◆高畠の歴史 018号◆
今回は、『高畠町の源姿』についてお届けします。 高畠町の源姿を知るには、陸奥国と置賜群を知る必要があります。 現在の山形県内で初めて群(こおり)の政治区分で歴史上に現れるのは、 置賜群と最上郡のみであります。 大化の改新(645年)後これまでの世襲制度を廃止し 新しい中央官制を定め官僚制を整えました。 650年のころから全国にわたって国・群(こおり)の 区画を定め地方制度を整えています。 陸奥国はこの制度の整備の中で生まれた国であります。 陸奥国に含まる群は、今の福島県下に当たる9群と 山形県下の置賜と最上でありました。 山形県の内陸部が早く開拓がすすめられました。 陸奥国の時代の最上郡は村山、最上を含めた地域だったようです。 更に、和銅5年(712年)9月今の荘内地方に出羽の国が置かれました。 その中に属する群は出羽郡1つでありましたので、 正式な群ではない仮の群、権群(ごんぐん)として田川郡が設置されました。 しかし、1つの国に1群では格好がつかないということで、 すでに陸奥国に属していた、置賜、最上郡を分離して 出羽の国に所属させたのであります。 それは和銅5年10月のことでした。 ここで山形県の源姿が出来上がりました。 その後、陸奥国は今の青森、岩手、宮城、福島が含まれました。 出羽国当時は出羽を(いでは)と呼んでいたようですが 今の山形県と秋田の一部が含まれていたようです。 そこで置賜群の政治の中心はどこであったかについてですが、 高畠町小郡山にあったとする説が有力であります。 出羽国、置賜群の政治の中心が小郡山であることが、 何と日本書記に書かれていたのです。
2013.06.22