おさむ茶マイルーム

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 漫才の松本竜介やGS(ガソリンスタンドではありません)元カーナビーツのアイ高野が亡くなった…、最近とみに芸能人の訃報が目立ちます。人気商売ゆえにストレスが命を削っているのでしょうか?自分より年下の人が亡くなるのは、あまり気持ちいいものではありません。
 漫才に限らず、浮き沈みの厳しい芸能界を生き抜いていくには、マルチなタレント活動でないと生きられないのかもしれませんが、相方の紳助に比べ、全てにおいて恵まれない足跡を残していたように感じます。
 このような例を挙げると (やや適切ではない部分もあるが) 「ツービートのビートたけしときよし」 がある。両方とも駄目な例は 「B&B」 「ざ・ぼんち」 等がある。反対に現在でも健在なのが、「オール阪神巨人」 「大介花子」、中でも注目したいのは 「とんねるず」 「ウッチャンナンチャン」 「ダウンタウン」 の3組です。 
 才能の下支えはあろうかと思いますが、お互いのコンビが単独でも活躍しているし、させられている。これは所属事務所やマネージャーの力なのではないかと思います。ブラウン管上での虚像とはいえ、芸能人はスターとしていつまでも輝きつづけ、夢を壊さないで欲しいですね。


 日本中がアツク燃えたWBC、王ジャパンは首の皮1枚残して韓国から劇的勝利、そして今日の決勝戦、キューバ相手に見事世界一…パチパチパチ。アメリカの審判の誤審問題もあって、後味の悪さを引きずった大会でもありましたが、それを吹き飛ばして余りある優勝でした。
 その誤審問題ですが、アメリカ戦での3−3と同点の場面、3塁ランナーの西岡がタッチアップしし、ホームを駆け抜けたその時、誰もが日本の勝ち越しを確信したことでしょう。しかし、米国チームはタッチアップが早いと抗議しました。何と、この抗議で、一度はセーフとされた判定が、その後、アウトと覆ってしまったのです。

 私は、長い間野球を見続けてきましたが、監督の抗議で判定が覆ったのを見たことはありません。「審判は絶対ですから、覆りませんよ」というのが、解説者の説明です。相撲のように、ビデオを見て審判団が協議すればいいのにと、私などは思いますが、そうはいきません。
 一度、下された審判の判定が覆るというあり得ないはずの事態が生じ、しかもそれが野球の本場、アメリカでのことなのですからなおさらです。
もし、日本チームからの抗議だったら、このような形で判定は覆ったでしょうか。それが米国チームからの抗議だったからだと、どうしても思いたくなってしまいます。
 公正で公平な審判というのは、スポーツの大原則です。どこの国のチームであれ、そのような原則を適用するのが、フェア・プレーの精神でしょう。
 アメリカは、いつの間にか、このような精神を失ってしまったのでしょうか。自国のチームや選手をえこひいきする国に成り下がってしまったのでしょうか。世界の大国という「ハードパワー」に頼り続けてきたために、アメリカの人々は「ソフトパワー」の威力を忘れてしまったのかもしれません。しかし、アメリカは格下メキシコに思わぬ敗退を喫し、「想定外」脱落は皮肉というしかありません。でも、「雨降って地固まる」でニッポンが勝ったから、まっいいか〜。


 ライブドア事件と民主党メール問題。この2つの事件を契機に世の中の流れが少し変わったような気がする。それは『世代交代=善』という見方である。ライブドアは20代〜30代の経営陣が暴走し、民主党では30代〜40代の議員と執行部が右往左往し、世論の批判を浴び続けた。結局、両社とも経験豊富な�狢膺有瓩�乗り出す形で事態の収拾にあたっている。
 確かに年老いても権力や地位にしがみつく姿は老害以外の何ものでもなく、組織の活性化は滞る。一方で、若い連中というのは、年長者のアドバイスも「時代遅れ」と一刀両断する。ただ裏を返せば、若さゆえの未熟さを認めたくがないために、気の合う仲間内だけで事を進めたがるのかもしれない。

