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中川駅2

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鉄道が敷かれると、物流は牛馬から貨車輸送が担うようになりました。引き込み線も中川駅の南側に一本、北側に二本あり、北側の引き込み線一本は列車通過の待ち合わせと荷物の積み降ろしに利用しました。

自動車の無い時代にはほとんどが貨車輸送でした。青果物に始まり、肥料木炭等が多く、終戦後は川﨑電気KK(現:㈱かわでん)へ大理石※が原石のままで送られてきました。

国道13号道路側の引き込み線からはぶどうの木箱詰め、岩部山から採石した中川石を山から運び、貨車で東京方面に送っていました。

 

参考:ふるさと中川「中川停車場の移り変り」小松久一郎 記

 

※昭和中頃まで配電盤のパネルには、絶縁性に優れる素材として大理石が使われていました。

川﨑電気の工場にトロッコで運び、切断加工を行っていました。

 

画像1枚目は北側の引き込み線跡、画像2・3枚目は跨線橋からの眺めです。

引き込み線のレールが残っているのが見えます。

2021.08.31:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

準備中

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延期になっています「岩部山遊歩道整備」ですが、注文していた擬木が届きました。

準備は万端です!

ですが、コロナウイルス感染拡大防止の為、延期、延期となっています。

 

2021.08.31:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区あれこれ]

キレイになりました

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公民館の屋根修繕工事が終了しました。

大変キレイになりました。

 

2021.08.31:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区あれこれ]

中川駅

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明治34年(1901)2月15日に奥羽南線※1の赤湯~上ノ山間が開通し、中川地区に汽車が通り始めて120周年を迎えました。

開通当時はまだ中川駅は設置されていませんでした。

中川村※2では駅を設置するにあたり、川樋と中山の間で反目する事態となっていました。

先ず場所の選定、土地の買収等の問題がありましたが、話し合いで郵便局を中山に、小岩沢に駅と決まりました。

当時の駅舎は木造作りで、駅舎の東側にはトイレがあり昔からの建物が今も残っています。

 

参考:ふるさと中川「中川停車場の移り変り」小松久一郎 記

 

※1 明治42年(1909)国有鉄道線路名称制定により奥羽本線となる。

※2 中山村・元中山村・小岩沢村・川樋村(新田含む)が合併して、明治22年4月1日に中川村となる。

 

画像1枚目は駅名標です。レールを再利用しています。

画像2枚目は駅構内です。山形新幹線なら全車両から乗り降りできるほどの長いホームがあります。

 

木造駅舎の写真をお持ちの方がいらっしゃいましたら、中川公民館までお持ちください。スキャンしてすぐお返しします。

2021.08.30:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

新型コロナウイルス感染者等への不当差別や誹謗中傷について

  • 新型コロナウイルス感染者等への不当差別や誹謗中傷について

新型コロナウイルス感染症は誰もが感染する可能性があります。

感染症について、感染者やその関係者への不当な差別や誹謗中傷、根拠のない差別的な情報発信等は絶対にしないでください。

 

再度、各自でマスク着用、手指消毒、3密回避、人との距離等新しい生活の様式を実践しながら、感染防止に努めてください。

2021.08.30:nakagawako:コメント(0):[◇南陽市のいろいろ]