蒸し暑いほぼ熱帯夜に近い夜が明けて、
ボッとした朝日が奥羽山脈から昇った。
ま、夏だから仕方ない;;;
さて、昨日、カミさんが面白い事を言い出した。
なんでも、ある環境系の学術書をちょろっと覗いてみたら、
明治の初めの頃の里山とか中山間村周辺の自然の姿の写真が載っていて、
けっこう、みんな禿山っぽいのだそうである。
何故かと言うと、たくさん木を切り出して炭とか燃料にしたり、
もちろん、大きな橋から掘立小屋まで、建築のほぼ全ては木造だし、
おまけに輸入材なども無い。
拠って、木の需要というものが今に比べてとてつもなく大きかったので、
禿山っぽくなってしまっているのだそうだ。
だからこそ、切ってはいけない木というのがあり、
御神木の様に大事にもされたし、人が生きて行くために命を捧げた
草木達の精霊を供養する習慣などもあった。
おまけに、人の生活している周辺の山野は禿山っぽく見通しも良いので
それが緩衝地帯となり、クマなどの山奥の生き物との住み分けも出来ていたのだろう。
(人が手を入れている禿山っぽい山野は、キツネやタヌキなどの
小動物の絶好の住み処となってだろう事は容易に想像がつくし、
だからこそ、昔話にもキツネやタヌキが沢山出てくるんだろう。)
さてさて、話を現在に戻してみると、
燃料はもとよりエネルギー全般は、化石燃料(特に石油)と
原子力に依存しているし、建材なども、鉄とコンクリート、輸入材、
ケミカル材が占めてしまっているし、それらの生産と供給システムも、
特に燃料などは、大きな資本投入とライフラインという重要度を以って
ほぼ完全に出来あがってしまっている。
だから、私達は、近隣の山野に手を入れて、材木や燃料を得る必要が
ほとんど無くなってしまっている。
拠って、里山や中間山村周辺には、ただただ自然そのものが押し寄せている。
日本の場合、緑というか植物の再生産性が高いので、山野を自然のまま放置すると
砂漠化するのではなく、その逆で、緑が押し寄せてくる(山野が荒れる)のだ。
この状況をやや大袈裟にに言い換えてみると、
「今、私達が見ている日本の緑豊かな里山や中山間村の自然の景観は、
実は・・・石油と原子力で出来ている???」と言えるのではなかろうか?
ま、同様に、最近のクマの出没件数の多さも、
この「押し寄せる緑」に一因があるのだろうと思う。
P.S.
日本の近代化を成し遂げるには、歴史的過程として、
木材に代わる大きなエネルギーが必要だった事は
もちろん理解した上での、ハ・ナ・シ・・・である。
