最上義光歴史館
歴史館からのお知らせ
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《平成23年度4月分の入館者アンケート集計結果》
この集計結果は平成23年4月1日から同30日の間に入館した利用者を対象に行ったアンケートを集計したものです。 企画展 (4/1 〜4/10) 常設展示 (4/12〜4/13) 開館日数・・・・・・・・・・・26日間 入館者数・・・・・・・・・ 1,055人 回答者数・・・・・・・・・・・203人 1.本日は最上義光歴史館に �ヾ覯菘犬鮓�に来た・・・・・・・・・・・・・・・・13% �⊂鐇濺玄┐鮓�に来た・・・・・・・・・・・・・・・55% �N省�見に来た・・・・・・・・・・・・・・・・・・32% 2.�´�の方、企画展を何で知りましたか (1)ポスター・チラシ等・・・・・・・・・・・・29% (2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・・12% (3)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・・・0% (4)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・・・6% (5)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・・12% (6)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・・41% (7)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・・・0% �△諒�、当館をどこで知りましたか (1)旅行雑誌・・・・・・・・・・・・・・・・・11% (2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・・・3% (3)インターネット・・・・・・・・・・・・・・・5% (4)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・・・3% (5)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・・・1% (6)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・・・3% (7)以前から知っていた・・・・・・・・・・・・28% (8)観光案内所 (駅など) ・・・・・・・・・・・14% (9)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・・28% (10)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4% 3.歴史館の入館は何回目ですか (1)はじめて・・・・・・・・・・・・・・・・・79% (2)2回目・・・・・・・・・・・・・・・・・・14% (3)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7% 4.ご覧になられた感想 (1)内容はいかがでしたか 常設展示 �‖臺僂茲�った・・・・・・・・・・・・・・41% �△茲�った・・・・・・・・・・・・・・・・47% ��ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・・11% �い弔泙蕕覆�った・・・・・・・・・・・・・・1% 企画展 �‖臺僂茲�った・・・・・・・・・・・・・・17% �△茲�った・・・・・・・・・・・・・・・・50% ��ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・・29% �い弔泙蕕覆�った・・・・・・・・・・・・・・4% (2)最上義光と最上家について �,茲�わかった・・・・・・・・・・・・・・36% �△錣�った・・・・・・・・・・・・・・・・59% ��わからなかった・・・・・・・・・・・・・・1% �い匹舛蕕箸發い┐覆ぁΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΓ�% 〜利用者の声〜 ◎鬼切丸のことがわかってよかったが、現物が無いので残念だった。 ◎とても分かりやすくて、面白かった。 ◎市民からの展示品が面白かった。 ◎ガイドさんの説明で山形&義光の歴史等が分かって良かった。 ◎歴史解説板がわかりやすく理解できた。ガイドの方の説明が分かりやすかった。 ◎最上義光・最上家について余り知識がなかったが、今日はよく理解でき、勉強になった。 ◎兜が美しかった。 ◎刀や兜、書状の数々をたっぷり見ることができて良かった。 ◎次回はボランティアさんにガイドを頼みたいと思った。 ◎貴重な品が数々あり非常に良かった。 ◎今後も収蔵品を増やして、内容を充実させていってほしい。 ◎山形観光の種が見つかった。 ◎一回では、なかなか理解できないので、後からパンフレットで復習したいと思う。 ◎子供がクイズで楽しめた。 ◎もっと義光公の身近な物があればよいと思う。義光公も時代に貢献した事を全国に知らせて欲しいと思う。 ◎ガイドの方に懇切丁寧に説明してもらい、とても良かった。これを機会に山形の歴史を学べたらと思う。 ◎最上義光が亡くなった日に、なぜ4人が殉死したのか知りたかった。法螺貝や書状を見ることができて良かった。 ◎本物の刀剣を見ることができて、その美しさに感動した。無料なので、通りがかりに寄っている。今後も工夫ある展示をお願いしたい。 ◎地震後はじめてホッとする時間が持てた。入場無料とは思わなかった。 ◎山形城と一体となっていて、観光地としては便利だと思う。周辺が桜で囲まれていて、建物も綺麗でとても良かった。 ◎親切に解説してもらい、よく理解できた。ただ、時間が足りなかったので、次回は十分に時間を取り、また来たいと思う。 ◎ガイドの方の説明が面白く今までの義光像の観念が変わった。歴史の楽しさを再確認した。 ◎常設展と日本刀の展示があり、良い日本刀なので、2回も見に来てしまった。 ◎無料ガイドが良かった。これからも頑張ってほしい。 |
