戦国観光やまがた情報局
上杉氏が越後から会津に移封され、直江兼続が米沢城に入りました。その際、「總宮神社」に参拝し、杉を植え(直江杉)刀剣を奉献したと伝えられます。 |
初代館長・宮坂善助氏が収集した米沢・置賜地方の考古学資料や藩政歴史・民俗資料など約700点を収蔵しています。 ...もっと詳しく |
慶長14年(1609)、眼を患った某僧が五色の湯に入って治ったという話を耳にした直江兼続は、生来病弱で両眼を病んでいた嫡子景明のために、五色温泉に湯壷を開きました。浴舎や小屋を設け、足軽60名に警護させ、長い湯治を行ったとされています。 |
和銅5年(712)創建。初めは蚕菅社(こすげしゃ)と呼ばれ、白子明神と称していました。県内最古の社宝として平安時代の鬼瓦が保存されています。
鎌倉時代、暦仁元年(1238)、領主長井時広が社殿を修復して置賜郡の総鎮守としました。その後蒲生時代に米沢城の鎮守となり、歴代藩主の崇敬が篤く、特に、上杉鷹山は藩主となった明和4年(1767)、藩の中興を誓った誓詞を納めています。 ▼交通:JR米沢駅から車で約10分 ▼地図:Google Maps |
直江兼続が天正18年(1590)、小田原征伐の折、富士山麓の社から曽我兄弟の木像を請い受け、越後直峯の城下に社を建て神達明神と名づけました。
後に米沢移封の際にこの社も移され、兼続没後は実家樋口家の屋敷神となり、7月16日の例大祭は町内あげての祭りで賑わいます。 ▼交通:JR米沢駅から車で約10分 ▼地図:Google Maps |
明応5年(1496)、上杉謙信の祖父長尾能景が亡父重景の菩提を弔うため、越後春日山城の麓に建立したもので、その後上杉家の移封に伴い、越後春日山より会津・米沢に移転し、上杉家の菩提寺となりました。 ...もっと詳しく |
当初は城内御堂の避難所として建てられたものですが、上杉景勝没後、米沢藩主代々の墓所となりました。 ...もっと詳しく |
県立置賜文化ホールと米沢市上杉博物館の機能を併せ持った文化施設です。 ...もっと詳しく |
上杉神社の宝物館で大正12年(1923)に開館。平安時代から江戸時代までの各時代にわたる甲冑、刀剣、武具、絵画、仏書画、仏具、陶磁器、漆器、服飾、文書、墨跡など重要文化財131点、重要美術品を含む多数を収蔵・展示しています。収蔵品のほとんどは上杉謙信、景勝、鷹山、直江兼続の遺品などです。 �■祁鄲茖何緲貌�前後(展示替えのため) �E澣─�11/26〜翌年3月下旬) ※2月第2土曜日・日曜日の上杉雪灯篭まつり中は開館します。 ...もっと詳しく |
米沢城は暦仁元年(1238)、長井時広によって築かれ、慶長3年(1598)から上杉氏領となりました。上杉景勝が越後から会津120万石に転封となった際、直江兼続に与えられた城でした。関ヶ原の戦いで西軍が敗れると、上杉景勝は米沢30万石に減封され、慶長6年(1601)に兼続に代わって上杉景勝が城主となりました。 ...もっと詳しく |














日本三熊野の一つに数えられ、東北のお伊勢として信仰を集めています。
江戸時代初期、北条郷(南陽市)代官の安部右馬助綱吉、息子・綱正が再建に尽力し、米沢城の東北にあたる鬼門の鎮守として大切に守られてきました。
慶長9年(1604)の熊野宮建立棟札に「大旦那 直江山城守」の記録が残っています。
▼交通:JR赤湯駅から車で約10分
フラワー長井線宮内駅から徒歩で約10分
東北中央自動車道南陽高畠ICから車で約10分
▼駐車場:有り(無料) 大型バス・自家用車可
▼拝観料:なし
▼所要時間:20分
▼トイレ利用可
▼問合せ:熊野大社(南陽市宮内3476−1 TEL0238−47−7777)
▼地図:Google Maps