HOME > 記事一覧

中川駅4

  • 中川駅4
  • 中川駅4
  • 中川駅4
  • 中川駅4

昭和49年には跨線橋ができ、線路を渡って向い側に行っていたのが、階段を上がって向い側ホームに、更に国道まで出る事が出来るようになり大変便利になりました。

しかし、国鉄の機構改革合理化により、乗客の少ない駅は無人化すると通達があり、無人化反対で国鉄と交渉するも叶わず、昭和50年に無人駅となってしまいました。

 

参考:ふるさと中川「中川停車場の移り変り」小松久一郎 記

 

画像は跨線橋と北側入口です。

跨線橋は駅利用者だけでなく、通勤ルートとしても重宝されています。

2021.09.02:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

お知らせ

  • お知らせ

9月19日(日)に開催予定でした「魚釣り教室」ですが、新型コロナウイルス感染拡大が続いている状況を鑑み、残念ですが開催を中止といたします。

開催を楽しみにしていただいていた皆さんには大変申し訳ございませんが、ご理解とご協力をお願いいたします。

2021.09.02:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区あれこれ]

中川駅3

  • 中川駅3
  • 中川駅3
  • 中川駅3
  • 中川駅3

無人化になる前の駅の様子です。

 

駅舎は待合室と事務室に分れていて、待合室はガラス張りになっており、切符売り場と小荷物扱いとに分かれ、冬になると待合室の真ん中にダルマストーブが置かれて何時も赤々と燃え暖をとられておった。

事務室には常時5~6人の職員がおり、列車が来る時間を見て、切符を売り改札をしたり、小荷物扱いと忙しく働いていた。

駅舎の西側には保線支区の事務室が建てられてあったが、米沢保線支区中川班といって常時6~7人の職員が勤めていた。

 

参考・写真転載(画像1・画像2)

ふるさと中川「中川停車場の移り変り」小松久一郎 記

 

木造だった駅舎は国鉄時代の昭和61年に、貨物コンテナを再利用したダルマ駅舎に変わりました。

建物財産標に「昭和61年3月29日」と標されています。

2021.09.01:nakagawako:コメント(0):[◇中川地区の歴史]

お知らせ

  • お知らせ

第22回南陽さわやかワインマラソン大会中止のお知らせです。

2021.09.01:nakagawako:コメント(0):[◇南陽市のいろいろ]

9月1日号

  • 9月1日号
  • 9月1日号

中川公民館だよりを掲載致します

2021.09.01:nakagawako:コメント(0):[◇中川公民館だより]