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花粉症と縁の無いナッツは、今の時期が大好きですね。
桜が散る風景が見たくて、 休日の時も歴史館の近くを ウロウロ(((‥ )( ‥)))してしまいました。 今は八重桜が綺麗ですよネ♪(@ ̄▽ ̄@) 近くで、色とりどりのパンジーも綺麗に咲いていましたヨ。 花は、心が癒されます。(* ̄▽ ̄*)エヘヘ ゴールデンウィーク中は、 たくさんの人が歴史館に遊びに来てくれています。 今日は、こんなお客様も・・・ 池にいる鯉たちは、厳しい冬を乗り越え、元気に泳いでいました。 (⌒▽⌒)ノ_彡★ |
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以前お伝えした「木村☆社長が…こんどは恐れ多くも正子公也先生と夢のコラボ(?)を実現させました!?」がついに完成しました。
![]() 正子先生プロデュースのクリアファイルに、木村☆社長が企画制作した最上義光甲冑ペーパークラフトが入っています!! 開封実演中♪ あれ!!納品時のどや顔が…もしかして…!? ↓↓↓ ![]() 社長!!不器用か(-_-;)!? なんと正子先生もさっそくブログで紹介してくださってます!!モガルー!! 正子先生のデザインのこだわりを社長からこっそりうかがいました!! ▼こだわり#1 裏面の指揮棒の配置が、透けて見えるペーパークラフトのデザインと重ならないように絶妙に配されています!! ▼こだわり#2 ペーパークラフトを出してクリアファイルとして使うとき、表面の日輪と裏面の日輪が効果的に重なるように配置されています!! さすが正子先生!!! いつか正子先生が描く文化人最上義光もみてみたいですネ(ボソ)!! 購入ご希望の方は受付にて1部1,000円で販売しています!! 尚々、通販ご希望の方は歴史館までご連絡ください。 tel 023−625−7101 fax 023−625−7102 正子公也先生のオフィシャルサイトはこちら>>アトリエ 正子房 ペーパークラフトに興味がある方はこちらをご覧ください >>こちら |
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《平成22年度3月分の入館者アンケート集計結果》
この集計結果は平成23年3月1日から同31日の間に入館した利用者を対象に行ったアンケートを集計したものです。 企画展示 (3/1〜 3/31) 開館日数・・・・・・・・・・・14日間 入館者数・・・・・・・・・・・319人 回答者数・・・・・・・・・・・・67人 1.本日は最上義光歴史館に �ヾ覯菘犬鮓�に来た・・・・・・・・・・・・・・・・6% �⊂鐇濺玄┐鮓�に来た・・・・・・・・・・・・・・69% �N省�見に来た・・・・・・・・・・・・・・・・・25% 2.�´�の方、企画展を何で知りましたか (1)ポスター・チラシ等・・・・・・・・・・・30% (2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・・9% (3)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・・4% (4)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・・4% (5)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・13% (6)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・39% (7)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・・0% �△諒�、当館をどこで知りましたか (1)旅行雑誌・・・・・・・・・・・・・・・・12% (2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・10% (3)インターネット・・・・・・・・・・・・・10% (4)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・・0% (5)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・・2% (6)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・・6% (7)以前から知っていた・・・・・・・・・・・・8% (8)観光案内所 (駅など) ・・・・・・・・・・16% (9)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・22% (10)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・12% 3.歴史館の入館は何回目ですか (1)はじめて・・・・・・・・・・・・・・・・90% (2)2回目・・・・・・・・・・・・・・・・・・6% (3)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・・4% 4.