獅子宿燻亭10

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  • 南陽市小滝の神楽獅子一対

     南陽市小滝の川井榮助氏宅に訪れた。 9月1日南陽市の境界の上山市小白府境に場所の確認の帰り、小滝不動尊に立ち寄った際、 住民の方から神楽獅子の存在と情報を取材し川井氏宅に辿り着いた。 大場家から寄贈された獅子頭 川合敏夫家所蔵の獅子頭 目や歯に金紙が貼り付けられている  川井氏は元地区長さんという事もあり、獅子頭の存在の詳細をご存知だった。神楽獅 子は2頭あり1頭は小滝の川合敏夫氏家と元大場 徹氏家(現在家は無し)に所蔵されて いたが、八雲神社に寄贈され現在は集会所に保管されている。大場家の獅子頭の顎の底 にはわずかに記名が残るが、塗りの上から墨書きされたのか、消えかかって判別が難し く記名は獅子頭の内部に記されるが常套である。獅子頭の作者は、大場 徹氏の次男が 関東方面で獅子彫の技術を習得され制作したものではないか?と聞いている。 大場家の獅子頭 顎に大場の「大」の文字が見える  獅子頭の上の歯が下の歯に重なる様式は、すぐ隣地の上山市山元の前丸森山と菅や 小倉棚木の神楽獅子と共通し、下総や上総(千葉県)の獅子の特徴と類似しているの で興味深い。もう一頭の川合敏夫氏家の獅子の歯は、付き合わせた噛み合わせだが、造 形は類似している。    顎の底の彫り 小滝の東に位置する上山市菅の神楽獅子の底の彫と似ている 川合家の獅子の耳  一対の獅子頭は川井榮助氏の記憶によると4・50年前八雲神社の例祭に村おこしを目 的に獅子冠りを始めた。唐草模様の幕を付けた二人立の獅子が一対で別々に上と下に分 かれ家々を厄払いをして回った。獅子舞の形は無く、頭を噛む「歯噛み」で厄を払い御 祝儀をいただく獅子回りの形である。獅子の後には婦人会や若妻会の女性がお賽銭箱や、 お礼の供物を配り同行した。獅子とは別に、子ども樽神輿が集落を回り、樽神輿は後に 本格的な神輿を作った。獅子回りは20年程継続したが人口減少で廃絶してしまった。 長井型の小獅子 梅津弥兵衛の作か? 太鼓 小滝田植踊りのものだろうか?  獅子頭の構造や古さを見ると、獅子冠りを始めた以前からずっと前から存在していた 様に思える。今回拝見した一対の獅子頭の他に、敏夫氏家の明治期と推測される長井の 総宮神社型の小獅子もあった。当地の八雲神社の拝殿や小滝田植え踊りについても取材 や調査を今後行いたい。
    2025.09.20
  • 白鷹町畔藤熊野神社の獅子頭完成

    白鷹町畔藤熊野神社の獅子頭の塗りと金箔、タテガミ植えも仕上がりようやく完成した。  令和5年に契約を交わし、令和6年9月に獅子頭木地の完成、塗りの完成は令和7年3月 だったがお盆まで伸びてしまった。重さを測ってみると6.2kgと手本の高橋小平衛の作 より補強のFRPの分重くなった。小平衛の獅子は超軽量で5.0kgだが前歯から目、耳穴 までにかけて大きく亀裂が入ってしまっている。修理した痕跡がないので貴重な高橋小 平衛と塗りの横山直太郎の記名が残ったが年号があれば更に価値のある記名だった。  新しい獅子頭は朱に黒を加えた錆色、唇や耳、内部や目の縁に若干鮮やかな朱を塗り 微妙な色調の違いで塗り分けている。朱の色作りが難しく、大きな舌のハケ捌きも高い 塗師の技術力を要求される獅子頭だった。  本年の例祭で拝殿にお披露目をし、来年以降の獅子舞出番になる予定である。 今年は、平山熊野神社8月14日お披露目、勧進代総宮神社8月15日初獅子舞、歌丸神社 が9月6日お披露目、畔藤熊野神社お披露目と楽しみが続いて忙しくなりそうである。
    2025.08.14
  • 上山市高松地区の獅子頭

