以前調べた山辺町史に「湯舟神楽」ついての資料があったが現地調査までは至らなかった。
図書館には郷土史についての棚は無く、やはり町史の湯舟神楽についてのみだったが、
すぐに熊野神社宮司の武田氏に連絡を入れて頂き、神社で獅子頭を拝見することが出来た。
あまりにトントン拍子に事が運び、この機会を待ち望んでいたかのようである。
図書館から10分も掛からない所に熊野神社があり、宮司さんが神社を開け、獅子頭一対を箱から
出して待っていてくれた。山辺町の道路は幅が狭く入り組んでやたらクランクが多い。古い城上町
の様である。
一対の獅子頭は朝日町松原で見た獅子頭の作風に似て、大きめの獅子の脳天には如意宝珠が付いて
いた。まず獅子箱の蓋に記名が有り「昭和63年1月吉日細工人佐藤芳夫」と記され作者名と思われ
たが、獅子頭内部には「昭和63年1月吉日明日(ぬくい)茂男の作」と両方に記名が残っていた。
宮司さんはこの記名については今までご存知なく、驚いていらっしゃった。獅子頭の存在や作者に
ついては、他の地区でもあまり関心を持たれない事が多い。御神輿の露払い獅子的存在で獅子
舞は伝承されていないそうである。現在は愛宕、天満、諏訪神社の三社祭にて稚児行列を5月3日に
行われているが、獅子は別ルートで地区の家々を巡り「悪魔払い」をし家人の頭を噛みお祓いをし
集金する係になっている話だった。
その三社にも各々獅子頭一対があるという。神社拝殿の記名札を探していると日枝の古い神社祭礼
の大正13年8月26日の記念写真に、作風の違う一対の獅子頭が写っていた。左にはかなり大きい太
鼓がある。日付をみると以前は8月26日が例祭日だったのだろう。また「雨乞い祈念」と書かれて
ある。熊野神社拝殿にも同様の大きな太鼓があり、写真の様に太鼓を棒で吊り移動してのだろう。
猿田彦の面もあり参加者も数多く盛大だったのだろう。
宮司さんのお話によると、山辺町は5月3日に集中してお祭りが開催され、宮司さんは兼務する神社
の神事に次々と11社回りハードスケジュールなのだそうだ。獅子頭を1日で一気に取材できる日なの
であるが、まだ不慣れな土地勘なので準備は相当念入りに組まなくてはならない様である。



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