おはようございます、ただ今の気温マイナス4.6℃です。
今日の天気も雪です。寒いです。
昨日からの大荒れの天気で今日も朝から雪が降っています。
一部運休している交通機関もあるようなのでご利用の際は確認してからの方が良いかもしれません。
画像は虚空蔵山館と頂上からの風景です。
天正最上の乱は、天正2年(1574)に起きた最上氏の内乱で、最上義守と嫡男の最上義光の争いです。
天正2年、義守が娘の夫である伊達輝宗に援軍を求め、義守・伊達勢と義光の間で戦いが行われました。
天正最上の乱について、当地に関する箇所を東置賜郡史より紹介します。
輝宗は舅義守の為めに兵を出し、天正二年二月末より八月迄、新宿※1・楢下等に於て戦ひ、互いに勝敗あった。新宿・楢下は当時駅伝を置かれて国道であった。中山道※2は間道であった。
最上義光の将上山満兼が、北条郷川樋を夜盗した。此時目々澤丹後、同肥前守が討死した。(中略)
新宿、高畠の人夫を以て新宿坂(按ずるに小湯より小岩澤に越ゆる山道ならん)の手入れをなし進軍の準備をした。
引用:東置賜郡史
なお、一部旧漢字を新字体に変更しています。
※1 高畠町二井宿のこと。
※2 現国道13号 川樋から元中山間は湿地帯のため、日影道が利用されていました。
川樋集落の西側に標高452mの虚空蔵山が、戦国時代に虚空蔵山館(こくうぞうやまだて)、別名:星見ケ城が築かれました。
山道の整備は行われていませんので、倒木と灌木等が生い茂り(画像2)、藪漕ぎをしないと進めません。
山頂にある主郭には土塁(画像3)が残り、背後には七重もの堀切(画像4)を有しています。
川樋の集落側だけでなく、金山方面からの進攻にも対応した防御性の高い山城です。
平穏な時は山麓に居を構えていました。
「根小屋」と呼ばれ、今も「根小屋」の地名は字名となって残っています。
参考:山形県中世城館遺跡調査報告書