昭和48年の橋渡し
長井市出身の彫刻家長沼孝三氏の撮影した写真に自分が写っていた・・・と。 かなり前に一度サラッとご紹介した話だが再び蒸し返してみた。 文教の杜で昭和48年の9月16日の総宮神社の例大祭に長沼氏が撮影した写真を見せてもらい 警固(森の松木氏サザエム)の右側に高張提灯を持つ自分が写っているのを発見した。 特に、お気に入りだった縦縞のズボンの記憶が目に着いたからだ。 警固の廻しに注目戴きたい。 今の様に立派な化粧廻しではなく、破けたようなボロボロの廻しに角力の付ける「サガリ」が 見える。 腕時計をしている所が渋い。 獅子幕から出ている日焼けした素足は半ズボンの子供だろうか? 十字路手前で橋渡ししている様子だで この場所は駅前の十字路で橋渡ししている様子だろうろう。 元イタガキスポーツの側で、後ろに焼き鳥屋「きちろ」の看板が 見える。 昭和の高度成長期の後期だが、何につけても賑やかだった時代である。 ついでに少し時代を遡り、私が幼稚園くらいだろうか? 河井の獅子踊りの写真にも自分を見つけている。 本町のヨークの南、新来軒の前の道路は以前クランク状で広かったのだが、そこで「河井の獅 子踊り」を披露している写真があり、大勢の見物人に囲まれている。 よく見ると母親に連れられ私と、お向かえの幼馴染みのアッチャンが写っていた。 ポカんと口を開けて眺めている。 全くこの獅子踊り見物の記憶は無いが、少なからず幼少の頃の体験は潜在的に現在の仕事に影 響しているのではなかろうか?
2017.06.26