのも載っていて、これを全て「重ね着」という括りにしてしまっているのがすごいところです。
 それはさておき「衣の袖から鎧が見える」というのは、私はてっきり「腹に一物をもっている」という意味合いなのかなと思っていました。ここで「一物」と言うと、あの神様にお願いする唄が思い出されますが、いや、ここでやめておきます。さすがに当館にもコンプライアンスというものが、はい。

■甲冑と映画の話
 これは別にディスるわけではないのですが、「ダースベイダーは、伊達政宗の甲冑」説と「上杉謙信の甲冑は、全身銀色の南蛮胴」説は、いずれも有名ではありますが、事実ではないという話です。
 これはあくまでネットによる確認情報なのですが、まずは、伊達政宗の甲冑の話から。スター・ウォーズの制作関係者から黒漆五枚胴具足を所蔵している仙台市博物館に写真の提供依頼があり、また、1997年に発行された"STAR WARS−THE MAGIC OF MYTH−"という本の188−189ページには、ダースベイダーと伊達政宗の黒漆五枚胴具足の兜部分の写真が並んで紹介されているとのこと。ここまでは事実です。しかし「ウキペディア」によると、「ルーカス博物館の館長のレイラ・フレンチによれば、ジョン・モロが役者をロンドンのコスチュームショップに連れて行き、そこで黒いオートバイ・スーツと黒いマントを見つけ、それに第一次世界大戦中のドイツ軍のガスマスクとナチスのフリッツヘルメット(シュタールヘルム)をモデルにしたヘルメットを追加したものであるという」、とのことです。
 次に上杉謙信の甲冑について。「Yahoo知恵袋」のベストアンサーには「上杉謙信が実際に着用した鎧は何点か現存していますが、その中には南蛮胴は一つもありません。日本での南蛮胴は、南蛮との交易が盛んになったことから見られるようになりますが、安土桃山以降です。また、記録上でも謙信に纏わる南蛮胴は存在しません。つまり、1570年代に死去した謙信が着た可能性はかなり低いでしょう。上杉謙信と南蛮胴との関係ですが、映画『天と地と』で上杉謙信は南蛮胴を使用していました。(中略)そして、大河ドラマ『風林火山』では、(南蛮胴を)上杉謙信を演じるGACKTさんが着るに至ったと推察します。」とのことでした。
 それにしても最上義光の甲冑は、映画でもTVドラマでも、ましてSFでも取り上げられるわけでもなく、某大河ドラマでは「関ケ原の戦い」に突入するも名前すら出てくる気配がなく、「どうする」以前の状況ではあります。しかしここは、これを改めていくべきではないかと思い、まずはドラマのタイトルを考えてみました。例えば、「それにしても義光」というのはどうでしょうか。やはり、いけませんかね。失礼しました。あと、「ヨシミツじゃないよ、ヨシアキだよ。」という番組名も考えましたが、あっ、許してください、ごめんなさい。

