上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市

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上杉家の会津120万石移封、米沢30万石減封に伴い多くの寺が越後から米沢に移されていますが、照陽寺(しょうようじ)は越後国府中(新潟県上越市)から米沢に移された寺です。

米沢の照陽寺の境内には、上杉謙信公が急逝された際に起きた2人の養子(上杉景勝公と上杉景虎)による家督相続の争い「御館の乱」で上杉景虎(北条氏直の七男)側に加勢し亡くなった元関東管領上杉憲政のお墓があります。越後の照陽寺に埋葬されましたが、移封とともに米沢の照陽寺に改葬されました。



長尾景虎が上杉姓を名乗るきっかけは「上杉憲政」に由来しています。


照陽寺の地図



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上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
上杉家の会津120万石移封、米沢30万石減封に伴い多くの寺が越後から米沢に移されていますが、常安寺(じょうあんじ)は現在の長岡市栃尾から米沢に移された寺です。

上杉謙信公がまだ幼少だった頃、栃尾で過ごしていたある日、地衆達によって捕らわれそうになりました。その時常安寺の住職であり上杉謙信公の師を務めていた門祭和尚は、身を挺して上杉謙信公をお救いになられました。以後常安寺は上杉家から格別の守護を受け、上杉家の執政となった直江兼続公(23歳)もお寺の門に掟を掲げ加護しています。今でも米沢の常安寺と栃尾の常安寺には上杉家から拝領した貴重な品々が伝わっています。





新潟県長岡市栃尾の秋葉公園にある「上杉謙信公座像」


秋葉公園の麓にある栃尾の「常安寺」


米沢の常安寺の地図   栃尾の常安寺の地図



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上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)
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