連休中、9月20日(日)に「魚つり教室」が開催されました。
9名の小学生と、一般参加者数名に参加して頂きました。
天候にも恵まれ参加者の皆さんは釣りを楽しんでいました。
これからの季節、魚つりにはもってこいですね!
真中の山が大洞山(標高737m)です。
江戸時代から川樋村大洞山には北条郷東部の村々の入会山(いりあい)がありました。
入会とは、平野部にあった村(俗に沖中(おきなか)と呼びます)が山間部にある村の山や林野を共有して薪や草を刈り取り、燃料や飼料、肥料にする制度です。
大洞山に入会していた村は、石岡村・大橋村・鍋田村・中野目村・高梨村・島貫村・郡山村・若狭郷屋村・三間通村・二色根村の10カ村です。
(現在の大洞山財産区の区域(地区)と違うのは、近世になってから色々あったようです)
大洞山に続く大谷地も沖中10カ村の入会地でした。
山元である川樋村と新田村の入会は認められておらず、訴訟や紛争による傷害事件まで発生しました。
明治8年(1875)地租改正の際、ようやく川樋の加入が認められ、明治32年(1889)に大谷地が川樋新田の村民12名に貸付け、大谷地の開墾が始まりました。
大正13年(1924)に入会権を解消し、中川、赤湯、糠野目、沖郷の各町村に分割されました。
参考:南陽市史、沖郷村史
釜渡戸にある道標(みちしるべ・どうひょう)です。
道標は道路の辻に建てられた交通標識です。
皇紀二千六百年(昭和15年)を記念して建てられました。
「正面 元中山ヲ経テ中川駅ニ到ル 一里四粁」
「右 吉野村太郎ニ至ル・・・」
「左 金山村ヲ経テ宮内町ニ至ル・・・」と刻まれています。
その頃の釜渡戸地区を紹介している新聞記事(昭和16年3月9日朝日新聞)があります。
「三00町程の山林がある資産家は自分の山を売り貧農は伐採に働いてかなり豊かな暮らしをしている。隣の部落では女も農耕に従事して働くがこの部落では女などは働かせない。」
山林を持っている村が豊であった時代がありました。
参考:ふるさと中川