『奥州合戦と伊達家の発祥』についてお届けいたします。
源平合戦で平家を下し大活躍した源義経は、朝廷より官職を賜ります。
しかし、このことについて兄源頼朝の許可を得ていなかった為に
兄弟に摩擦が生じ義経は追放され追われる身となります。
義経は日本海沿岸を北上し庄内から最上川を登り鳴子に入り、
奥州藤原を頼ることになります。
義経が藤原にいるとの情報を得た頼朝は再三義経を
引き渡すように迫りますが藤原は対応しませんでしたが、
4代藤原泰衡の代になり危機を感じ義経を捕え頼朝に
引き渡そうと夜襲をかけ襲いますが義経は自害をしてしまいます。
泰衡は頼朝の機嫌をとろうと義経の首を塩漬けにして届けますが
逆に攻めのチャンスと見た頼朝に攻められることになります。
源頼朝は東国武士28万の軍勢で藤原攻めに北上し
藤原軍と福島県国見町阿津賀志山にて激突します。
「欧州合戦」の始まりです。数に勝る源氏が圧勝します。
鎌倉幕府開設の3年前のことです。
「欧州合戦」で戦功を挙げた常盤の国中村氏が
福島伊達郡を拝領し伊達氏を名乗ります。
これが伊達家発祥となります。
方や同じく戦功のあった鎌倉の御家人大江氏が
山形置賜長井の庄を拝領し長井氏を名乗ります。
これが山形置賜の源となります。
もともと藤原の庄であったそれぞれの領地は
源氏の家来に分配されたことになります。
ここからがおきたまの新しい歴史がはじまります。