ご覧になられた感想 (1)内容はいかがでしたか 常設展示 �‖臺僂茲�った・・・・・・・・・・・・・31% �△茲�った・・・・・・・・・・・・・・・54% ��ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・15% �い弔泙蕕覆�った・・・・・・・・・・・・・0% 企画展 �‖臺僂茲�った・・・・・・・・・・・・・15% �△茲�った・・・・・・・・・・・・・・・61% ��ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・24% �い弔泙蕕覆�った・・・・・・・・・・・・・0% (2)最上義光と最上家について �,茲�わかった・・・・・・・・・・・・・40% �△錣�った・・・・・・・・・・・・・・・57% ��わからなかった・・・・・・・・・・・・・0% �い匹舛蕕箸發い┐覆ぁΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΓ�% 〜利用者の声〜 ◎企画展がすごく良い。懐かしい物がたくさんあった。 ◎説明が面白くわかりやすい。いい勉強になった。 ◎指揮棒を持てる等、良いサービスだと思った。9時から開いているのも有難い。 ◎サポーターの解説で最上家に対して非常に興味が湧いた。詳しい解説者がいると正しい知識を持ち帰る事ができて良いと思う。 ◎いささか暗くメモを取るのが不自由だった。きわめて示唆的な著作物が数点あって、当館に来館したかいがあった。 ◎詳細に説明してもらい良く分かった。 ◎歴史に疎く最上家は知らなかったが、斯波家との関係が分かった。 ◎大変見やすかった。 ◎小規模だが、なかなか楽しめた。 |
(C) Mogami Yoshiaki Historical Museum






むかしは、なにかことがあれば必ずといってよいほど「御祈祷」をしてもらった。戦いに出陣するときなどは、とくに戦勝祈願の行法(宗教的なまじない)をしてもらうのが通例だった。宝幢寺の尊海上人は、義光がとくに深い信頼を寄せた修験僧である。
天正2年7月7日には義光の軍使となって、伊達輝宗のところへ行った。(『輝宗日記』)
義光が天童氏を攻めたときのこともよく知られている。
天童領との境にあたる立谷川が満々たる濁流となって、さすがの最上軍も進めないでいた。ところが、尊海が祈祷をするとたちまち水が引いてしまい、天童城を攻め落とすことができたという。もちろん事実ではない。これがさらに変形して、お伽話風に語られるようになった。天童氏が「喜太郎狐」の幻術を使って最上方を惑わそうとしたので、尊海は「犬」を使って退治した、喜んだ義光は、恩賞として「犬扶持」を与えたという話に仕立てられたのである。
ともあれ、彼の功績を賞して、義光は自分の信仰していた勝軍地蔵をまつる天童愛宕神社の別当に任じ、1370石という広大な寺領を与えた。
最上義光歴史館には、宝幢寺住職(たぶん尊海)あて義光の手紙が二通展示されている。
一通は、平安時代の勅撰集『後撰和歌集』のなかの二首をつらねて消息にしたもの。
「秋風の吹くにつけても問はぬかな 荻の葉ならば音はしてまし
神無月降りみ降らずみさだめなき時雨ぞ冬のはじめなりける」
「秋風が吹くにつけても、あなたの来てくださらないのが気掛かりです。荻の葉ならば音ぐらいはするものなのに。今はもはや神無月(旧暦十月)、降ったり降らなかったり、さだめない時雨の雨は、すっかり冬の初めをおもわせます」という意である。
前の一首は女流歌人として高名な中務(なかつかさ)の作。後の一首は読み人知らず。
流麗な筆跡と豊かな教養を感じさせるこの手紙からは、二人の深い交流がうかがわれる。それにしても、数多い古典の名歌から二首を選んで時宜に適した手紙にするというのは、なかなかできないことだ。義光にはそれができるだけの教養と、そういうことを楽しむ柔軟な感性があったのである。受け取った尊海も、風雅を解するすぐれた人物だったことを物語るわけである。
もう一通は、年不記、2月14日付。「道中を安全に守ってもらいありがたい。ご祈祷はそなたが一番だ。何かあったら宝幢寺に連絡をいれるので、これからもよろしく」といった内容である。これまた、尊海の加持祈祷に全幅の信頼をおいている義光の気持ちを率直に表したものといえよう。
こうした祈祷僧の援助も、信仰心あつい義光の心の支えとなっていたのであろう。
ところがこの尊海は、義光が亡くなった翌年(1615)、突如山形を去って行方知れずとなってしまう。
「あの坊さんは、源義経につかえて仙人になった怪僧、常陸坊海尊の生まれ代わりだったのだ」と、町のひとびとはうわさした。霊験あらたかな修験僧として、一般民衆の間にも強い印象を与え、広く知られていたのである。
宝幢寺は、最上時代には三の丸の南東隅に、およそ六千坪に近い広大な寺地を構えていたが、鳥居時代以後は地蔵町に移転された。その後の山形城主歴代もこの寺を尊崇し、山形地方の真言宗触頭として大きな権勢をふるった。
江戸時代の終わりごろの『俳風最上仙流』掲載の作品に「ワンワンは寺禄こんこんは無禄なり」とか、「権勢を尻尾で振るは宝幢寺」というのがあり、宝幢寺の勢いが盛んだったことを伝説の「犬」にかかわらせて皮肉っている。
明治維新の変革で廃寺となり、寺に伝来した宝物類は散逸した。大量の古文書は国立史料館に移管された。明治半ばまで寺院の面影を残していた境内の一部は、終戦後に「もみじ公園」として市民の憩いの場となった。庭は江戸時代中期のすぐれた庭園として知られ、新たに建てられた茶室は、宝幢寺の「宝」と山形名産「紅花」にちなんで「宝紅庵」と名付けられた。
植木市でにぎわうお薬師様(出羽国分寺薬師堂)の堂は、かつての宝幢寺本堂を明治45年に移したものだ。
■■片桐繁雄著