■ナレッジマネジメントの話
 学芸員さんの間で、刀剣や甲冑についての話をするとき、品物や資料の知見については多くを語らず、どこの誰が何を持っているという情報交換に熱が入ります。そしてそれは家族関係の話であったり健康状態の話であったり、言葉としては何なのですが、いわゆるナマモノの情報です。つまり、いつ出物がでるかと虎視眈々に、とまではいかないまでも、そんな情報のアップデートを図っているわけです。それは学芸員同士だけではなく、収蔵品の運搬を請け負う業者さんであったり、刀剣や甲冑を趣味としている方などにも探りが入ります。収蔵品の入手にあっては、単に金銭の勝負だけではなく、タイミングが重要であり、これまでの付き合いも当然大事になります。これが寄託や寄贈ということにでもつながれば、学芸員の面目躍如といったところでしょう。
 しかも刀剣や甲冑は、様々なレベルのマーケットが形成されていて、しかもそれは国外にも広がっていて、しかも外国のコレクターには結構な金持ちがいて、それが相場を引き上げる原因にもなっていたりして、こういうことからも、当館のような資金に乏しい弱小博物館では太刀打ちできないわけでして。やはりここは、普段からの不断の情報収集で勝負するしかありません。
 ただし、このような情報のほとんどは、個人レベルの暗黙知であり、これをどう形式知に変換して、作業の効率化や知識の共有を図るか、いわゆるナレッジマネジメントが組織の課題ではあるのですが、逆に学芸員の存在価値もそこにあるわけで、難しいところではあります。いくらDXだ、AIだ、と言ってみても、やはりナマモノの情報は、まずはマンツーマンが基本とは思いますが、最近はそれもSNSなどで知ることになる場合もありまして、悩ましいところではあります。そう言えば、かの長寿スパイ映画にもこんな組織課題を背景にした話がありましたが、映画と違いこちらには、カーアクションや爆破シーン、そしてお色気シーンというのもありません。
■ 温泉の良し悪しのお話
 温泉の良し悪しは、まずは「源泉かけ流し」かということで。それなりの湯量があり、循環させない、加水しないのが大事とされます。自噴であればなおよし、温泉が空気に触れることなく湯舟の底からこんこんとお湯がわきでてくるのが最上(さいじょう)とのこと。蔵王温泉にもそれにあてはまる貴重なお風呂はあるのですが、熱いし強酸性なのでなかなかにきついお湯です。個人的には、かつて白濁した温泉成分の強い温泉が好きでしたが、今は弱アルカリ性の透明な湯が好きです。白布温泉「西屋」のお湯は加水ですが弱アルカリ性で、湯舟の大きさからすればすごい湯量で頭の上からじゃばじゃばと降り注いできます。
 一方、温泉街については、勝手にその良し悪しの基準をもっています。まず、「豆腐屋」がある温泉街は間違ありません。豆腐屋があるということは、豆腐屋がなりたつような経済地域であり、温泉客が行き来する温泉街だということです。これが大手資本の温泉施設ばかりが立ち並ぶ場所だと、客を囲い込み過ぎて豆腐屋もありません。山形県内では、「銀山温泉」の豆腐屋では冷ややっこがテイクアウトでき川沿いの足湯で食べることができます。「小野川温泉の豆腐屋は、様々な豆腐や関係商品が並び、とりわけ豆乳ソフトクリームが人気です。
 圧巻なのが城崎温泉。豆腐屋も当然あるのですが、その隣には時計屋があります。温泉街で時計屋が成り立つのです。普通は、日用食料品店とか土産物店くらいしかないものですが、温泉街としての格が違いすぎます。ちなみに、城崎にある6つの外湯がまた立派で、全てを回れる一日券もあり、ネットでリアルタイムで混み具合がわかり、一番風呂に入れば記念手形がもらえます。
 そして「温泉神社」があるかどうか。温泉神社でパワースポット的な価値が付加されますし、温泉の神様を祀る温泉街にはそれなりの物語があります。あと、個人的な指標としている「遊技場」つまり射的・スマートボールのお店があるかどうかです。これが令和の時代にも生きている温泉街はかなり地力のある温泉街です。また、文豪が逗留して名作を残した温泉、例えば「城崎にて」などはそのままですが、名作とされている小説の舞台になった温泉地なり文人が逗留した温泉宿はやはりそれだけのことはあります。
 さらに昔は、賑わった温泉街には大人の劇場というのもありました。山形市に隣接する天童温泉や上山市の葉山温泉にもあったのですが、昭和の終わり頃にはだいぶ衰退していて、踊り子さんも高齢化し、むしろ服を着てほしいくらいと言っていた人がいましたが、それが外国人に代わり、ついに劇場は廃止になる、なんか衰退産業の構図そのものです。
 さて、いつものことわざシリーズを。「命の洗濯」という言い方があります。温泉はまさしくそういう場所です。アニメ「エヴァンゲリオン」では、「風呂は命の洗濯よ」というセリフあったとか。ちなみに江戸時代は、吉原あたりで「命の洗濯」をしていたそうです。

■ 冬の露天風呂のお話
 年末年始の蔵王温泉は、ほぼ間違いなく雪見風呂となります。名物の大露天風呂は残念ながら冬期間休業中ですが、宿によっては露天風呂に入れます。ただこの雪の露天風呂、確かに風情はありますが、脱衣所から素足で雪を踏みしめて湯舟まで行き、そのお湯がまた熱すぎたりぬるすぎたりして、吹雪のときは目もあけていられなくなる、それは雪すら見たことのない外国の方からすれば貴重な体験かもしれませんが、雪国の人からすれば罰ゲームのようなものであります。なお、酔った勢いのまま露天風呂に行き、雪上に裸でダイブするのは、気持ちだけにしておきましょう。

