6月4日(金)より、公民館の貸館業務を再開いたします。
再開にあたりご利用される皆様に、下記の要件をお守り頂きます様ご協力をお願いいたします。
・今まで通り、飲食は禁止となります。
・ご利用の際は感染症対策として手指のアルコール消毒をお願いいたします。
・マスクは必ず着用してください。(あごマスクや鼻をださない)
・会議室等使用後は、机、椅子などの消毒をお願いいたします。
・熱のある方のご利用はお控えください。
大地蔵を過ぎ、村境のお地蔵様から新田に入ります。
新田は「川樋村之内新田」とも呼ばれていて、名が示しているように新開地です。
新田には新田桜壇に一里塚がありましたが、どこなのか分かりません。
ご存じの方はぜひ教えてください。
江戸時代の街道は鳥上地蔵の前を通っていました。(画像1枚目)
明治13年に新道が出来て、昭和9年の冷害の救済事業で鳥上坂の切り下げ改修工事が行われました。(画像2枚目)
「國道五號線 鳥上坂 昭和十年七月竣工」と浮き出しの銅板が岩にはめ込まれています。(画像3枚目)
昭和27年に国道13号となり、現在の鳥上坂は昭和38年に完成しました。
参考:山形県歴史の道調査報告書
小岩沢を過ぎると前川の「御仲橋」※1を渡り川樋に入ります。
川樋村は「邑鑑」によると家数101軒、人数は522人※2となっています。
また、享保絵図には、「山伏」※3と出てくる寺院、諏訪神社の西の小高い山の上にある古館※4、川樋と新田の境の「どどめきの石地蔵」などが記されています。
川樋から新田に通じる本道とは別に、東の山際を通る道ができ「大洞番所」がありました。この道も鳥上坂の北で本道と合流し鳥上坂にかかることになります。
参考:南陽市史
※1 以前は中ノ橋と呼んでいました。昭和59年の橋掛け替えの際に、なぜか「朝日橋」と橋名板がつけられていました。理由は不明です。
※2 新田村が分村する前なので、新田を含む数字です。
※3 現在の荒鈑さんの寮のところにあった「ホーエンサマ」のことで。今はありません。
※4 虚空蔵山館(伊達時代の山城)
画像は中ノ橋付近の道路、川樋の街並み、どどめきの石地蔵です。(以前撮影した画像です。)
境口番所の中山から揚橋を渡り、新開萱野・金神林を抜け岩部山の山際を通ると小岩沢です。
慶長(1596~1615)の頃のものといわれる「邑鑑」には、小立沢となっており、家数22軒・人数122人となっています。
紅花を作っていたこと、漆木が少しありましたが、桑木はまだありませんでした。
(文禄三年(1594)高目録には小湯沢となっている。)
100年後の享保絵図には約40戸の人家が描かれています。
参考:山形県歴史の道調査報告書
江戸時代は元中山地区と釜渡戸地区は中山村に入っていました。
「邑鑑」によれば中山村は、家数72軒・人数434人となっています。
なお、邑鑑の写本には家数の場合、「 一 七拾弐間 」と草書で書かれています。
画像1枚目は静御前のお地蔵様、2枚目は小岩沢の街並み、3枚目は街道跡です。
小岩沢から川樋への米沢街道は山形新幹線工事の際に、中ノ倉踏切が閉鎖され、通る人もおらず藪になってしまいました。