2月6日(日)に開催予定の「そば打ち教室」ですが、現在の新型コロナウイルス感染状況をふまえ、残念ですが中止と決定いたしました。
参加予定だった皆さんには大変残念なお知らせとなりましたが、ご了承のほどお願いいたします。
奈良時代に「畿内七道諸国郡郷の名、好字を付けよ」と勅令が出ました。
そこで、地名に漢字を当てる際は好字(良い意味の字)を用いることになりました。
例えば、芦(アシ)は悪しに通じるので、葦(ヨシ)にして「吉」の字を当て、吉野・吉原といった地名になりました。
また、芳を使った芳ケ沢(ヨシガサワ)の字名が釜渡戸にあります。
中川地区の字名に「小屋」「高野」があります。
コヤは荒野の新開地のことで、江戸時代の新開地「新田」より古い言葉になります。
荒野の字に別の漢字が当てられました。
(庄内地方では興屋の字が使われます。)
画像1は以前セブンイレブンがあった字「鹿間小屋」です。
画像2はファミリーマートがある字「高野」です。
どちらも集落に近い下流側の傾斜地なので、水を得やすい場所から開墾されたのでしょう。
参考:山形県の地名研究 長井政太郎著
地名のなぞを探る~やまがた~ 木村正太郎著
中川地区の川樋(カワトイ・カワドイ)という地名の由来となった場所を紹介します。
河樋とも書き、戦国期から使われていた地名です。
赤湯町史によれば「河を越す樋から起こったものであろう」と記載されています。
川樋字清水尻(川樋の下(しも))の田(画像1)は諏訪神社の不老泉を利用していましたが、干害に遭いやすい地域ですので、雨が降らないと下流の田に水が流れません。
また干害の年は前川の水も干上がりました。
そこで利用したのが大洞の山崎山に湧く山崎の泉でした。(画像2)
JRの山崎踏切の近くにあります。
前川(画像3)の上に樋(画像4)を渡して、山崎の泉から清水尻の田に水を流して水不足に対応していました。
なお、護岸工事や土地改良工事で地形は名付けられた当時と大きく変っています。
地名は元々、話し言葉で後から漢字がつけられました。
柳田國男氏の「地名と歴史」に「奥羽各地で家々に近い物洗場または水飲み場をカワド・カードという・・」と記載があります。
川樋集落には諏訪神社の不老泉や虚空蔵山麓の寺清水などがありました。
カワドがあった地域に、特徴的な「川」を越す「樋」が出来たことから「川樋」という漢字の地名になったと推測します。