 それも順風満帆のうちはいい。だが壁にぶち当たったとき、理屈だけで乗り切れるほど、世の中は甘くもなければ、単純でもない。打開には経験によってしか培われない人付き合いの機微が求められてくる。大切なのは、年長者は若者に機会を与え、若者は年長者の苦言に謙虚に耳を傾ける。これからの時代、この辺りのバランスをうまく取るのが成功の秘訣になるのではないだろうか。



 トリノ五輪が終わり早や1週間余、山形からメダル期待された選手もいて、スポーツ観戦オタクとしてはジューブン楽しめました。
 が、いつも思っていることですが、「メダル至上主義」には辟易します。「ナンバーワンよりオンリーワン」という唄を持ち上げたかたと思うと、出場する選手には「メダルを、メダルを」と群がるマスコミのインタビューを聞いていると、観てる方までしらけてしまいます。

 『毎日新聞』の読者アンケートを定期的に行うコーナーの『日本のスイッチ』2月27日付にはこんな結果が出ていました。
「トリノ五輪後半戦、これから登場する選手に一言」
 �.瓮瀬訌世辰董ΑΑ�23%
 ��気負わずやれ・・・77%

 一般の方々もメダルよりもベストを出せるように願っているようです。前評判が低くて過剰な期待をしていないのかもしれませんが。確かに、勝負事ですから結果は大事ですが、世界の3位と4位にどれだけの違いがあるのでしょう?たとえ6位であっても7位であってもすごいことです。
 確かにフィギュアの荒川選手の演技は素晴らしかったです。基準はよく分かりませんが、他の選手を圧倒した会場の盛り上がりは、観客の正直な反応なのでしょう。

 変更された採点基準を十分に生かしきったことも評価されています。しかもイナバウァーといった採点に加味されない自分のこだわりも貫き、結果として精神的にも気分よく表現できたことが良かったのではないでしょうか。もちろん、積み上げてきた実力があったからこそなのでしょうが。



 このブログを始めてから、ちょうど半年になりました。読んで下さる奇特な方は、そんなに大勢ないでしょうが、どうしてこんな下らない事を書いているのか不思議に思っている人は多いと思う(ワタクシもそう思います)。
 読んでみればわかるとおり、特にネタに深みがあるわけではなく、文書は下手クソ、誤字脱字だらけ。いくらインターネットが自由だといっても、常識的に考えれば人様にお見せするような代物ではない。まあ人に言われるまでもなく、それくらいの自覚はあるつもりである。

 下手だと知りながら人目にさらすのだから、恥の上塗りというしかない。では何のために半年間も続けてきたのか。ひとつは、”継続は力なり”である。どんなに低レベルでも続けることに意義を見つけだそうという浅知恵である。昔から、始めたらある程度続けなければ…というクソ真面目さを併せ持っているので、そのためかと思う。スポーツにおいても、特に入賞とか記録といった俗世間の出来事に縁遠くなったが、おやじスポーツにもっとも大切なのは、継続することであると思う。
 もう一つは、ボケ防止です。文才のある人にとってはとるに足らない文書ですが、これだけ書くのにどれだけ頭を悩ましているか...ということで、まだ当分続きますので、悪しからずゴメンチャイ(笑)。



「男はつらいよ」のビデオを久しぶりに観た。ストーリーは毎回同じで、慌て者で寂しがり屋の寅さんと、おいちゃん、おばちゃん、そして妹のさくらが繰り広げる下町人情劇だ。寅さんの映画には多くの名場面がありますが、なかでも、寅さんとおいちゃんが喧嘩するシーンは印象的でした。寅さんの言動に怒ったおいちゃんは、『お前みたいな奴は甥でもなんでもない!出て行け』と怒鳴ってしまう。すると寅さんは、「ああそうかい、それを言っちゃおしまいよ!」と、なんともいえない表情でおいちゃんを睨み付ける。
 寅さんは、おいちゃんたちとの絆を「絶対的」なものだと信じている。おいちゃんとの喧嘩は“家族であることの証”なのである。ところが、その証しであるおいちゃんの口から、「お前なんか甥でも何でもない!」と言われた時、寅さんは心の糸が切られたような…、信じていたものが崩れるような心境になる。心切り裂かれる言葉は時に、暴力よりも残酷なものである。実際、何気ない一言が“心にグサリ”とくる場合が少なくない。感受性の強い寅さんは「言葉の境界線」を知っているからこそ、「それを言っちゃおしまいよ」と言い続けるのだろう。
 ところが今の世の中、「それを言っちゃ…」の“それ”がどの部分、何を指しているのかわからない人が多すぎる。そんな人たちはぜひ、寅さんの映画で学んでほしいものだ。言葉は人間関係の潤滑油、人生における出会いや別れもすべて、言葉によって演じられている。寅さんはわれわれに、どんなに腹が立っても絶対、口にしてはならない言葉があることを、教えようとしているのではないだろうか。



