今にも大粒の雨が降って来そうな雲行きです。
洗濯ものは早めに取り込んだ方が良さそうですね!
ちょっとしたウンチク?? 8月7日 今日は何の日
鼻の日
日本耳鼻咽喉科学会が1961年に制定。
「は(8)な(7)」の語呂合せ。
各地で専門医の講演会や無料相談会等が行われる。
花の日
「は(8)な(7)」の語呂合せ。
バナナの日
日本バナナ輸入組合が制定。
「バ(8)ナナ(7)」の語呂合せ。
結果語呂合わせが多いですな。
中川地区では「デラウェア」の出荷が最盛期を迎えています。
山形県のぶどう栽培は、中川地区の川樋地区にある大洞山にぶどうの苗木が植えられたのが始まりだといわれています。
川樋でのぶどう栽培の始まりには2つの説があります。
ひとつは、金の採掘人足として大洞山の鉱山に来ていた甲州(今の山梨県)の人が南陽と甲州の土地に共通性があることに着目し、ぶどうの苗木を植え始めたという説。
もうひとつは、川樋の地が出羽三山を往来する修験者の通り道だったために、修験に関係する人たちが持ち込んだ、という説です。
明治になると、当時の山形県令三島通庸(みしまみちつね)によって殖産興業が進められ、その一環として置賜地域でぶどうが試験栽培されるようになりました。
そして、ぶどうの栽培は南陽市、高畠町など置賜地域に広がっていきました。
現在、山形県のぶどう生産量は全国3位、デラウェアは日本一の産地になりました。
昭和54年には鳥上坂に「ぶどうの碑」が建てられています。
釜渡戸地区の白髭神社境内には石の祠が三基あり、真中の祠に子易大明神が祀られています。
この像は彫刻が非常に密で、丁寧に彫り刻んだもので、姿態は頭巾を深々とかぶり、自ら抱いている赤児をやさしく見下ろしている。
この像と一緒に石の堂におさめた木札には次の様に書かれている。
天下泰平 導師別当 南蔵院法印
国家豊隠 神主 大坂源七
天保十三壬寅星
奉建立大宮子易両大明神※如意満 ?
村内安全 世話方 大坂今朝次 加藤友弥
産婦無難 施主 一村中
(なお、実物は旧字体で書かれています。4枚目の画像を見ての通り、現在は文字が消えてしまい、ほとんど読めません。)
天明八年(1788)の水帳をみると、吹原に常楽院屋敷というのがあるが、それから50年ほど後に吉野村下荻の南蔵院が導師となってこの像が建てられたということは、当時南蔵院の勢力が相当深く釜渡戸に延びていたこと、また常楽院と南蔵院とは深いつながりがあったものであろうと想像されるのである。
この石像の背面には
天保十三壬寅三月 川樋村石工??右門源宗?
と記され、この像の建てられた年は、天保十三年(1842)に間違いないことが確認できる。
引用:錦三郎著「釜渡戸を中心とした社会科資料」
※西置賜郡小国町にある大宮神社と子易神社が合祀された「大宮子易両神社」のこと