    2025年8月7日  上山市は高松集会センターに訪れた。 地区長さんにお願いして消防団で行なっている「獅子廻りの獅子頭」を拝見できた。  2018年㊀月岡城御用神楽の太夫だった故 佐藤多美夫氏から高松地区の某家に以前所 蔵していた神楽の獅子頭三頭の一頭を譲ったとされる話から、その某家にまず書面で連 絡を取ったが、戻ってきてしまった。高松観音の光明寺さんのご好意で某家のご親戚に 連絡を取っていただいたが、現在は空き家となった家の確認は無理となった。 しかし、高松地区で葉山神社の例祭に合わせ、地区の消防団員で獅子頭でもって火伏せ 厄払いを行なっていることが分かった。佐藤太夫家から伝わる獅子が、火伏せの獅子に 用いられている可能性もあり期待が高まった。  慶應元年元旦、山火事の火が高松観音に燃え移りお堂が焼失したが、別当寺光明院の住 職が本尊を運び出し事無きを得た。火災の原因は山守が元旦の酒に酔って失火した為で、 後日、山守は悪疫にかかり亡くなったという伝説があるという。  佐藤太夫家が神楽の獅子を高松の某家に何故譲渡したかの話をされた時、「獅子頭は祟 られた獅子だったから・・」という話を思い出し高松観音の焼失と何か関わりがあるので は無いかと考えたのである。  獅子頭一頭は集会センターの一室に保管されていた。 側には獅子廻しの際打ち鳴らす締め太鼓があった。獅子頭は佐藤太夫家で拝見した獅子頭 の伝統的な神楽獅子とは様式が違い、作られた年代も若いもので石崎神社の一対の丸みの ある獅子頭をモデルにして創作された様に思われた。 「獅子廻し」とは、一軒一軒馴染みの家を巡り演目をする門付の神楽獅子と異なり、数人 で獅子をもって玄関に訪れ、「歯噛み(はがみ)」をして御祝儀を頂くに尽きるもの。 置賜では米沢や高畠、川西各所で確認している。実際に、その高松地区の獅子廻りの様子 の動画も写真も無いので来年取材してみたい。 ㊀月岡城御用神楽については                  神楽  神楽は、神前で心霊を慰めるためのものである。本来は季節毎におはらいをし、家内安全 を願い無病息災、火の用心と合わせて商売繁盛や悪魔退散などを戸ごとに行なってきたもの である。最初は鎮魂(みたましずめ)を祈る所作であったが、現在はかなり余興化している。 上山市には昔から㊀(まるいち)大々神楽があり、現在佐藤多美夫氏が太夫として継承して いる。掛け合い万歳、おかめひょっとこ、獅子舞、曲芸を奉納演舞する。この神楽は、神社 仏閣の祭典や縁日に頼まれて奉納するだけでなく、春夏秋冬に分けて各部落を歴訪し、定め られた民家を宿とする。翌日は朝早くから各戸を訪問して獅子舞を演じる。その時獅子頭は 大きな口を開けて家人一人一人の頭を噛む真似をする。これは神の力によって無病息災を念 じる呪(まじな)いの一つであると信じられている。この㊀神楽は、毎年一月三日上山城で 上演される。 上山、棚木地区の神楽も、内容はほとんど同じである。現在、保存会を結成 し建前のおはらいの際に演じている。演者は農家の方々で、役割が決まっている。お面は江 戸時代からの古い立派なものである。   昭和61年1月1日 特別展「民具展ー上山の信仰」    上山城管理公社 萩生田憲夫 湯上和気彦 著作 より引用させていただきました。  上記の㊀月岡城御用神楽について佐藤多美夫氏より棚木や高松、狸森の神楽について当時、 予備知識が無く話を引き出すことが残念でならない。  歯噛みとは頭を噛む真似であり、頭を噛む所作は伊勢や熱田系神楽と出羽三山信仰の擬死再 生観が融合した所作に思われる。獅子に頭を噛まれる事は仮の死を意味し、獅子の歯噛みから 再生し、体内の厄も浄化され新たに蘇るという意味が歯噛みの所作に含まれているという説も ある。獅子が頭を噛む所作は単純に厄払いの呪いだけでは無く、本来の意味がありそうだ。
    2025.08.13
  • 上山市小倉地区棚木の獅子頭