 ライブドアの強制捜査をきっかけに同社の株が大暴落している。まさにミニバブル崩壊、ヒルズ神話の瓦解である。投資家だけでなく、ようやく明るい兆しが見え始めた日本経済も冷水を浴びせられた格好だ。ちょうど昨年の秋ぐらいだったろうか。ライブドアの株を買おうと思ったことがある。当時の株価は300円台半ば。常に乱高下をする同社の株価の動きを予測するのは難しいが、何となく上昇局面に転じるような気がした。でも、投資というには、おこがましい程の僅かな金額とは言え、ホリエモンやライブドアに協力するのはバカらしいと感じて思いとどまり(金の都合もあったが…)、今にしてみれば結果論だが正解だったようである。
 それにしても、溺れた犬を叩くではないが、ライブドアに関する悪材料が次から次へと出てきた。役員の関与、粉飾決算、マネーロンダリング、挙句の果ては上場廃止も視野へ…。時代の寵児ともてはやされたホリエモンは、一夜にして失格経営者、稀代のペテン師の烙印を押された。同時に手の平を返したようにライブドアバッシングに走るマスコミの節操の無さにも呆れるしかない。

 確かにホリエモンは調子に乗り過ぎたところがあった。古参の大企業経営者らは、あの強引なやり方を苦々しく思っていただろう。しかし、ホリエモンの登場は、決して�犧甅瓩个�りではなかったはずだ。�犖��瓩良�分もあった。少なくとも会社は誰のものかという議論を巻き起こし、これまで軽視されがちだった株主の存在や情報開示の重要性にスポットを当てた点は評価してもいいと思う。願わくば、ライブドアへの批判が、こうした功の部分も打ち消し、日本の企業を昔のような閉鎖的な体質に逆戻りさせることだけは避けてほしい。
企業の存在価値は利益を上げること、金儲けのできない経営者は失格だと、言われればそれまでだ。
 しかし、同時に社会に貢献する気持ちも忘れてはいけない。資本主義経済である以上、競争は当たり前だが、金さえあれば誰でも支配できるという弱肉強食とは違う。企業人としての最低限のモラルと矜持は持ち続けるべきだったと思う。



 負傷ちゃうちゃう不肖ワタクシ先週末に50うん才の誕生日を迎えましたが、素直に喜べないビミョーな年代でもあります。団塊世代の大量退職2007年問題が叫ばれているなかで、今後のライフステージの青写真が現実に求められいまだ具体的な設計図が描けないからだ。そう、夏休み終了前日なのにタップリ宿題を残している状態、あれに似ている感じだ。そんな複雑な思いを和らげるように、ななんとっー娘から想定外の誕生日プレゼントがあったではないか?そのプレゼント品がこれ。NIKE(ニケじゃないよ)のタオル、バウンド練習での汗拭きにというコンセプトらしいが、あてにしてない時のプレゼントって嬉しいものです。ここは素直に気持ちを受け取っておこう、ありがとうね。

2月10日に迫ったトリノ五輪開幕に向けて、女子フィギアにスポットが当てられているが、実は金メダルの最短距離にいるのは、五百メートル世界記録保持者で初出場の加藤条治(日本電産サンキョー=山形出身)だといわれている。
 若干二十歳で、最近めきめきと力をつけた加藤条治選手だが、武器となるのは、世界一巧みで、加速に優れたカーブワーク。「あのリズムの良い、跳ぶようなスケーティングは教えて身に着くものじゃない。天性だ」と、元男子五百メートル世界記録保持者の鈴木恵一日本スケート連盟強化部長は舌を巻いたという。一流スケーターとしては細身だが、それを独自の技術でカバーできるのが強みだ。
 W杯前半戦で3勝を挙げたのに「カーブは調子が悪い」と漏らしたという。失敗の少ない選手ではあるが、わずかな狂いが生じれば順位は大きく後退するので、そうならないように願うだけだ。



