おはようございます。
まだ午前中ですが既に32度を超えております。
9月に入りましたが、まだまだ暑い日は続きそうです。
引き続き、こまめな水分補給、休息をしっかりとり熱中症対策を心がけましょう。
そんな中、小学校では運動会の練習に力が入っています。当日は雨が降らないといいですね!
川樋地区の岩屋堂にある嶋崎明神には「片目の魚」の伝説があります。
鎌倉権五郎※1が川樋の岩屋堂※2の戦いで、敵を追い散らして陣屋があった岩屋堂に戻ったとき、どこから飛んできたか、流れ矢が右の目を射抜いてしまった。
権五郎は矢を抜こうとしたが抜けるのを見た部下は、自分が抜いてやろうとして、右手で矢をにぎり抜こうとしたが抜けない。
そこでわらじを履いた足を額にかけて、ようやく抜いたが、それを見た権五郎は、「この矢を射た奴は、わしによほどのうらみがあるのだろう」といって、右の目を傍らの池で洗うと、池は権五郎の目の傷で真っ赤になった。
それからこの池の魚はみな片目になってしまったという。
※1平安後期の武士、後三年の役で源義家に従軍し奮闘する。
※2こぶし荘付近の字名(岩谷堂という表記もある)
参考:南陽市史 民俗編
嶋崎明神の故事は、江戸時代に編纂された「米沢事跡考」や「米沢里人談」にも掲載されています。Hさんの協力をいただきながら、くずし字を解読中です。
なお、このような鎌倉権五郎と片目の魚の伝説は、東北から関東各地に伝承されています。
山形県内でも山形市本沢の蓮沼、天童市の八幡池、立川町(現庄内町)の翁池など各地に伝わっています。
嶋崎明神は明治の中頃まで九尺四方の堂宇が建っていたが、乞食が宿って火事を出し焼失したといわれています。
画像1枚目の鳥居が新しいのは、以前の鳥居は倒壊の危険性が高く、10年程前に新しくなりました。
少し遅いですが・・・
おはようございます!9月に入り、とても過ごしやすい天候ですね!
先日の「御詠歌更新作業」は皆さんの頑張りによりほとんどが新しいものと交換されました。
私も朝から山登りに最適な恰好に身を包み、カメラ片手に2度目の岩部山登頂に挑んで参りました!
最大の難所、天狗岩に到達!その後は順調に硯岩までの道のりを行く予定でしたが23番の御詠歌更新作業後、私は用事があり公民館に戻る時間になりタイムアップ。
今来た道のりを一人で戻ることに・・・。
ここからがウラ話の始まり。
階数49階にあたる道を「山下りの神」のように一気に駆け降りるつもりだったのですが・・・
モチロンそうは行かず、3回・・・いや4回は間違いなく豪快に転がりました(;´Д`)
「山下りの神」が一転「山転がりの神」に・・・。
しかもその間、ずうっと一人なので転がっても誰も笑ってくれる人もいないし、モチロン心配してくれる人もいない・・・。
それでも時間前に公民館に戻る事が出来ました。よかった!
そんなこんなで、おかげさまで本日身体中あざだらけの私です。
こんなウラ話なのでした。(;^_^A
赤湯から弁天橋を通って松沢地区に入る入口に、洞のある大きな岩があります。
周辺の人々は、昔からこの岩を「むじな※の御所」と呼んで大事にしてきました。
むじなの御所の西側に双式板碑と呼ばれる供養塔が彫られています。
金剛大日如来の種子である「バン」という梵字が薬研彫りされ、中央に「建武二年(1335)十月一日」と彫られています。
南朝政権は建武二年に、屋代庄の地頭に楠正成(くすのきまさしげ)を任命し、屋代庄を支配する新田兵部(にったひょうぶ)に代官をするよう命令しています。
一方で漆山の池黒地区には北朝年号の「正慶」を用いた板碑があり、南朝と北朝とが混沌とした時代であったことが見てとれます。
※アナグマ、タヌキのこと
引用:市報なんよう