    2025年7月21日  上山小倉地区棚木の集落は蔵王山嶺の小高い地形に囲まれた丘陵地で、さすがに今年の7 月の快晴の暑さだと気温は下界と変わらないが、湿度は低く爽やかに感じた。酷暑の上山市 内から徐々に高度を上げ、蛇行した道を進むと沿線に両所神社、権現堂などの寺社や石碑が 連なっている。蔵王山や温泉に向かう街道として栄えた記しの遺構が当時を偲ばせる。  上山市史の情報とひょんなご縁で、棚木地区に伝わった神楽獅子と神楽面を取材する機会 を頂戴した。この偶然も獅子に呼ばれた感があるのだ。 以前神楽を行なっていた方と親方(太夫)の加藤長之助の息子さん、太夫のお孫さんが対応 して頂いた。そのお孫さんが上山の公民館にお勤めで、先月地区の方と当店にご来店の際、 棚木神楽の話題になった事が発端になった。 公民館の専用の棚に獅子頭や道具類が30年時が止まった様に安置されていた。 もう棚木神楽が最後に演じられた事も定かではなかった。棚木神楽の写真や動画の存在も 心当たり無いので残念である。 顎ひげのパターンも獅子頭の作風の要素になる  棚木神楽は明治時代後期から始まったとあり、それ以前は馬頭(うまどう)という催事があ り、馬頭は農耕馬の供養であり農作業の終わりに、収穫祝いと馬への感謝を込めて慰労会が三日 も行われた。その慰労会で芸好きな者達が始めたのが棚木神楽の始まりだという。 棚木の西北部、地図で見ると直線距離にして2kmの近場に以前取材させて頂いた山形市上野神 楽がある。新しい蔵王の道の駅オープニングイベントで上演されたのを目撃している。 上野神楽太夫の高橋氏宅で取材させてもらい獅子頭や神楽面、衣装などを拝見している。 上野神楽は㊀餌鷹神楽から伝承された神楽一派で、同様に上山の㊀月岡城御用神楽からも、神 楽指導や影響を受けたものと推測する。 石崎神社の獅子頭 塩坪 伊藤善蔵の作の可能性が考えられる  獅子頭は棚木地区から更に上の塩坪集落に住むの伊藤善蔵氏の作と明記されている。作風を見 ると、上山市石崎神社の一対の獅子頭の一つに類似している事に気づく。獅子頭を拝見しながら 偶然用意していた石崎神社の獅子頭を比較してみると一同頷いた。大太鼓や締め太鼓、鉦、笛は 明笛が二本保管されていて明笛とは中国は明時代に伝わってきた篠笛である。許可を貰い音色が 出るか試しに吹いてみると、えも知れぬ音色が響いてきた。失われてしまった神楽の残り香の様 だった。10月からの獅子頭展での展示のお願いを申し出て、棚木公民館を後にした。  帰り道、一緒に同行してくれた中学生の助手山口君と上山市内から葉山温泉背後の山際に葉山 神社と思われる屋根が見え気になっていたので葉山温泉に入ってみた。久しぶりに狭く急斜面の 温泉街に訪れてみるが、葉山山頂の入り口は見つからず次回訪れる事にした。
    2025.08.13
  • 上山市狸森菅の獅子頭

    2025年8月6日  上山市狸森の菅(すげ)地区に訪れた。  先日飛び込みでお邪魔した山元地区公民館から元公民館長の長橋氏からの情報で、菅にも獅子頭が有り 前丸森の獅子頭と兄弟獅子とのお話だった。山形の㊀餌鷹神楽に伝わる450年前の獅子頭の兄弟獅子と 聞けば想像が膨らむ。一目見たさに居ても立っても居られぬ想いで険しい林道を進んで行く。  菅集落に向かう数日前に地図やGoogleアースで菅集落を調べると急勾配の地形にあり、下見に訪れて いた。前回の前丸森横戸家には、初めて住宅地図やナビを頼りに向かったので、同様に急勾配の林道に 面喰らった。雪国に住む身としては、どうしても坂に関して冬の通行や除雪を直ぐに考えてしまうのだ。 厳冬期はさぞかし4WDの車でも身の毛もよだつ恐ろしい道路事情だろう・・。  横戸家で連絡して頂いた菅地区の平吹氏と合流し公民館に案内していただいた。年紀の入った公民館も 人口減少でほとんど使用の機会も少なくなったという。 菅の神明神社の例祭で毎年7月第2日曜日に獅子が地区を厄払いを行なっている  菅の神明神社の例祭が7月第二日曜日で、本年も獅子頭で集落を厄払いして周ったという。さて、菅の 地区の獅子頭は前丸森横戸家の獅子とは一見にして風貌は異なる神楽獅子の作風で獅子頭の内部を確認 すると内部は漆が塗られず木地肌に墨で記名が残されていた。 「慶應元年(1865年) 丑(うし)   奉納御寳前   于(おいて)六月朔日(一日) □□ 前丸森    横戸林蔵 昭和二十八年 本家 長門屋(山形市十日町)塗替 記名の□の部分が解読出来ない。例えば「施主」なのか「刻人」で「注文した人」と「作った人」と意味 違ってくる。というのも横戸家の立派な仏壇に横戸氏の先祖が彫刻したという大日如来像を拝見したから である。記名の横戸林蔵氏が獅子頭を制作した可能性があり確認が必要だ。 舌の根元に短い柄の様な部分がある 舌を動かす為のものだろうか? 前丸森の獅子にも同様のものがある 獅子頭は下顎が頭部の歯の内側に隠れる、上総(かずさ)の獅子に見られる特徴で、前丸森で拝見した横戸 家の獅子と同じ構造になっている。眼や頬の隆起が大きく眉や耳の形も前丸森と共通しているが、並べてみ ると異なる風貌である。前丸森と菅の獅子が並べてある写真が壁に貼られてあった。以前、両所の獅子を並 べて懇親会を行った時の写真だそうだ。菅の獅子に横戸林蔵氏の記名を確認したことにより、二頭共に前丸 森の横戸家由来の獅子頭であることが分かった。後日、横戸氏の神楽獅子に詳しいという本家の方に話を聴 取したいと考えている。  郷土史会での懇親会での神楽獅子のツーショットの写真
    2025.08.08
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