 朝、窓を開けて「また雪かよ〜」が日常会話となりつつある昨今、今冬の寒波は異常である。この世に生を受けて半世紀以上なるが、12月に屋根の雪下ろしをしたのは初めてである、しかも2回も…。他県の人には雪景色も風情あるものと思われますが、毎日つきあう者にとってはやはり厄介なもの。肉体的、経済的負担は計り知れないものがある。 今更、時代錯誤だと無視されそうだが、昔の人たちは先人の厳しい言いつけによって、通行人の難渋を思い、朝食前に雪を払い道を砿保したものである。自主的というより言い伝えられた作業で「嫌々ながらも」毎朝励行したものである。
 範囲は自分の屋敷分が除雪(道つけ)の対象となっていた。自宅前が大通りに面している所は勿論大通りの雪を払い、人が通る小道ですら屋敷(畑など)が隣接している所は、雪を踏み固めて通れるようにしてから学校に通ったものである。祭日の晴れた日は各家の雪下ろし日となり、朝の挨拶は屋根の上からであった。今はいずれも年老いた戸主たちによる作業となってきた。
若い人たちの姿が見えず、中学生や高校生のいる家であってもこれらの現象が続いている。
 ある会社の工場長の話「長年、社員全員が屋根に上って一斉に雪を下ろし、工場のガラスを磨き、新年を迎える準備をして正月の休暇に入ったものである。ところが数十年前から"雪下ろしに雇われたのでもなく、ガラス磨きに雇われてきたものでない。そんな仕事は別に人を雇ってやってもらえばいい"と拒絶され唖然とした」と述懐する。
 中国や韓国を例にあげるまでもなく日本全体が「学歴優先社会」である。小生の思い過ごしではあるまいかといささか気が咎めるものだが、雪払いや雪下ろしなどは労働者の仕事だとして若い世代の社会観は「ダサイ仕事」「ランク以下の労働」だと見ているのではあるまいか。昭和は遠くなりにけり てかー。
 

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 先日行われた「第50回有馬記念」、ゼッタイに負けるわけがないと断言したディープインパクトでしたが、最後の直線で抜け出した4番人気のハーツクライにマサカの敗戦!ダントツの1番人気で誰もが勝利を信じて疑わないなか、中山競馬場にかけつけたほとんどのディープインパクトファンの悲鳴が聞こえそうです。 
 ワタクシTV観戦していましたが、ディープインパクトはまずまずのスタートを切って、道中は最後方を追走し引っかかるそぶりも見せず、スムーズのようでした。4コーナーでは、早くも先頭を射程圏内に入れたものの、直線で菊花賞のような伸びが見られず「ヤバイ!」 と注視しつつも結果は半馬身及ばず。「今日は飛ばなかった。普通に走ってしまった」とレース後の武豊の談話。あの名馬&名騎手を以ってしても、勝負にゼッタイという文字はないんですね、反省です。




 1年365日、大安だろうと仏滅だろうと、日本国中どこかで開催されているのが公営ギャンブル。
 大概のバクチ打ちは往きは良い良い帰りは辛いの繰り返し。それでも懲りずに、張った負けたを繰り返すのが、バクチに魅入られた人々の健気なところなのである。そんな人々にとって、師走は特段に目の色の変わるのがJRAが施行する有馬記念、これが世に言う師走の餅代稼ぎレース。溜まりに溜まった今年の負け金を取り戻した上に餅代を上乗せする、それがバクチ打ちの心意気であり夢なのである。
 特に今年の有馬はディープインパクトというウルトラホースが出走する。そのため日本人特有のお祭り好きが遺憾なく発揮され、どれほど売り上げを伸ばすか。
各馬が4コーナーを回ってゴールに向かう際に19万人の大観衆が轟音と地鳴りの世界を創り出す。あの喚声を聞きたいがために師走の中山詣でを欠かさぬ人もいるそうであるが、そしてゴールに入った瞬間、地鳴りは一斉に鳴りをひそめ、不気味なほどの静寂な世界に変質するのが例年である。夢が破れた瞬間、人々は等しく無口になるのである。
 しかし今年は、ゴール後の喚声も終わりを知らないに違いない。何と言ってもディープインパクトである。史上最強にして、史上最速、おまけに鞍上が天才ジョッキーの武豊。多くのファンに感動と歓喜の涙を流させるに違いがないだろう。