■ 年末年始イベントのお話
 年末年始の体験と言えば、千葉にある「夢と魔法の王国」の年越しカウントダウンに出かけたことがあります。午前2時ぐらいともなると、いくら関東とは言え海沿いの屋外は寒く、アトラクションの行列に並ぶ気力も失せて、「明日の土地」にあるハンバーガーレストランでは、寒さと疲労をしのぐカスタマーがびっしりと床に横たわり、大災害時の避難所といった様相でした。こういう場合、防寒ブランケット(シュラフなんかもいいかも)は必携です。ただ、それを背負いながらのアトラクション巡りもなかなか難儀なことかと。

■ 年末年始の思い出 その1
 昭和の時代の話で恐縮ですが、自分の両親などは年末ぎりぎりまで仕事していて、父親などは自宅に職場の仲間を呼んで「年越し麻雀」なんかをやっていて、元旦は届いた年賀状をもとに年賀状を書き始め、翌日に同じ市内の実家に顔出しに行く程度だったので、年末年始を旅館で過ごすどころか、年末年始は旅館も休みだろうぐらいの認識しかありませんでした。私もせいぜい「ゆく年くる年」が終わる頃から、夜通し市内の神社をハシゴして、あちこちで引くおみくじに一喜一憂するぐらいです。(おみくじのハシゴは本当はいけないそうですが)。
 この「ゆく年くる年」ですが、若い時は、除夜の鐘がただただ続くだけの地味な番組だなぁと思っていましたが、年を重ねるにつれ、全国の有名な寺社の様子を生中継で観られることのありがたさがわかるようになってきました。ちなみにこの生中継される寺社や鐘の打ち手というのは、寺社業界では「紅白」出場に匹敵するようなことらしいです。

■ 年末年始の思い出 その2
 後にようやく、年末年始に旅館に行く機会がありました。きっかけは旬の蟹を食べたいというものでしたが、目的とする北陸の某所は山形から遠いため家人の都合で正月休みぐらいにしか行けず、すると、ただでさえ高級食材のところに正月料金となり、慎重の上に慎重に検討を重ねたのですが、一度ぐらい贅沢してもということで、元旦に山形を発ちました。
 大宮経由で新幹線を乗り継ぎ、その日のうちに到着はしたものの、冬の日本海は案の定、みぞれ交じりの荒波で、海沿いにある旅館には波飛沫がかかり、部屋に籠り蟹だけを待つような状況でしたが、出てきた蟹は本当にすばらしいものでした。旅館内に蟹の生け簀があり、海が荒れて漁がなくても間に合う量を保管し、そこで落ち着かせて出すそうです。
 部屋にはまず、蟹がまるごと運ばれ、それを持ち上げガバっと広げるとまあ、大きいのなんの。ブランド蟹を示すタグの説明もなされ、ありがたみが増したところで調理場に回され、生、焼、茹、と出てきました。これを正月料理とともに食べている間は、贅沢とはこういうことか、いつかまたもう一度、とは思いましたが、山形に帰った後しばらくは、そのコスパについて悩んでいました。グダグダですみません。
〇 クリスマスの思い出
 日本で初めてクリスマスが祝われた日とされるのは1552年12月10日(天文21年12月25日)で、周防国山口でイエズス会の宣教師が日本人の信者を招いて降誕祭のミサを行ったとのことです。山口市では「12月、山口市はクリスマス市になる。」と題して様々なイベントが開かれるとか。ちなみに2023年のクリスマスの飾り付けのトレンドは、バロックスタイルとのことですが、バロック時代というのはちょうど日本では戦国時代にあたるわけで、「あ〜、今年のクリスマスのトレンドは戦国時代なんだよなぁ」、と勝手に話を結び付けています。
 自分が子どもの頃のクリスマスというと、ペラペラのクリスマスツリーにモールと豆電球を巻き付け、バタークリームのケーキと鶏のもも焼き、サイダーにカラメルで着色した飲み物が、下手すると3日3晩、この残り物がご飯のかわりという日が続いたりしました。まあ、高度成長時代ならではの、豊かと言えば豊かな時代の話なのかもしれませんが、神に祈るどころか、キリストが何者かもわからずクリスマスを迎えていました。
 その頃、父親は父親で、ボーナスは飲み屋のツケの支払でなくなっていて、「俺は自分を育ててくれた町にお返しをしているのだ」とかなんとか都合のいいことを言っていましたが、クリスマスには、どこかの飲み屋でもらってきた銀色の三角帽子とクラッカーを手土産に、天井にぶら下げるモールをカバンに巻き付けて深夜のご帰宅という状態で、これも豊かと言えば豊かな時代の話だったかもしれません。

