それいけ!おきたま探検隊

置賜探検隊
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平成19年2月2日〜12日の11日間に渡り、高畠町太陽館をメイン会場として、冬のお花見イベント「まほろば冬咲きぼたんまつり」が、各会場を舞台に行われる。わらで作った”こも”や”かまくら”などに入れた牡丹の鉢植えは夜に電球で灯りをともす。雪景色の中ライトアップされた光景は、幻想的な雰囲気で来場者の心を癒してくれる。さあ、幻想の世界へ今年は誰と・・・


2007.01.29:ゆ〜ちん:[メモ/高畠町]
舞楽殿は、室町末期のものといわれ、方一間宝形造、茅葺きである。毎年5月3日には倭(やまと)舞、9月15日には延年の舞が気品高く、古式豊かに舞われる。本殿は、三間社流造、茅葺きである。

2007.01.29:ゆ〜ちん:[メモ/高畠町]
二年に一度の大イベント!国内外の懐かしの名車が約100台勢揃いし、レトロな商店街を賑わせる。展示のほかパレードも開催する。次回開催は2008年!!


2007.01.29:ゆ〜ちん:[メモ/高畠町]
品種はエドヒガン。根周り11.10m、目通りの幹周り10.91m、樹高18.80m。枝張りは、東へ11.20m、西へ13.80m、北へ11.20m、南へ10.80m。

 かつて、大明神桜は枝の広がりが一反歩(991.74�屐砲砲盖擇咫�家を覆っていたと言われています。言い伝えによると、伊達政宗が14〜15歳の頃、鮎貝の合戦に初陣として加わった際、戦いに敗れ、この桜の洞に隠れて難を逃れました。このため、後に家臣を遣わして保護にあたらせたということです。

 地域では、春の農作業の種まき時に桜が開花するので、種まき桜とも呼んでいます。

 見る角度によって2本にも見え、樹高・目通りとも『伊佐沢の久保桜』を上回る巨木です。幹の根元は空洞化していますが、不定根が幹化し、次世代への着実な歩みが感じられます。平成11年の大雪で枝が折れ、翌12年から樹勢回復事業を実施しています

2007.01.29::[メモ/長井市]
長井市立伊佐沢小学校校庭の続きの一隅にある。
品種はエドヒガン。根周10.8m、目通りの幹囲8.1m、高さ約16m。幹の部分 は3つに分裂し、根元は空洞になっている。 枝張りは、東へ11.3m、西へ 10.4m、北へ9m、南へ6.5m。

 天保・弘化のころは枝が40アールを覆っていたので4反桜と呼ばれ、花時には米沢藩主が来観し、樹下10アール余りの土地は明治維新まで免税地であったという。
言い伝え(口碑)によると、幕末の頃、乞食が桜の根元のほこら(洞)に宿って炊事をしたところが、朽ちた部分に火が燃えついてやけどをしたので退散した。

 火は朽ちた部分を燃やし、養分の通う皮の部分まで焼いたので、大枝2本、その他の枝が枯れ落ちて、樹形が一変してしまったということである。乞食のたき火の事故の後、土地の人々は残った枝に支柱を立て、柵をめぐらして桜の保護を続けた。
 近年は地元の有志者が保存会を組織し、支柱も60余本にしているが、老化が目立つようになった。

 また、巨木にまつわる伝説として、坂上田村麻呂将軍と土地の長者の娘「お玉」との悲恋物語によって、この桜は「お玉桜」という呼び名が一般に広まっている。 樹齢は1,200年といわれている。
(長井市史 第4巻 210頁より)

2007.01.29::[メモ/長井市]
白つつじ公園の一角は、戦国時代の土豪・野呂氏の居館の跡といわれ、付近一帯の地は、明治初年に至るまでは公園の西北隅に皇太神社の境内を除いては、一面潅木と雑草が繁茂してあった所を明治17、18年に小出区民が公園化しようと整備、造成を始めた。池を掘り、松などを移植し、「松ヶ池公園」と称した。その後、同30年頃に第1期拡張を試み、仙台市の釈迦堂の桜苗を取り寄せると共に、小出・花作町の旧家七兵衛氏から譲渡された白つつじをlここに移植してから、長井の「つつじ公園」と呼ぶようになった。

2007.01.29::[メモ/長井市]

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