獅子宿

メモ
約1�圓侶變眠修呂�なりの困難。いままで彫った獅子の中で裏から眉や目玉まで彫り込んだのは初めてです。こうなるとイメージ的に能面の部類になりそうです。今は獅子を持つ役割を、「獅子振りと」言いますが、古くは「獅子冠り」と言って獅子を頭に冠ると表現したらしいんです。冠るといえば王様が冠る「冠」。かなり尊い人のようですね。神社の権威の象徴のような獅子頭は誰彼も持つことは出来ないようにして、それを特権化したようです。「技は盗んで覚えろ」と教えられた世代は今のようにチヤホヤされる事無く厳しく仕込まれたんですね。獅子舞を覚えるために時間もかかったし、先輩も異常に厳しかった。獅子舞の要素には通過儀礼の要素も有り、この苦行を乗り越えられればいっちょ前だと村人に認められたのでしょう。今でも獅子振りには年齢制限が決まっている地域があって、中学生以上から35才までとか、はっきり定年とか決められていております。村の青年団組織が最盛期の時代は、社会生活一般の他、エロエロな諸々の知識まで仕込まれたという、しかも恋愛のいろは、四十八手まで伝授されたという事であります。そこまで人間関係の濃い関係は今では不可能ではないでしょうかねぇ。


かげろう日記ばっかりが続きます。このように腐れスイカがゴロゴロと転がっている風景もなかなか見られるものではないでしょう?何個あるのかなぁ?なんか海辺で海水浴しているフウに見えませんか?近くで見るとドロドロと中が腐って凄い有り様です。ネパールだったかな「鳥葬」という習慣があって亡くなった家族をコンドルに食べてもらって天国に連れて行ってもらうんだという。小高い山まで遺体を運び、ナタでバラバラにしてコンドルが食べやすくしてあげるんだと。凄まじい習慣。信仰がなければできない事ですが、そこまでやるか!と考えるのは私も現代人なんでしょうね。家族に天国へいって幸せになってもらいたいという強い想いを感じます。しかしね・・・バラバラにするのはねぇ。この風景は農家の人がスイカの残党を哀れんで鳥葬にしているのかもね。カラスじゃ地獄に連れていかれそうか・・・。

なかなか無い広大な茅場を発見!昨年も茅刈りいたしました。今年もこの眺めのいいところで刈りまくります。どなたか一緒に楽しい茅刈りをしながら晩秋のひとときをご一緒しませんか。軍手、鎌、などお貸しいたします。お昼は獅子宿で餅そば膳に芋煮なんかつけちゃったりして・・・・ご馳走しますよ。期間は十一月から雪降って諦めるまでおこないます。多数の参加をお待ちいたしています。へへへこないだろうなぁーー。

伊佐沢はぶどう苗生産日本一だったりホップの生産も盛んだったりすごいんだよーー。

以前から不思議に思っていたんですが、栗のイガが気になります。外敵から身を守る手段で進化したんでしょうが結構、栗には結構虫がついてますよね。鳥には効果的なのかな?虫には効果なしなんでしょうか。熟すと口が開いてコロコロと落ちますしね。いつしかその実から芽生えて栗の木に成長する訳ですが、あんなにチカチカしたイガを作るのは大変な事でしょう。それなのに結局虫や熊や人間に食べられてしまう。でも生き残っているとすれば我々に食べられる事によって子孫を残すという選択を選んだのだろうか。縄文時代は人間の主食だったそうで、あのチカチカは長い間に人間に食べられないように進化したものか・・・・???うーーむ。そんな事考え始めると秋の夜長は酒が異常に進みます。栗御飯食いたい。
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蕎麦の本返しを仕込中です。醤油の香りが漂ってきて蕎麦を食べたくなります。蕎麦屋なのに何時でも食べれるはずですが、そうでもなくて皆お店に出てしまうので味見は半端な余り蕎麦で検分いたします。それがまた美味いんだ。ちょっとだから余計に美味い。汁をつけずに頂きます。