〇 知識をアップデートする話
 クリスマスについては、12月25日はキリストの誕生日でないだの、クリスマスイブは前夜祭ではないだのと、誤った常識にダメだしをしたところですが、昭和の時代に習った歴史知識もアップデートが必要です。
 ここ数年、話題になったものとしては、「いい国つくろう」鎌倉幕府は1185年、聖徳太子は「厩戸王」、国宝「伝源頼朝像」は源頼朝の肖像ではない、そしていま一番ホットなのが「仁徳天皇陵」ですが宮内庁が管理しているため謎が多いとのこと。
 そして最近知ったのが「士農工商」という言葉が教科書から消えたこと。かつて、「農民は神聖な米を作っており、金にまみれた商人より身分が上だ」とか、「裕福な商人を農民がうらやむことがないようにした」とか、そんなことを教わったような記憶があるのですが、このような身分を発令した歴史的事実はそもそもないことが、近年の研究で明らかとなったそうです。近世の身分職業は単純に「士農工商」で表してはいないこと、「武士」と「それ以外」との上下関係しかなく、「士-農-工-商」のような序列はないこと、というのが理由です。「士農工商」の由来そのものが、あらゆる職業の民を表現している古代中国からの言葉とのことです。
 戦国時代は、足軽などは武装した農民であった者も多く、武士と百姓との違いは曖昧でしたが、太閤検地や刀狩によって武士と百姓が分離され、固定化されていったそうです。また、町に居住する者を町民、農村に居住するものを百姓とし、百姓という言葉は農業に限らず様々な職業として使っています。なお、1842年9月の御触書に「百姓の余技として、町人の商売を始めてはならない」とあり、これは農業の衰退に繋がる事を危惧した江戸幕府の対応策とのことです。百姓・町人間の移動もなくなっていきます。
 さて、教科書と歴史の話ですが、キリストも釈迦も実在したらしいですが、「キリストは、処女マリアに天使ガブリエルが降り、マリアが聖霊によってキリストを妊娠したことを告げ、またマリアがそれを受け入れて生まれた。」とか、「お釈迦様は、母親である摩耶夫人がルンビニーの花園で休んでいたときに、脇の下から生まれた。そのときに9匹の竜が天から清浄の水を注ぎ、生まれ落ちたお釈迦様はすぐに7歩歩き、右手で空を、左手で大地を指して「天上天下唯我独尊」と言った。」とかいう話もついてくるわけで、さすがに教科書では伝説との説明がなされるのでしょうが、何をどう信じたらいいものか。まあ、多少の方は「神も仏もない」という目にあっているとは思うのですが。

〇 いつものことわざ
 さて最後に、いつものようにことわざを。「仏ほっとけ、神構うな」という、ことわざというより駄洒落のような言い回しがあります。「ほとけほっとけ、かみかまうな」と3回くらい唱えれば何かありがたみがでてくるような。このことわざは、信心も信仰も度が過ぎないほうがいい、ということを教えています。
 殉教の話とかパレスチナ問題とかを前にして、こう言うのもなんですが、サスティナブルな世の中のためには、クリスマスを祝い、除夜の鐘を鳴らし、神社に詣でる、といったぐらいの寛容さがよろしいのかと。なにを隠そう私も、山形の神社とパリの教会で結婚式を挙げており、ゆくゆくは最上家ゆかりの寺に葬られるのかと。寛容なのか、節操がないのか、まあ、根っからの「転び○○〇」であります。
 とにかく宗教経験には乏しいのですが、小学校高学年の頃、日曜日にただただ家にいてもろくでもないということで、しばらくプロテスタント系教会の日曜学校に行っていたことがありました。牧師さんは本当にいい方だったのですが、当然、賛美歌などはろくに歌えず、まして三位一体とはどういうことなのか、なんかうっすらと鳩と光の図像が浮かぶのですが、これ以上はいまだに謎のままです。
 ちなみに「一向一揆」とか「島原の乱」とか、宗教が原因のように扱われていますが、もとはと言えばどちらも年貢に対する不満であり、その理不尽さへの思いが宗教に集結したとも言えるわけです。どこぞの国でも、理不尽な税制が蔓延りつつありますが、このままでは一波乱に及ぶかも。歴史はくり返すそうです。
まずは、世界人類が平和でありますように。