「我慢したオナラは、いったい何処へ」といったに疑問もったことありませんか?先日、落語から得た知識では、オナラを我慢していると腹がはって苦しいが、やがて体内を逆流して小腸で吸収されて血液中に入り体内をめぐる。はく息に水素が含まれているが、消化管のガスが血液に吸収されて肺から呼気が入って口から排出される。これが我慢したオナラの行方である。これは医学的な話だそうですが、ほんとかなー(笑)。
 明治5年、日本に鉄道が開通した当初、客車にトイレの設備がなく、窓から放尿すれば罰金10円、放屁一発罰金5円也。5円で米が150キロも買えた時代だそうですから、オナラを必死に堪えたのでしょうね。


 今さかんに言われる「2007年問題」正確には「2007年から問題」である。1947〜49年生まれの団塊の世代が、2007年からはじまって、毎年大量に企業をリタイアし始め、オフィス街から、自宅のある町に大移動を起こす。そして、団塊の世代を1947〜51年生まれまでと大きくとらえれば、彼らの最後のグループがリタイアをしてはじめて迎える2012年あたりには、日本の社会は大きく変化しているだろう、と予測されています。
 具体的には、団塊の世代のリタイアは、労働人口の減少により周辺の産業の縮小や、高度技術の衰退などの問題以外に、日本の社会や市場にいくつかの新しい流れをもたらす。その一つは、時間を自由に使える団塊シニアが平日に大量にレジャーやスポーツ、習い事、買い物などの消費行動をする、と予測されることである。週末や夏休みばかりに人が集まっていた多くの業界にとって、曜日や季節に偏りがなく集客ができる「平準化」というビジネスチャンスが訪れるといわれてますが、社会的には問題の方が多い気もするわけです。

 団塊の世代は、ちょうど高度経済成長を支えた世代なので、目の前の仕事を堪え忍んで頑張れば明るい未来が待っていると教え込まれた世代でもあります。そのため、現在を楽しむという意識に欠けている人が多い世代とも言えるわけです。一言で言えば会社人間世代で、会社という枠組みから外されると何をしてよいのか分らないという人が意外と多いようで、周囲にも同類がいっぱいいます。つまり、熟年ニートが増えると思うわけです。そうなると、自殺する老人の増加、鬱病やボケた老人の増加が考えられるのです。そうならないためにも、今から準備(もう遅いか?)が必要なのでしょうが、これがなかなか現実には難しいようです。ワタクシもその類で、気ばかりあせる毎日です。


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 昨日、第3次小泉内閣が発足した。『改革続行内閣』と記者会見で言っていたが、小泉首相の改革とは何なのだろう。選挙公約にはなかった大増税攻勢のことか?選挙中、自民党は武部幹 事長を先頭に「サラリーマン増税はやらない。あれは政府税調が言っていること だ」 と言い続けて、政権公約にも書いていた。ところが大勝した途端に谷垣財務相が 「定率減税の廃止」を公言し、小泉も「秋以降、消費税のみならず税制について、十 分議論しなければならない」と言い出した。「定率減税の廃止は確実で、給与所得控除が半減されると年収700万円世帯で月3 万円の負担増、消費税率が10%になれば月2万円の負担増になるという。月5万円の負担が強いられる試算がある。景気回復を理由にしているが、回復しているのは大企業の収益であって一般庶民の生活実感生活とは無関係だ。 

 ある程度の増税は想像出来たことだが、郵政民営化に一本化した自民党を勝たせた国民は何も言えない。本人は『国民に信任された』と白紙委任状を取ったつもりで、造反者 も処分して党内から批判の声を上げる者もいない。いわば小泉首相がなんでもできる状態での改造だ。これまで派手なパフォーマンス気味の手付かずだった「改革」の責任を、小泉首相と一蓮托生で大きなリスクを持たされた内閣と言えるように思う。一年間の任期で改革の総仕上げと言っているが、国民に負担を強いるだけの改革で無いことを祈るだけだ。