最上義光歴史館
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正子公也「武将画展」〜片倉小十郎と陸奥ゆかりの武将たち〜
KIMIYA MASAGO ― SAMURAI EXHIBITION ○会 期 2013年7月20日(土)から8月18日(日) ○会 場 白石城天守閣 (宮城県白石市益岡町1-16) ○開館時間 9時から17時 ○入 場 料 大人 300円、小人 150円 ※天守閣入場料 ○あ問い合せ 白石城管理事務所(0224-24-3030) 当館にもポスターが届きました!! ↓↓↓ おっと!!義光公もご出陣されていますネ!! これはゼッタイいかねばデス!! 「歴史魂」という雑誌の特集の専門家25名が選ぶ戦国武将ベスト100で正子先生が義光公を9番目に選んでくださっていました。 感激です!! 先生ありがとうございました!! 正子公也先生のオフィシャルサイトはこちら>>正子公也・森下翠 公式サイト |
正子公也「戦国武将画展」〜信長と安土戦国絵巻〜
○会 期 2013年12月21日(土)から2014年2月23日(日) ○会 場 安土城郭資料館 (滋賀県近江八幡市安土町) ○開館時間 9時から17時(入館16時30分) ○入 場 料 大人 200円 学生 150円 小人 100円 ○休 館 日 月曜日、年末年始 ○主 催 安土町観光協会 ○共 催 戦国魂 ○お問い合わせ先 0748-46-5616(安土城郭資料館) 安土城郭資料館>>こちら 当館にもポスターとチラシが届きました。 掲示するのがもったいないポスターです!! 正子先生のトークショー&サイン会があるじゃないですか!! えー!!明日(12月21日)じゃ絶対行けないなです(T_T)残念(ToT) いつかうちでもできればいいなあ!!! 正子公也先生のオフィシャルサイトはこちら>>正子公也・森下翠 公式サイト |
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以前お伝えした「木村☆社長が…こんどは恐れ多くも正子公也先生と夢のコラボ(?)を実現させました!?」がついに完成しました。
![]() 正子先生プロデュースのクリアファイルに、木村☆社長が企画制作した最上義光甲冑ペーパークラフトが入っています!! 開封実演中♪ あれ!!納品時のどや顔が…もしかして…!? ↓↓↓ ![]() 社長!!不器用か(-_-;)!? なんと正子先生もさっそくブログで紹介してくださってます!!モガルー!! 正子先生のデザインのこだわりを社長からこっそりうかがいました!! ▼こだわり#1 裏面の指揮棒の配置が、透けて見えるペーパークラフトのデザインと重ならないように絶妙に配されています!! ▼こだわり#2 ペーパークラフトを出してクリアファイルとして使うとき、表面の日輪と裏面の日輪が効果的に重なるように配置されています!! さすが正子先生!!! いつか正子先生が描く文化人最上義光もみてみたいですネ(ボソ)!! 購入ご希望の方は受付にて1部1,000円で販売しています!! 尚々、通販ご希望の方は歴史館までご連絡ください。 tel 023−625−7101 fax 023−625−7102 正子公也先生のオフィシャルサイトはこちら>>アトリエ 正子房 ペーパークラフトに興味がある方はこちらをご覧ください >>こちら |
![]() ↑↑↑ 木村☆社長が…こんどは恐れ多くも正子公也先生と夢のコラボ(?)を実現させました!? やるときはやりますネ!!社長!! 正子先生ありがとうございます!! 詳細はまだお伝えできませんが、正子先生の最上義光像と木村☆社長の義光甲冑ペパクラのコラボです!! 限定発売ということなので、詳細がわかりましたらお伝えします!! ※まだ正式にお伝えできないので…ピンボケでスミマセン!!! |
(C) Mogami Yoshiaki Historical Museum








1 花かつみかつみえ初(そむ)る芦辺かな 紹巴
2 茂りそひたるきしの青柳 顕与
3 五月雨(さみだれ)の跡は汀(みぎは)のあらはれて 昌叱
4 田づらにつづく里のかよひ路 生
5 放飼 (はなちかふ)駒もくるれば立かへり 義光
文禄三年四月二十八日賦何人百韻
今回取り上げるのは、伝本のひとつに「文禄三年卯月廿八日会津興行」と記された連歌である。文禄三(一五九四)年四月、義光と紹巴は会津にいたのだろうか。――否。
考証の過程を簡単に示そう。
まず義光・紹巴の前後の状況を確認する。義光は文禄二年春に肥前名護屋城に在陣、年内に帰京、同三年七月までに山形に戻ったと推定される(伊藤清郎『最上義光』)。その帰路、会津に立ち寄った可能性がある。他方、紹巴は文禄三年二月下旬から三月上旬にかけて秀吉の吉野の花見と高野山参詣に同道、四月六日・十六日に上洛中の松平家忠と対面、五月十二日〜十六日に在京の毛利輝元の依頼で千句連歌を詠んでいる(両角倉一『連歌師紹巴』)。四月半ばから五月半ばのひと月弱で京・会津間を往復するのは、途中船を使ったとしても、七十一歳の紹巴には難しいだろう。
さらに『紹巴発句帳』を調べると、上記の発句に「奥州浅香辺之人興行」という詞書を付す伝本が見つかった。「会津興行」とは、興行場所ではなく、興行者の出身地を示すのではないか。「会津衆興行」の「衆」が書写の過程で脱落したとも考えられる。
つまり、紹巴も義光も京におり、紹巴は当座の景ではなく、興行者顕与の出身地に因んで歌枕安積(浅香)の沼(現福島県郡山市)の景物「花かつみ」を発句に詠んだのである。鶴崎裕雄氏が指摘するところだが、地方を度々巡回した宗祇と異なり、地方から京の紹巴を訪ねるという構図が、はっきりと見て取れる(『芸能史研究』二二〇)。
このように連歌を文学というより史料として扱ってみると、複数人物の居所比定という価値が立ち現れる。しかしながら、興行場所の特定には細心の注意が必要だ。「最上吉祥院興行」と記された慶長十九年七月六日の連歌について、長谷勘三郎氏は昌琢ら京の連歌師が山形を訪れたかと推測したが(『歴史館だより』二六)、興行者善雅を指す可能性が高い。
最後に作品内容にも少しふれたい。紹巴の発句は、安積の沼の花かつみ(一説に菖蒲の一種)がわずかに蘆の合間に見えはじめたと詠む。「かつみ」と「かつ見」が掛詞だ。これに顕与は沼の岸辺には青柳も生い茂っていると付け、昌叱は五月雨のあとに大きな水溜まりが現れたと応じた。日野輝資(生)は里から五月雨に潤った田んぼへと続く道を詠み、義光は放牧された馬も日が暮れると里に帰ってゆくと続けた。
上洛の折、義光は安積の風景を目にしただろうか。思わず旅心地になる連歌である。
■執筆:生田慶穂(山形大学准教授)「歴史館だより��33」より